ハイサぁ~イ☆
今日(12日)の沖縄本島は、予報通り、いい天気となり、とても過ごしやすい一日となりましたo(^-^)o♪
んで、明日(13日)も、降水確率は40%となっていますが、一日中晴れる見込みとのこと☆
今現在の週間天気予報を見ると、今度の日曜日(15日)までは晴れの日が続くみたいなんですが、週明け月曜日(16日)くらいから次第に崩れそうですね( ̄▽ ̄;
もしかすると、来週くらいから梅雨入りするのかもしれませんねぇ。。。
さてさて☆
この前、『沖縄の名木百選』に認定された推定樹齢100年前後となるデイゴの木と『古堅尋常高等小學校跡・古堅國民學校跡』を見学した後、今度は、同区内にあるフクギに囲まれた古堅の拝所と慰霊之碑を見学しに向かいました☆
沖縄県中頭郡読谷村古堅にある
こちらは、まず読谷村の国道58号線と県道16号線がぶつかる『大湾』の交差点から、県道16号線に入り約330mほど進んだトコ左側にある脇道を左折します。
左折して、約100mほど進んだところにある脇道をまた左折していくと、道が直角に曲がっているんですが、その角にあります。
この『古堅ウグヮン』の敷地内には、古堅区の拝所と慰霊之碑、そして、14本のフクギがあります。
『読谷村役場 教育委員会 読谷村史編集室』の公式サイト『読谷村の戦跡めぐりマップ』内にある『㉘生き残ったフクギ』のページを読んでみると・・・
≪字古堅53番地の4に古堅のウガン(拝所)があります。地番のことなどは持ち出さなくても、集落内に入るとフクギ(福木)の群落はすぐに見つかることと思います。
同拝所の正面奥には、古堅の鎮守の神、池原之子(イチバルヌシー)の祠(ほこら)があり、雨乞い御嶽(ウタキ)としても祀られているようです。
沖縄戦以前、ウガンの境内には木がたくさん生えていましたが、戦火で大分焼けて、現在では14本のフクギしか残っていません。
証言によりますと、戦時中、ウタキ境内には日本軍の天幕張り倉庫がありました。天幕は真ん中にポールが立てられ、周囲全体がすっぽり覆われていましたので、中に何が入っていたのか見えませんでした。
恐らく一般の人に見られてはいけないような軍事上の秘密なものが入っているのではないかと思われました。
戦時中、そこは焼夷弾(しょういだん)か何かで焼かれたらしく、戦後、焼け跡を見ますと、飛行機の部品らしいのが散乱しており、フクギの中には幹が燃えた跡もありました。
焼けた部分は虫食いや腐食で穴が開き、そこにアコウなどの木が寄生してフクギに取りついていました。
ところが、焼けたフクギの中は半ば空洞化していますが、木はしっかり生きているのです。
1990年(平成2)頃、字民が清掃をした折、寄生していた木を取り除いて、写真で見るような現在の姿になりました。
さて、「生き残ったフクギ」ですが、その木は慰霊之碑に向かって右手の方にそびえており、村文化振興課の調査によりますと、胸高幹周り1.88メートル、樹高6メートルとなっていますが、写真で見るとおり、戦時中の砲火で焼かれ、樹木頭部もへし折られて痛々しい姿を留めています。
【読谷村役場 教育委員会 読谷村史編集室』の公式サイト『読谷村の戦跡めぐりマップ』、『㉘生き残ったフクギ』のページより引用】≫
・・・と書かれていました。
この日、こちらの他にも見学したい場所があり、ちょっと急いでいたので、この『生き残ったフクギ』を撮影するのをすっかり忘れていましたね・・・(泣)
なので、冒頭の写真に僅かに写っている『生き残ったフクギ』を拡大した写真を掲載します。。。
この『慰霊之碑』の向かい側、敷地の北西側の片隅に祠があり、内部に香炉が2基置かれてました。
この『慰霊之碑』や『生き残ったフクギ』がある場所から、南側に小さな階段があり、一段高くなった場所があります。
