ハイサ~イ☆
今日(23日)の沖縄本島は、朝方は結構強い雨が降ったりしてましたが、次第に晴れちゃいましたね( ̄▽ ̄)ノ
夕方頃、中北部方面を見ると、雨雲に覆われて、雨が降ってるみたいでしたが。。。
んで、明日(24日)の天気予報は、降水確率が30%となっており、一日中『曇り』となっております。。。
う~ん・・・ようやく天候が安定してきたと思ってたんですが、まだまだ安定しないみたいですね。。。ヽ(^。^;
釣行計画を練るのは、3月に入ってからにしようと思います(;^ω^)
さてさて☆
この前、名護市嘉陽にある『嘉陽上グスク』を見学した後、すぐ近くにある1964年オリンピック東京大会の聖火が宿泊したことを記念して建立された碑があったので、そちらもついでに見学してきました☆
沖縄県名護市嘉陽にある
ちらは、名護市辺野古の国道329号線と331号線がぶつかる交差点から、国道331号線に入って国頭郡東村向けに北上していくと、平成21年(2009年)に統廃合により閉校となってしまった『名護市立 嘉陽小学校』があるので、その正門横にあります☆
1964(昭和39)年の10月10日に、東京オリンピックの開会式が行われたんですが、その約2カ月前の8月21日に、ギリシャのオリンピアにあるヘラ神殿跡で採火式が行われ、古代オリンピアの競技場にて安川組織委員会会長、高島文雄製菓空輸派遣団長らに聖火が引き継がれたんだそうです。
ギリシャを出た聖火は、イスタンブール(トルコ)をはじめ、11の中継地を経由して、9月7日に沖縄に到着したんだそうです。
当時、沖縄はアメリカの占領下にあったんですが、沖縄が日本体育協会に加盟していたことから、聖火リレー特別委員会により、国内聖火リレーは沖縄から開始されることが決定していたんだとか。。。
名護市の公式HPによると・・・
≪名護市嘉陽に「聖火宿泊碑」が建っている。これは昭和39(1964)年9月オリンピック東京大会の聖火が嘉陽に宿泊したことを記念して建立された碑である。
昭和38(1964)年4月嘉陽小中学校のPTA総会の時、「成果が嘉陽に宿泊するのを機会に、PTA記念行事として、聖火宿泊碑や五輪の池などをつくってはどうか」との提案が出され、会員の賛意を得てつくることに決定した。
久志村からの五百ドルの予算は、碑石代、運搬費、勒刻費にあて、嘉陽・安部区、嘉陽小中学校出身の高校生、中学生が夏休みに一日出て奉仕作業をしてくれた。聖火が到着する1ヶ月前は、学校の職員は校舎修理、ペンキ塗り替え、運動場の本格整備美化、仮宿泊所の増設、臨時シャワーの設置に、役所職員や区民は、道路整備、区内清掃、各戸点灯用電気工事、各戸消毒などで、目も回るような多忙な日々であった。当時、昼間の嘉陽の人口は工事業者や新聞記者、見物人を含めると約2倍に膨れあがっていた。
除幕式は、昭和39(1964)年9月8日、嘉陽に聖火が到着し、聖火台に赤々と聖火が燃え上がった直後に、嘉陽中学校の生徒によって行われた。
ところで、碑いは建立の年月日が1日早い9月7日となっている。これは、聖火を積んだ飛行機が香港から那覇へ向かうときに台風に遭い、到着が1日遅れたためであった。
今でも、聖火宿泊を記念して20kmロードレースが毎年行われている。
『聖火宿泊碑』の隣りには石碑が建てられており、《一九六四年九月七日 オリンピック東京大会の聖火 当地宿泊を記念する》と碑文が刻まれてます。
さらに小学校正門側には、聖火台も保存されていました☆
また、『聖火宿泊碑』から、国道331号線を挟んで向かい側には、『聖火のあとさき』と題された石碑も建てられていました☆
石碑は、白いフェンスで囲われており、フェンス内にはお花が植えられ、手入れが行き届いてましたねo(^-^)o
聖火は、1964年の9月9日の午前6時58分に沖縄を出発し、鹿児島に寄港し、宮崎を経由して千歳(北海道)に向かったんだそうです☆
アメリカ統治時代に、東京オリンピックで灯される聖火がヤンバルの小さな集落で宿泊したことは、集落の人々にとって、大変大きな誇りとなったことでしょうねo(⌒▽⌒)o
名護市嘉陽区を通りかかった際は、こちらにも足を止めて、ご覧になってみてはいかがでしょうか。。。ヽ(^。^)☆
