ハイサイ♪
沖縄本島は、今日(18日)もメチャクチャ良い天気で、最高気温が30℃を越えてたみたいですねΣ( ̄▽ ̄;!!
風はあるものの、日差しが強すぎて、かなり暑かったです。。。
予報では、今日の夜は『雨』となっているんですけど、また明日(19日)も一日中『晴れ』マークになっております(笑)
なので、明日の夜、天候が安定してたら、またまた夜釣りに行く予定でございます( ̄▽ ̄)ノ☆
さてさて☆
この前、中城村の国指定文化財『ハンタ道』周辺にある史跡を何ヵ所か回り、『県道開削記念碑』を見学した後、その日最後の史跡を見学しに向かいました。
沖縄県中頭郡中城村北上原にある
こちらは、中城村の県道29号線と32号線がぶつかる『南上原』の交差点から、県道29号線を北上していくと、『沖縄県消防学校』の標識がある信号を右折して、その『消防学校』も通過すると、左手に、自動販売機が2台並んで設置されてますので、その自販機の横から頂上へと続く階段の先にあります。
クルマを路肩に停めさせてもらい、さっそく階段から入っていくと・・・
ずーっとずーっと奥の方まで道が続いてましたね。。。(泣)Σ( ̄0 ̄;!!
しばらくして、道が直角に曲がっている地点に到着。。。
曲がってすぐの場所に、ようやく説明板を発見しました( ̄▽ ̄;
この説明板の右奥に、『キシマコノ嶽・161.8高地陣地』があります。
まずは、説明板を読んでみると・・・
≪この山の頂上一帯は、中城村奥間集落の発祥の地として知られており、旧集落の拝所や井戸跡が残っています。
1713年琉球王府によって編纂された『琉球国由来記』には「キシマコノ嶽」、神名「天次アマツギノ御イベ」と記されています。
現在、地元ではこの山を「シマクのウガン」または「ウガンモー」と呼んでいます。
また、この山の上には第二次世界大戦末期、日本軍が構築した監視所や塹壕等の陣地が残っており、当時の標高計測値が161.8mあったことから「161.8高地陣地」と呼ばれています。≫
・・・とありました。(説明板より引用)
説明書き横にあるハンタ道の『平面図』を見ると、『キシマコノ嶽・161.8高地陣地』に向かう途中に『古井戸跡』と表記されてました。
すると、実際に向かう途中、岩と岩の間に円形状に窪んだ場所があり、この場所意外には古井戸跡らしき場所は無かったので、たぶんこの場所が『古井戸跡』なのかなと。。。
んで、そこを通過して、少し急な勾配を上がっていくと・・・ありました!!
実は、こちらに到着した時、草刈り作業中の人達がいて、その中のお一人に話を聞いてみると、周辺の草木が生い茂ってたり、『キシマコノ嶽』上部にあるガジュマルの木の枝が伸び過ぎて、見学しづらくなっていたので、草刈り作業に来たとのことでした。
なので、ワタクシが見学に行った時は、さっぱり綺麗になっており、メッチャ見学しやすかったですよん(^_-)-☆
まずは、『キシマコノ嶽』から。
岩の下の方には穴があいており、入口が狭かったので中には入りませんでしたが、ちょこっと覗いてみると、とても広い感じがしました。
この空洞は、『161.8高地陣地』の塹壕だったみたいで、この一帯には、小さな壕もいくつかあるみたいですね。
空洞入口には、イビと呼ばれる香炉が設けられており、拝所になっています。
続いては、『161.8高地陣地』の監視哨(トーチカ)。
塹壕横から、ゆっくり登っていくと。。。
だいぶ劣化が進んではいるものの、比較的綺麗な状態で保存されてましたね。
この銃眼から、監視したり、銃口を出して応戦したりしてたんですねぇ。。。
こちらでの戦闘は、1945年4月5日・6日の二日間に渡って行われたみたいですが、迫りくる米軍を善戦して撃退したんだそうですよ。
しかし、こちらでの戦闘はかなりの激戦だったらしく、守備していた総員は約100~150名くらいいたみたいですが、生き延びた兵は、わずか20名あまりだったとのことです。。。
この監視哨(トーチカ)出入り口横には、その上に上がれる階段があります。
さすがに屋根には登りませんでしたが、注意しながら少し上がってみると・・・
東側は、勝連半島方面が一望でき、西側は、現在の北谷町や宜野湾市、浦添市方面を一望できましたね!!
・・・と!今回の『ハンタ道』散策は、ここで終了致しました。
まだまだ『ハンタ道』の周辺やその他の中城村内には、いろんな史跡があるみたいなので、また時間を作って散策しに行きたいと思いますヽ(^。^)ノ
今回は、かなり長くなってしまいましたが、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『キシマコノ嶽・161.8高地陣地』☆
☆場所:〒901-2423
沖縄県中頭郡中城村北上原
☆時間:自由見学
☆駐車場無し
沖縄本島は、今日(18日)もメチャクチャ良い天気で、最高気温が30℃を越えてたみたいですねΣ( ̄▽ ̄;!!
