ハイサ~イ☆
本日は『天皇誕生日』で祝日ですねぇ☆
今日の誕生日を迎えられて、天皇陛下は82歳になったんだそうですよo(^-^)o
お誕生日おめでとうございますm(_ _)m
これからも、ご健康でご活躍くださいますよう、願っておりますm(_ _)m
さてさて☆
今回は、前回のブログ記事の続きですo(^-^)o
沖縄県国頭郡恩納村仲泊比屋根原にある
遺跡の標柱の隣に説明板があったので、まずはそちらから目を通してみると・・・
≪この遺跡は、沖縄貝塚時代前期から後期に属す貝塚と首里王府当時の石畳道路により構成されています。
貝塚は二地点にあり、うち北方貝塚地点からは赤く焼けた床面をともなう岩陰住居跡が発掘されています。この種の遺構は沖縄における最初の発見として評価できます。
また、石畳道路は、国頭地方と首里を結ぶ西海岸沿いの主要道路の一部で、石畳は丘陵横断部をとくに堅固にするための施設とみられます。
本日は『天皇誕生日』で祝日ですねぇ☆
今日の誕生日を迎えられて、天皇陛下は82歳になったんだそうですよo(^-^)o
お誕生日おめでとうございますm(_ _)m
これからも、ご健康でご活躍くださいますよう、願っておりますm(_ _)m
さてさて☆
今回は、前回のブログ記事の続きですo(^-^)o
沖縄県国頭郡恩納村仲泊比屋根原にある
『仲泊遺跡』☆
明治時代の末期くらいまで利用されていた石畳道がある遺跡入口 |
≪この遺跡は、沖縄貝塚時代前期から後期に属す貝塚と首里王府当時の石畳道路により構成されています。
貝塚は二地点にあり、うち北方貝塚地点からは赤く焼けた床面をともなう岩陰住居跡が発掘されています。この種の遺構は沖縄における最初の発見として評価できます。
また、石畳道路は、国頭地方と首里を結ぶ西海岸沿いの主要道路の一部で、石畳は丘陵横断部をとくに堅固にするための施設とみられます。
昭和50年3月31日 沖縄県教育委員会≫
このガマがある場所から、石畳道を挟んで反対側にも、大きな洞口がありましたので、もしかするとその洞穴と内部で繋がってるのかもしれませんね。
この洞穴は、『仲泊遺跡洞穴群』と呼ばれてるらしく、内部はとても広くて、鍾乳洞などもあるみたいですよ。
沖縄戦の際には、ここも使用されてたようで内部にはトーチカもあるそうです。
自分は、ハブがいつ出てくるか分からないので、内部に入るのは遠慮しましたが。。。
この休憩所の前方一帯は、開けた場所になっていて、仲泊の海を一望することができます(^^♪
んで、オーシャンビューの絶景を楽しんだ後、休憩所横から延びる道に入って行ったんですが、ネットで検索すると、この道の先には、もう一ヵ所の『比屋根坂石畳道』があって、そのまま国道に出るとのことだったので、途中で引き返し、クルマに戻っちゃいました。
いかがでしたでしょうか?
この『仲泊遺跡』の近隣には、『恩納村博物館』や道の駅『おんなの駅 なかゆくい市場』もあるので、機会があれば、ぜひ一度足を運んでみてください(⌒▽⌒)ノ☆
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
・・・と、書かれてました。
また、恩納村の公式HPによると、この一帯は1609年の薩摩が侵攻してきた際に琉球王府との戦いの場となったという伝説の地にもなっているそうですよ!
