どぉ~もぉ~☆
昨日、沖縄本島は台風15号の接近に伴い、暴風雨が吹き荒れた一日でした。。。
ワタクシの所は、幸い被害がなかったので、ホッとしましたが、石垣島を始め、県内各地では大きな被害が出ているようです(>_<ξ
一日も早く復旧してほしいものですね・・・
さてさて☆
以前、西原町棚原にある『棚原グスク』を見学した後、グスク近くにある史跡も見学してきました♪
自宅に戻り、ちょこっと調べてみると、この史跡には竜宮にまつわる民話があるんだとか・・・
沖縄県中頭郡西原町棚原にある
こちらも、『棚原グスク』に向かう時と同じように、西原町棚原の北側の県道34号線沿いにある『アパートメントユニバーシティー』とゆーアパートの脇道から入り、しばらく真っ直ぐ進んでいくと、右手側にあります。
拝殿の中には祭壇が設けられ、ミルク(弥勒)神が祀られている。その左側には国元の神とニレー神の香炉が安置されている。拝殿の前には打ち水などに利用されている井戸と、一抱えほどもある自然石がある。≫
・・・とありました。
また、≪伝承によると、そこに祀られている神々はユーヌ神(世の神)でもあるので、旅立ちの時にはここを参拝する慣わしがあった。棚原のミルク祭は、酉年の旧暦8月15日にミルク加奈志の誕生を祝って行われる。棚原の弥勒信仰は、首里から伝わったと言われている。≫とも書かれていました。
この『棚原ノロ殿内』の裏手側に、林の中へと続く階段があります。
そこを上がっていくと、『マニシカニービ御嶽(上ヌ嶽)』とゆー拝所があります。
琉球国の歴史を記した史書『球陽(きゅうよう)』の外巻となっている『遺老説伝』には、この御嶽の古くから伝わる民話が記されているとのこと。。。
昔、西原邑棚原に、稲福婆(いなふくばぁ)というノロがいました。
ある日、他のノロ(祝女)達と一緒に金鼓(ちんく:命令伝達や宮殿・寺院などで通知伝達に用いた鉦と太鼓)を鳴らしながら、神歌(おもろ)を唱え、上ヌ嶽の前で神遊びをしていると、突如、稲福婆がいなくなりました。
一緒にいた他のノロや村人達が総出で、村内を探し回りましたが、見つけることができず、稲福婆は、行方不明になってしまいました。
その事件から3年経ったある日、我謝村に住んでいる『鍛冶屋大主(かじやうふしゅ)』という人物が、海で釣りをしていると、漂流している人の形をしたものを見つけました。
よく見てみると、漂流していたのは人間で、頭には髪の毛が全く無く、全身には貝がくっ付いていました。
その人間は、大主に『私は稲福婆です。神遊びをしている時に竜宮へ連れて行かれました。しかし、そこでの食べ物は貝しかありませんでした。』と話し、黄色い物を吐き出しました。
大主は、すぐさま稲福婆を介抱し助けてあげました。
その話を聞きつけた人々は、稲福婆が竜宮から来たので『儀来婆(ぎらいばあ)』と呼ばれました。竜宮は『儀来河内(ぎらいかない)』と言われていたので、そう呼ばれるようになったそうです。
村人たちや身内の者は、竜宮での話を聞きたいと、稲福婆のもとへやってきましたが、稲福婆は一切話すことはありませんでした。
やがて、稲福婆のウワサは、首里まで広がり、ついに王様の耳にも伝わりました。
王様は、竜宮での話をぜひ聞きたいと、稲福婆をお城に呼び寄せました。すると、今度は、お城にたくさんの人々が殺到してしまいました。
野次馬達が騒いでいるのを見た稲福婆は、両脇に手を挟んだ瞬間、忽然とどこかへ消えてしまいました。
身内の者や村人たちが、またもや消えてしまった稲福婆を探し回ると、今度は上ヌ嶽で見つけることが出来ました。
・・・と、ちょっと長くなりましたが、ここまでがこの上ヌ嶽にまつわる民話です。
この『棚原ノロ殿内』から『棚原グスク』へ向かう途中の貯水タンク手前には、『火之神』が祀られている『殿小(とぅんぐわー)』という拝所もあります。
こちらも、西原町のHPによると、18世紀の史料にも記されている拝所なんだそうで、現在でも、棚原の人々によって拝まれているんだそうですよ。
この『棚原ノロ殿内』と『上ヌ嶽』、そして『殿小』は、『棚原グスク』のすぐ近くにあるので、『棚原グスク』と一緒に見学してみてはいかがでしょうか?