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『聖火宿泊碑』☆
☆場所:〒905-2262
沖縄県名護市嘉陽(旧 嘉陽小学校正門隣り)
今日(23日)の沖縄本島は、朝方は結構強い雨が降ったりしてましたが、次第に晴れちゃいましたね( ̄▽ ̄)ノ
夕方頃、中北部方面を見ると、雨雲に覆われて、雨が降ってるみたいでしたが。。。
んで、明日(24日)の天気予報は、降水確率が30%となっており、一日中『曇り』となっております。。。
う~ん・・・ようやく天候が安定してきたと思ってたんですが、まだまだ安定しないみたいですね。。。ヽ(^。^;
釣行計画を練るのは、3月に入ってからにしようと思います(;^ω^)
さてさて☆
この前、名護市嘉陽にある『嘉陽上グスク』を見学した後、すぐ近くにある1964年オリンピック東京大会の聖火が宿泊したことを記念して建立された碑があったので、そちらもついでに見学してきました☆
沖縄県名護市嘉陽にある
『聖火宿泊碑』
聖火宿泊碑 |
1964(昭和39)年の10月10日に、東京オリンピックの開会式が行われたんですが、その約2カ月前の8月21日に、ギリシャのオリンピアにあるヘラ神殿跡で採火式が行われ、古代オリンピアの競技場にて安川組織委員会会長、高島文雄製菓空輸派遣団長らに聖火が引き継がれたんだそうです。
聖火宿泊碑☆ |
当時、沖縄はアメリカの占領下にあったんですが、沖縄が日本体育協会に加盟していたことから、聖火リレー特別委員会により、国内聖火リレーは沖縄から開始されることが決定していたんだとか。。。
聖火宿泊碑の碑文が刻まれた石碑 |
≪名護市嘉陽に「聖火宿泊碑」が建っている。これは昭和39(1964)年9月オリンピック東京大会の聖火が嘉陽に宿泊したことを記念して建立された碑である。
昭和38(1964)年4月嘉陽小中学校のPTA総会の時、「成果が嘉陽に宿泊するのを機会に、PTA記念行事として、聖火宿泊碑や五輪の池などをつくってはどうか」との提案が出され、会員の賛意を得てつくることに決定した。
久志村からの五百ドルの予算は、碑石代、運搬費、勒刻費にあて、嘉陽・安部区、嘉陽小中学校出身の高校生、中学生が夏休みに一日出て奉仕作業をしてくれた。聖火が到着する1ヶ月前は、学校の職員は校舎修理、ペンキ塗り替え、運動場の本格整備美化、仮宿泊所の増設、臨時シャワーの設置に、役所職員や区民は、道路整備、区内清掃、各戸点灯用電気工事、各戸消毒などで、目も回るような多忙な日々であった。当時、昼間の嘉陽の人口は工事業者や新聞記者、見物人を含めると約2倍に膨れあがっていた。
聖火台 |
ところで、碑いは建立の年月日が1日早い9月7日となっている。これは、聖火を積んだ飛行機が香港から那覇へ向かうときに台風に遭い、到着が1日遅れたためであった。
今でも、聖火宿泊を記念して20kmロードレースが毎年行われている。
『名護市役所公式HP 聖火宿泊碑』より引用≫
・・・と、書かれていました。『聖火宿泊碑』の隣りには石碑が建てられており、《一九六四年九月七日 オリンピック東京大会の聖火 当地宿泊を記念する》と碑文が刻まれてます。
さらに小学校正門側には、聖火台も保存されていました☆
国道を挟んで『聖火宿泊碑』の向かい側には『聖火のあとさき』と題された石碑 |
石碑は、白いフェンスで囲われており、フェンス内にはお花が植えられ、手入れが行き届いてましたねo(^-^)o
碑文 |
アメリカ統治時代に、東京オリンピックで灯される聖火がヤンバルの小さな集落で宿泊したことは、集落の人々にとって、大変大きな誇りとなったことでしょうねo(⌒▽⌒)o
名護市嘉陽区を通りかかった際は、こちらにも足を止めて、ご覧になってみてはいかがでしょうか。。。ヽ(^。^)☆
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
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☆『聖火宿泊碑』☆
☆場所:〒905-2262
沖縄県名護市嘉陽(旧 嘉陽小学校正門隣り)