◎王族や鬼大城などの有力者が城主となったグスク☆|沖縄放浪日記

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2015年7月25日土曜日

◎王族や鬼大城などの有力者が城主となったグスク☆

どぉ~もぉ~☆

予報によると、25日のお昼過ぎくらいから、70㎜を超す大雨になる恐れがあるとのことでしたが、沖縄本島中南部は、ほとんど雨は降りませんでしたね。。

本島北部は、暴風警報が出ていたみたいですが、中南部は普段より風が少し強くて、雨も小雨くらいで、大きな被害もなく台風12号が通過してくれたので、ホッとしております!(^^)!

さてさて☆

以前、沖縄市知花にある『知花グスク』を調べてた時に、勝連城城主『阿麻和利』を倒した『鬼大城』が、阿麻和利討伐後に、王府から越来間切の総地頭職を命ぜられ、移り住んだ『グスク』があるとの記述を見つけました♪

その『鬼大城』が総地頭職を務めたとされる『グスク』にも、ぜひ行ってみたかったので、昨日、本島中部方面に出かけたついでに行ってきました!(^^)!

沖縄県沖縄市越来にある
『越来グスク跡(ごえくぐすくあと)
越来グスク跡(城前児童公園)
こちらは、沖縄市の国道330号線(通称サンサン通り)沿いにある『越来城水辺公園』すぐ横の一方通行の道に入り、そのまま直進して行くと、左手にあります☆

『越来グスク』は、地元では『ギイクグシク』とも呼ばれていて、築城主は不明、築城年も11世紀とも15世紀とも言われてるみたいで、正確なことはわかっていないみたいですね。
園内の様子
かつては、現在の標高よりも高い山だったみたいですが、沖縄戦の最中や戦後の駐留した米軍に破壊されてしまい、城郭などの名残は微塵も見当たりません。。。

発掘調査を進めるにつれ、陶磁器や刀の鍔(つば)、鉄釘などが数多く出土し、掘立柱建物跡と考えられる柱の穴も発見され、琉球史上重要な位置を占める『グスク』であったことまではわかっているとの事。
越来城拝所の隣には小さな祠の拝所も1基建てられてました。
ですが、グスク全体を知る手掛かりとなる外壁の石積みは確認されておらず、まだまだ不明なことが多く残っているようです。
越来拝所の中には『火の神』と『越来城殿』と刻まれた石碑が納められていました。
地元では『ギークヌウガンジュ』と呼ばれているそうです。
現在は、『城前自動公園』として整備・保存され、地域の人達にとって、『ウマチー』などの重要な祭祀の場であり、憩いの場として大切に利用されています。
園内に設置された越来グスク関連年表
沖縄本島・中頭のほぼ中央に位置する『越来グスク』には、第一尚氏第六代目の王『尚泰久(しょうたいきゅう)』やその子『尚徳(しょうとく)』、第二尚氏第二代目の王『尚宣威(しょうせんい)』、そして阿麻和利を討伐した『鬼大城(大城賢雄)』などが住んでいたそぉです。
公園内の展望台
『尚泰久』や『尚宣威』などの王族は、『越来王子』と称され、『鬼大城(大城賢雄)』は『越来親方(ごえくうぇーかた)』と称されていたとの事。
展望台からの景色①
パノラマ撮影してみました♪
以前はもっと高い丘の上に築かれ、護佐丸の中城城、阿麻和利の勝連城のほぼ中間に位置していることから、当時は大規模な『グスク』だったのでは・・・と、考えられているみたいですね。

この『越来グスク』周辺の越来地域一帯には、18世紀前半に、かの有名な『ライト兄弟』よりも100年以上前に空を飛んだと言われてる『飛び安里』の生家跡を始め、多くの拝所や井戸などの史跡・遺跡が残されています。

今回は、ちょっと時間が無かったので2ヶ所しか回ることができませんでしたが、また今度、時間を作ってゆっくり散策してみたいと思います( ̄▽ ̄)ノ
石碑の裏側
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『越来グスク跡(城前児童公園)』☆

☆場所:〒904-0002
      沖縄県沖縄市城前町14

☆時間:自由見学

☆入場料無料

☆駐車場無し

☆トイレ有り