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『棚原ノロ殿内・上ヌ嶽』『殿小』☆
☆場所:〒903-0126
沖縄県中頭郡西原町棚原140ー1
☆時間:自由見学(但し、ノロ殿内の内部は見学不可)
☆入場料無料
☆駐車場無し
昨日、沖縄本島は台風15号の接近に伴い、暴風雨が吹き荒れた一日でした。。。
ワタクシの所は、幸い被害がなかったので、ホッとしましたが、石垣島を始め、県内各地では大きな被害が出ているようです(>_<ξ
一日も早く復旧してほしいものですね・・・
さてさて☆
以前、西原町棚原にある『棚原グスク』を見学した後、グスク近くにある史跡も見学してきました♪
自宅に戻り、ちょこっと調べてみると、この史跡には竜宮にまつわる民話があるんだとか・・・
沖縄県中頭郡西原町棚原にある
『棚原ノロ殿内』
棚原ノロ殿内 |
殿内のすぐ隣には、ゲートボール場がありますので、すぐ分かると思います♪
西原町のHPによると・・・
≪ノロ殿内は、マニシカニービ御嶽(上ヌ嶽)の聖地へ向かう手前に位置し、拝殿そのものは近年改修され、かなり立派なものになっている。
≪ノロ殿内は、マニシカニービ御嶽(上ヌ嶽)の聖地へ向かう手前に位置し、拝殿そのものは近年改修され、かなり立派なものになっている。
拝殿の中には祭壇が設けられ、ミルク(弥勒)神が祀られている。その左側には国元の神とニレー神の香炉が安置されている。拝殿の前には打ち水などに利用されている井戸と、一抱えほどもある自然石がある。≫
・・・とありました。
ノロ殿内に向かって左側にある自然石 |
右側にある『打ち水などに利用されている井戸』 |
この『棚原ノロ殿内』の裏手側に、林の中へと続く階段があります。
そこを上がっていくと、『マニシカニービ御嶽(上ヌ嶽)』とゆー拝所があります。
ノロ殿内裏側から『マニシカニービ御嶽(上ヌ嶽)』へと続く階段 |
マニシカニービ御嶽(上ヌ嶽)〔神名:コバヅカサノ御イベ〕 |
昔、西原邑棚原に、稲福婆(いなふくばぁ)というノロがいました。
ある日、他のノロ(祝女)達と一緒に金鼓(ちんく:命令伝達や宮殿・寺院などで通知伝達に用いた鉦と太鼓)を鳴らしながら、神歌(おもろ)を唱え、上ヌ嶽の前で神遊びをしていると、突如、稲福婆がいなくなりました。
一緒にいた他のノロや村人達が総出で、村内を探し回りましたが、見つけることができず、稲福婆は、行方不明になってしまいました。
その事件から3年経ったある日、我謝村に住んでいる『鍛冶屋大主(かじやうふしゅ)』という人物が、海で釣りをしていると、漂流している人の形をしたものを見つけました。
よく見てみると、漂流していたのは人間で、頭には髪の毛が全く無く、全身には貝がくっ付いていました。
その人間は、大主に『私は稲福婆です。神遊びをしている時に竜宮へ連れて行かれました。しかし、そこでの食べ物は貝しかありませんでした。』と話し、黄色い物を吐き出しました。
上ヌ嶽(グスクヌチジ・グスクヌチヂとも言われるんだそうです) |
その話を聞きつけた人々は、稲福婆が竜宮から来たので『儀来婆(ぎらいばあ)』と呼ばれました。竜宮は『儀来河内(ぎらいかない)』と言われていたので、そう呼ばれるようになったそうです。
村人たちや身内の者は、竜宮での話を聞きたいと、稲福婆のもとへやってきましたが、稲福婆は一切話すことはありませんでした。
やがて、稲福婆のウワサは、首里まで広がり、ついに王様の耳にも伝わりました。
王様は、竜宮での話をぜひ聞きたいと、稲福婆をお城に呼び寄せました。すると、今度は、お城にたくさんの人々が殺到してしまいました。
野次馬達が騒いでいるのを見た稲福婆は、両脇に手を挟んだ瞬間、忽然とどこかへ消えてしまいました。
身内の者や村人たちが、またもや消えてしまった稲福婆を探し回ると、今度は上ヌ嶽で見つけることが出来ました。
・・・と、ちょっと長くなりましたが、ここまでがこの上ヌ嶽にまつわる民話です。
この『棚原ノロ殿内』から『棚原グスク』へ向かう途中の貯水タンク手前には、『火之神』が祀られている『殿小(とぅんぐわー)』という拝所もあります。
殿小(とぅんぐわー) |
『火之神』が祭られています。 |
この『棚原ノロ殿内』と『上ヌ嶽』、そして『殿小』は、『棚原グスク』のすぐ近くにあるので、『棚原グスク』と一緒に見学してみてはいかがでしょうか?
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『棚原ノロ殿内・上ヌ嶽』『殿小』☆
☆場所:〒903-0126
沖縄県中頭郡西原町棚原140ー1
☆時間:自由見学(但し、ノロ殿内の内部は見学不可)
☆入場料無料
☆駐車場無し
☆トイレ:無し
※詳しくは、西原町の『生涯学習課』へお問い合わせください。
※詳しくは、西原町の『生涯学習課』へお問い合わせください。