この階段を上がると真正面に『古堅ウグヮンのフクギ』があり、左側には『池原子終焉乃地』と刻まれた石碑があります。
先程の説明にもあったように、この『池原子終焉乃地』碑は、雨乞い御嶽としても祀られているみたいです。
『池原子終焉乃ち』碑の向かい側に、立派な『古堅ウグヮンのフクギ』が立っています。
『古堅ウグヮンのフクギ』は、ちょっと高すぎて近くからは写真に入らなかったので、『慰霊之碑』の広場から撮影しました( ̄▽ ̄;
このフクギの傍にも、説明板が設置されていたので引用します。
≪この古堅ウグヮンには戦前までフクギが生い茂っていたが、今では沖縄戦の戦禍により数本が残っているだけである。
特に南側にある最も幹の太いフクギは見事で推定樹齢300年もあり、2005年度に「沖縄の名木百選』に認定された。
また、慰霊之碑の側にある幹が空洞となったフクギは戦火で焼かれたもので、その痛々しい傷跡は沖縄戦の被害を今に伝えている。
敷地のほぼ中央に位置する古堅ウグヮンの祠には古堅の鎮守の神が祀られている。
敷地西側には古堅のヒヌカン(火の神)があり、古堅の繁栄や五穀豊穣が祈願される。≫
・・・とありました。
この説明にあったとおり、『古堅ウグヮンのフクギ』の左斜め側、敷地の中央付近にあたる場所に立派な祠がありました。
また、『古堅ウグヮン』の前を通過して西側に行くと、小さな祠がフクギの木の間にひっそりとありました。
・・・と、ここまで見学した後、次は古堅区の隣にある読谷村大湾へと向かいました。
前々回にご紹介した『古堅國民學校跡・古堅尋常高等小學校跡』や、今回の『古堅ウグヮンのフクギ』がある敷地は、定期的に清掃されているようで、凄く見学しやすかったですね。
沖縄の戦跡に興味がある方は、読谷村を訪れた際に、この古堅区の戦跡にも立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『古堅ウグヮンのフクギ』・『慰霊之碑』☆
☆場所:〒904-0314
沖縄県中頭郡読谷村字古堅53-4
☆営業時間:自由見学
☆入場料:無料
☆トイレ:無し
☆駐車場:無し
今日(12日)の沖縄本島は、予報通り、いい天気となり、とても過ごしやすい一日となりましたo(^-^)o♪
んで、明日(13日)も、降水確率は40%となっていますが、一日中晴れる見込みとのこと☆
今現在の週間天気予報を見ると、今度の日曜日(15日)までは晴れの日が続くみたいなんですが、週明け月曜日(16日)くらいから次第に崩れそうですね( ̄▽ ̄;
もしかすると、来週くらいから梅雨入りするのかもしれませんねぇ。。。
さてさて☆
この前、『沖縄の名木百選』に認定された推定樹齢100年前後となるデイゴの木と『古堅尋常高等小學校跡・古堅國民學校跡』を見学した後、今度は、同区内にあるフクギに囲まれた古堅の拝所と慰霊之碑を見学しに向かいました☆
沖縄県中頭郡読谷村古堅にある
『古堅ウグヮンのフクギ』と『慰霊之碑』
『古堅ウグヮン』の入口☆ |
この『古堅ウグヮン』の敷地内には、古堅区の拝所と慰霊之碑、そして、14本のフクギがあります。
古堅区戦没者御房名が刻まれた『慰霊之碑』 |
≪字古堅53番地の4に古堅のウガン(拝所)があります。地番のことなどは持ち出さなくても、集落内に入るとフクギ(福木)の群落はすぐに見つかることと思います。
同拝所の正面奥には、古堅の鎮守の神、池原之子(イチバルヌシー)の祠(ほこら)があり、雨乞い御嶽(ウタキ)としても祀られているようです。
沖縄戦以前、ウガンの境内には木がたくさん生えていましたが、戦火で大分焼けて、現在では14本のフクギしか残っていません。
