ハイサぁ~イ(´▽`)ノ
今日・明日の二日間は、沖縄県浦添市にある『浦添運動公園』にて、『第38回 浦添てだこまつり』が開催されています。
メイン会場は『浦添運動公園』となっており、その他同市内の『牧港漁港』、『浦添市てだこホール』などでは、ハーリーやエイサーなどの催し物が行われる予定になっています♪
両日とも、祭りの最後には、花火ショーもありますので、お時間ある方は、ぜひ遊びに行ってみてはいかがでしょうか?
ワタクシは、明日は用事があって行けないので、今日の夜にでも、久しぶりに行ってみようかと思っておりますヽ(^。^)♪
さてさて☆
この前、『経塚の碑』を見に行った後、今度は、琉球国第13代国王『尚敬王』の冊封儀礼の際に初演された『組踊』の創始者が眠るお墓を見に行ってきました☆
沖縄県浦添市前田にある
こちらは、浦添市の県道38号線沿いにある『浦添警察署』から、浦添市経塚方面に伸びる道に入り、そのまま直進していくと、『前田トンネル』とゆーめがねトンネルが見えてきます。
『玉城朝薫の墓』は、この『前田トンネル』の真上にあります。
玉城朝薫の家系は、代々玉城間切(現在の南城市玉城区)の総地頭職を務めていたことから、『玉城(たまぐすく)』と名乗っていたそぉですが、朝薫の子孫の代に家名を『邊土名(へんとな)』に改名したの事。
玉城朝薫は、琉球国第二尚氏王統の人物で、首里王府の命を受け、中国からの冊封使を歓待するために踊奉行となり、『組踊』を初めて創作した人物なんだそうです。
この『組踊』は、1719年、琉球第2尚氏王朝第13代国王である『尚敬王』の冊封儀礼の際に、首里城にて初めて演じられました。
『組踊』とは、台詞・舞踊・音楽・所作で構成された歌舞劇なんだそぉです。
朝薫は、その生涯の中で、薩摩や江戸に公務で7回出かけていたとか。
その際に、能や狂言、歌舞伎といった日本芸能を鑑賞し、また、琉球国内では中国戯曲を鑑賞したりして、そこからヒントを得て、琉球古来の芸能や故事を基に創作していったとの事です。
朝薫が創作した組踊は、『二童敵討(にどうてぃちうち)』・『執心鐘入(しゅうしんかにいり)』・『銘苅子(みかるしぃ)』・『女物狂(うんなむぬぐるい)』・『孝行の巻(こうこうぬまき)』の五題で、《朝薫の五番》と呼ばれているそぉです。
《朝薫の五番》は、「組踊は朝薫に始まり朝薫に終わる」と言われる程、完成度が高いようで、後に作られた多くの組踊の規範となっているみたいですよ。
『組踊』は、1972年5月15日、沖縄が日本へ復帰すると同時に、国の重要無形文化財に指定され、2010年11月16日には、沖縄県内から初となるユネスコの無形文化遺産リストに登録されたんだとか。。。
朝薫の後にも、踊奉行らによって『組踊』が創作されていったみたいで、現在確認されている『組踊』は約70作品あるそうです。また、一方では新作の『組踊』も発表されているんだそうですよ。
・・・と!話をお墓に戻しまして(^^;
このお墓は、実は朝薫個人のお墓ではなく、朝薫も含めた向氏辺土名殿内の歴代墓(家族墓)のようです。
もともと、玉城朝薫は、首里石嶺町にあった《一ツ墓》と呼ばれる個人のお墓に葬られていたそうなんですが、1899年に厨子甕(ジーシガーミ)の整理が行われ、そこからこちらのお墓に厨子甕ごと移送されたと考えられているんだとか。。。
『玉城朝薫の墓』は、亀甲墓が造られ始めた17世紀後半~18世紀前半に造られたと考えられているみたいです。
説明板によると、《内部は石を積んで壁や天井を組み上げており、天井は四本の柱で支えられています≫とありました。
現在の『玉城朝薫の墓』は、1988年に発掘調査が行われ、1995年には浦添市の史跡に指定されたんだとか。
また、沖縄戦で甚大な被害を被っていたため、2005年に修復工事が行われ、往年の姿に復元されたんだそうです。
墓様式は亀甲墓の祖型となっていて、墓庭の石積みや縁石に曲線を多様しているのは、沖縄県内でも大変珍しい構造との事。
組踊の祖であり劇聖と言われた玉城朝薫が眠るお墓だけに、とても芸術的で綺麗なお墓でしたね。
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『玉城朝勲の墓(邊土名家の墓)』☆
☆場所:〒901-2102
沖縄県浦添市字前田
☆時間:自由見学
☆入場料無料
☆駐車場無し
☆トイレ無し
今日・明日の二日間は、沖縄県浦添市にある『浦添運動公園』にて、『第38回 浦添てだこまつり』が開催されています。
メイン会場は『浦添運動公園』となっており、その他同市内の『牧港漁港』、『浦添市てだこホール』などでは、ハーリーやエイサーなどの催し物が行われる予定になっています♪
両日とも、祭りの最後には、花火ショーもありますので、お時間ある方は、ぜひ遊びに行ってみてはいかがでしょうか?