風はあるものの、日差しが強すぎて、かなり暑かったです。。。
予報では、今日の夜は『雨』となっているんですけど、また明日(19日)も一日中『晴れ』マークになっております(笑)
なので、明日の夜、天候が安定してたら、またまた夜釣りに行く予定でございます( ̄▽ ̄)ノ☆
さてさて☆
この前、中城村の国指定文化財『ハンタ道』周辺にある史跡を何ヵ所か回り、『県道開削記念碑』を見学した後、その日最後の史跡を見学しに向かいました。
沖縄県中頭郡中城村北上原にある
『キシマコノ嶽・161.8高地陣地』
自販機横の手すりがある階段から『キシマコノ嶽・161.8高地陣地』へ向かいます。 道路左側の白い部分が『ハンタ道』。階段からまた『道』が続きます。 |
クルマを路肩に停めさせてもらい、さっそく階段から入っていくと・・・
ずーっとずーっと奥の方まで道が続いてましたね。。。(泣)Σ( ̄0 ̄;!!
『キシマコノ嶽』は、まだまだ先です・・・ |
曲がってすぐの場所に、ようやく説明板を発見しました( ̄▽ ̄;
説明板発見♪ヽ(^。^)ノ |
まずは、説明板を読んでみると・・・
≪この山の頂上一帯は、中城村奥間集落の発祥の地として知られており、旧集落の拝所や井戸跡が残っています。
1713年琉球王府によって編纂された『琉球国由来記』には「キシマコノ嶽」、神名「天次アマツギノ御イベ」と記されています。
『キシマコノ嶽・161.8高地陣地』に続く道 手前側の岩がある部分が円形状に窪んでた場所が、古井戸跡なのかなと。。。 |
また、この山の上には第二次世界大戦末期、日本軍が構築した監視所や塹壕等の陣地が残っており、当時の標高計測値が161.8mあったことから「161.8高地陣地」と呼ばれています。≫
・・・とありました。(説明板より引用)
説明書き横にあるハンタ道の『平面図』を見ると、『キシマコノ嶽・161.8高地陣地』に向かう途中に『古井戸跡』と表記されてました。
すると、実際に向かう途中、岩と岩の間に円形状に窪んだ場所があり、この場所意外には古井戸跡らしき場所は無かったので、たぶんこの場所が『古井戸跡』なのかなと。。。
んで、そこを通過して、少し急な勾配を上がっていくと・・・ありました!!
下部の琉球石灰岩部分が『キシマコノ嶽』 上部が『161.8高地陣地』の監視哨(トーチカ) |
なので、ワタクシが見学に行った時は、さっぱり綺麗になっており、メッチャ見学しやすかったですよん(^_-)-☆
まずは、『キシマコノ嶽』から。
キシマコノ嶽 |
この空洞は、『161.8高地陣地』の塹壕だったみたいで、この一帯には、小さな壕もいくつかあるみたいですね。
空洞入口には、イビと呼ばれる香炉が設けられており、拝所になっています。
『キシマコノ嶽』のイビ(香炉)と『161.8高地陣地』の塹壕 |
塹壕横から、ゆっくり登っていくと。。。
だいぶ劣化が進んではいるものの、比較的綺麗な状態で保存されてましたね。
『161.8高地陣地』の監視哨(トーチカ) |
監視哨内部 |
北側の銃眼 |
東側の銃眼。この下に大きな岩があったので、それが落ちてこの穴があいたのでは。。。 |
西側の銃眼 |
こちらでの戦闘は、1945年4月5日・6日の二日間に渡って行われたみたいですが、迫りくる米軍を善戦して撃退したんだそうですよ。
しかし、こちらでの戦闘はかなりの激戦だったらしく、守備していた総員は約100~150名くらいいたみたいですが、生き延びた兵は、わずか20名あまりだったとのことです。。。
監視哨(トーチカ)入口横から上に延びる階段があります。 |
さすがに屋根には登りませんでしたが、注意しながら少し上がってみると・・・
東側は、勝連半島方面が一望でき、西側は、現在の北谷町や宜野湾市、浦添市方面を一望できましたね!!
勝連半島方面 |
中城村新垣集落方面 |
奥:北谷町方面。手前側:宜野湾市 |
浦添市方面。『沖縄電力』の煙突が見えます。 |
まだまだ『ハンタ道』の周辺やその他の中城村内には、いろんな史跡があるみたいなので、また時間を作って散策しに行きたいと思いますヽ(^。^)ノ
今回は、かなり長くなってしまいましたが、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『キシマコノ嶽・161.8高地陣地』☆
☆場所:〒901-2423
沖縄県中頭郡中城村北上原
☆時間:自由見学
☆駐車場無し
☆トイレ無し