証言によりますと、戦時中、ウタキ境内には日本軍の天幕張り倉庫がありました。天幕は真ん中にポールが立てられ、周囲全体がすっぽり覆われていましたので、中に何が入っていたのか見えませんでした。
冒頭の写真を拡大して見た『生き残ったフクギ』 |
戦時中、そこは焼夷弾(しょういだん)か何かで焼かれたらしく、戦後、焼け跡を見ますと、飛行機の部品らしいのが散乱しており、フクギの中には幹が燃えた跡もありました。
焼けた部分は虫食いや腐食で穴が開き、そこにアコウなどの木が寄生してフクギに取りついていました。
ところが、焼けたフクギの中は半ば空洞化していますが、木はしっかり生きているのです。
1990年(平成2)頃、字民が清掃をした折、寄生していた木を取り除いて、写真で見るような現在の姿になりました。
さて、「生き残ったフクギ」ですが、その木は慰霊之碑に向かって右手の方にそびえており、村文化振興課の調査によりますと、胸高幹周り1.88メートル、樹高6メートルとなっていますが、写真で見るとおり、戦時中の砲火で焼かれ、樹木頭部もへし折られて痛々しい姿を留めています。
【読谷村役場 教育委員会 読谷村史編集室』の公式サイト『読谷村の戦跡めぐりマップ』、『㉘生き残ったフクギ』のページより引用】≫
・・・と書かれていました。
『慰霊之碑』から見た『古堅ウグヮンのフクギ』 |
この日、こちらの他にも見学したい場所があり、ちょっと急いでいたので、この『生き残ったフクギ』を撮影するのをすっかり忘れていましたね・・・(泣)
なので、冒頭の写真に僅かに写っている『生き残ったフクギ』を拡大した写真を掲載します。。。
この『慰霊之碑』の向かい側、敷地の北西側の片隅に祠があり、内部に香炉が2基置かれてました。
『慰霊之碑』の向かい側にある拝所。 |
この階段を上がると真正面に『古堅ウグヮンのフクギ』があり、左側には『池原子終焉乃地』と刻まれた石碑があります。
先程の説明にもあったように、この『池原子終焉乃地』碑は、雨乞い御嶽としても祀られているみたいです。
『池原子終焉乃地』碑 |
『古堅ウグヮンのフクギ』遠景。 |
このフクギの傍にも、説明板が設置されていたので引用します。
≪この古堅ウグヮンには戦前までフクギが生い茂っていたが、今では沖縄戦の戦禍により数本が残っているだけである。
特に南側にある最も幹の太いフクギは見事で推定樹齢300年もあり、2005年度に「沖縄の名木百選』に認定された。
また、慰霊之碑の側にある幹が空洞となったフクギは戦火で焼かれたもので、その痛々しい傷跡は沖縄戦の被害を今に伝えている。
敷地のほぼ中央に位置する古堅ウグヮンの祠には古堅の鎮守の神が祀られている。
敷地西側には古堅のヒヌカン(火の神)があり、古堅の繁栄や五穀豊穣が祈願される。≫
・・・とありました。
この説明にあったとおり、『古堅ウグヮンのフクギ』の左斜め側、敷地の中央付近にあたる場所に立派な祠がありました。
古堅ウグヮン |
『古堅ウグヮン』の内部。古堅の鎮守の神が祀られています。 |
古堅のヒヌカン(火の神) |
敷地出入り口側から見たヒヌカン。 |
前々回にご紹介した『古堅國民學校跡・古堅尋常高等小學校跡』や、今回の『古堅ウグヮンのフクギ』がある敷地は、定期的に清掃されているようで、凄く見学しやすかったですね。
沖縄の戦跡に興味がある方は、読谷村を訪れた際に、この古堅区の戦跡にも立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『古堅ウグヮンのフクギ』・『慰霊之碑』☆
☆場所:〒904-0314
沖縄県中頭郡読谷村字古堅53-4
☆営業時間:自由見学
☆入場料:無料
☆トイレ:無し
☆駐車場:無し