ワタクシは、明日は用事があって行けないので、今日の夜にでも、久しぶりに行ってみようかと思っておりますヽ(^。^)♪
さてさて☆
この前、『経塚の碑』を見に行った後、今度は、琉球国第13代国王『尚敬王』の冊封儀礼の際に初演された『組踊』の創始者が眠るお墓を見に行ってきました☆
沖縄県浦添市前田にある
『玉城朝薫の墓(邊土名家の墓)』
《たまぐすくちょうくんのはか(へんとなけのはか)》
《たまぐすくちょうくんのはか(へんとなけのはか)》
玉城朝薫の墓の下にある『前田トンネル』 |
『玉城朝薫の墓』は、この『前田トンネル』の真上にあります。
玉城朝薫の墓へと続く階段入口☆ |
玉城朝薫は、琉球国第二尚氏王統の人物で、首里王府の命を受け、中国からの冊封使を歓待するために踊奉行となり、『組踊』を初めて創作した人物なんだそうです。
この『組踊』は、1719年、琉球第2尚氏王朝第13代国王である『尚敬王』の冊封儀礼の際に、首里城にて初めて演じられました。
お墓へと続く遊歩道途中にある説明板 |
朝薫は、その生涯の中で、薩摩や江戸に公務で7回出かけていたとか。
その際に、能や狂言、歌舞伎といった日本芸能を鑑賞し、また、琉球国内では中国戯曲を鑑賞したりして、そこからヒントを得て、琉球古来の芸能や故事を基に創作していったとの事です。
玉城朝薫の墓:正面 |
《朝薫の五番》は、「組踊は朝薫に始まり朝薫に終わる」と言われる程、完成度が高いようで、後に作られた多くの組踊の規範となっているみたいですよ。
『組踊』は、1972年5月15日、沖縄が日本へ復帰すると同時に、国の重要無形文化財に指定され、2010年11月16日には、沖縄県内から初となるユネスコの無形文化遺産リストに登録されたんだとか。。。
玉城朝薫の墓:左側から 左手前の台座は、以前、石碑が建てられていたみたいですが、沖縄戦で破壊されてしまったんだとか。。。 |
・・・と!話をお墓に戻しまして(^^;
このお墓は、実は朝薫個人のお墓ではなく、朝薫も含めた向氏辺土名殿内の歴代墓(家族墓)のようです。
もともと、玉城朝薫は、首里石嶺町にあった《一ツ墓》と呼ばれる個人のお墓に葬られていたそうなんですが、1899年に厨子甕(ジーシガーミ)の整理が行われ、そこからこちらのお墓に厨子甕ごと移送されたと考えられているんだとか。。。
玉城朝薫の墓:右側から |
現在の『玉城朝薫の墓』は、1988年に発掘調査が行われ、1995年には浦添市の史跡に指定されたんだとか。
また、沖縄戦で甚大な被害を被っていたため、2005年に修復工事が行われ、往年の姿に復元されたんだそうです。
墓様式は亀甲墓の祖型となっていて、墓庭の石積みや縁石に曲線を多様しているのは、沖縄県内でも大変珍しい構造との事。
組踊の祖であり劇聖と言われた玉城朝薫が眠るお墓だけに、とても芸術的で綺麗なお墓でしたね。
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『玉城朝勲の墓(邊土名家の墓)』☆
☆場所:〒901-2102
沖縄県浦添市字前田
☆時間:自由見学
☆入場料無料
☆駐車場無し
☆トイレ無し