標柱を後にして進むと、すぐに石畳道が始まり、道沿いには『比屋根坂石畳道』の説明板があります。
その説明板によると・・・
≪石畳道は、小字比屋根原の琉球石灰岩丘陵を越えるために敷設された旧道です。石畳道は丘陵上にはなく、東と西の傾斜地に蛇行して造られています。
ここは東側傾斜地の石畳道(約98m)で、西側傾斜地の石畳道は、首里王府時代の北部と中・南部を結ぶ主要道路で、現在残っている真栄田の一里塚と仲泊の一里塚を結ぶ歴史の道です。
丘陵上は景勝の地でイユミーバンタ(魚群を発見する崖上)もあります。
なお、丘陵上の石敷道路は環境整備で作った遊歩道です。
この『比屋根坂石畳道』を上り始めると、すぐ左側の崖の中腹には『仲泊遺跡第三貝塚』があります。
『比屋根坂石畳道』を上り始めると、すぐ左側に『仲泊遺跡第三貝塚』があります。 |
その説明板によると・・・
≪石畳道は、小字比屋根原の琉球石灰岩丘陵を越えるために敷設された旧道です。石畳道は丘陵上にはなく、東と西の傾斜地に蛇行して造られています。
ここは東側傾斜地の石畳道(約98m)で、西側傾斜地の石畳道は、首里王府時代の北部と中・南部を結ぶ主要道路で、現在残っている真栄田の一里塚と仲泊の一里塚を結ぶ歴史の道です。
丘陵上は景勝の地でイユミーバンタ(魚群を発見する崖上)もあります。
なお、丘陵上の石敷道路は環境整備で作った遊歩道です。
昭和53年3月31日 恩納村教育委員会≫
・・・と書かれてました。この『比屋根坂石畳道』を上り始めると、すぐ左側の崖の中腹には『仲泊遺跡第三貝塚』があります。
ここにも説明板が設置されてましたので、引用させていただきます。
≪岩陰内は沖縄の先史時代後期の住居址で、岩陰前面部は中期の貝塚です。
発掘前の岩陰内は風葬墓でありましたが、人骨・石棺・陶器棺などを移動してから発掘した結果、住居址が検出されました。
住居址は岩陰億では地山を切り取って、土面を平坦にし、通王に炉跡があり、前面部に柱穴が並んでいます。
このことから、岩陰の前面部に柱を立て、壁を作って、炉を中心に生活していたと考えられます。なお、住居址の一部と中期の貝塚の上部は石畳道をつくるときに壊され、その下部は石畳道のしたに残っています。
≪岩陰内は沖縄の先史時代後期の住居址で、岩陰前面部は中期の貝塚です。
発掘前の岩陰内は風葬墓でありましたが、人骨・石棺・陶器棺などを移動してから発掘した結果、住居址が検出されました。
住居址は岩陰億では地山を切り取って、土面を平坦にし、通王に炉跡があり、前面部に柱穴が並んでいます。
このことから、岩陰の前面部に柱を立て、壁を作って、炉を中心に生活していたと考えられます。なお、住居址の一部と中期の貝塚の上部は石畳道をつくるときに壊され、その下部は石畳道のしたに残っています。
昭和53年3月31日 恩納村教育委員会≫
さすがは、県内最大級の遺跡ですね。。。( ̄▽ ̄;
あっちこっちに説明板があって、一枚一枚読んでると、かなり時間が掛かってしまいます。。。(苦笑)
あっちこっちに説明板があって、一枚一枚読んでると、かなり時間が掛かってしまいます。。。(苦笑)
この第三貝塚を通過して、丘の頂上へ向かうと、石畳道がちょっと勾配がキツくなります。
急勾配の石畳道を登り切ると、すぐ左側に黒い手摺で囲われたガマがありました。
第三貝塚を過ぎると、だんだん勾配がキツくなります。。。 |
石畳道の説明板にあった通り、途中から急カーブになってました。 |
石畳道を上る途中で見える国道と仲泊の海♪ |
急カーブを曲がると、さらに石畳道が続いてました。 |
黒い手摺で囲われたガマ |
奥行きは結構深い感じがしましたね。 |
先ほどのガマから石畳道を挟んで反対側にあった洞穴 |
内部はかなり広いらしいですね。 |
沖縄戦の際には、ここも使用されてたようで内部にはトーチカもあるそうです。
自分は、ハブがいつ出てくるか分からないので、内部に入るのは遠慮しましたが。。。
んで、また石畳道に戻り、さらに上に向かって進むと、立派な休憩所があります。
右が休憩所で、左の道の先は、終点区間に『比屋根坂石畳道』の遺構があり、国道58号線に出ます。 |
休憩所。上に沖縄の守り神『シーサー』があります♪ |
休憩所前の様子☆ |
休憩所から原っぱを見たところ☆ |
今度は原っぱ側から休憩所を見たところ☆ |
休憩所前から見た景色♪遠くに真栄田岬が見えますねヽ(^。^)ノ♪ |
オーシャンビュー♪ |
遠くに本部半島がうっすら見えました♪ |
いかがでしたでしょうか?
この『仲泊遺跡』の近隣には、『恩納村博物館』や道の駅『おんなの駅 なかゆくい市場』もあるので、機会があれば、ぜひ一度足を運んでみてください(⌒▽⌒)ノ☆
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