いやぁ~☆今日は、メッチャ良い天気でしたねぇ~(≧▽≦)ノ♪
少し風が強くて、少々肌寒かったりしましたが、沖縄晴れって感じで超ぉ~気持ち良かったです♪
ってか、昨日は、ちょっとしたトラブルがあって、ブログの更新が遅くなりましたヽ(^。^;
いちおー改善できたので、良かったです!(^^)!
さてさて☆
今日は、以前お話した『伊祖城跡』の続きです♪
沖縄県浦添市伊祖にある
少し風が強くて、少々肌寒かったりしましたが、沖縄晴れって感じで超ぉ~気持ち良かったです♪
ってか、昨日は、ちょっとしたトラブルがあって、ブログの更新が遅くなりましたヽ(^。^;
いちおー改善できたので、良かったです!(^^)!
さてさて☆
今日は、以前お話した『伊祖城跡』の続きです♪
沖縄県浦添市伊祖にある
県指定史跡『伊祖城跡(いそじょうせき)』☆
それからまた来た道を戻り、今度は、先程二つに分かれていた、もぉ一方の広場に抜ける遊歩道を下って行きました。
ってか、こちらの遊歩道は、結構ゴツゴツしてて、とても歩きにくいんです。。。
しかも、あっちこっちひび割れしてて、ちょっと気を抜くと、足をとられてしまいます。。。(>_<)ξ
なので、こちらに来る際は、運動靴なんかがベストですね。。。(^-^;
『伊祖神社(英祖ノ宮)』から鳥居を見たところ☆ |
『伊祖神社(英祖ノ宮)』や見張り所跡などを見て回ったあと、今度は城跡の南側に行ってみることにしました☆
この石畳の道は、たぶん、昔のままの道なので、超ぉ~歩きにくい・・・
ゆっくり気をつけながら歩いてくと、すぐに2郭へと出ましたヽ(^。^)ノ
伊祖城跡の2郭☆右側奥の方からこちらへ出てきました♪ |
すると、今度は2郭から延びる遊歩道が二手に分かれていて、1つは北側の下の方へ、もぉ一方は、南の方へと延びているので、この日は南側へ行きました( ̄▽ ̄)σ
北側の下の方へ降りてく遊歩道へは、後日改めて行ってみました(^^)b
南側へ続く遊歩道☆ |
遊歩道を南側へ歩いて行くと、またまた二手に分かれていて、右側の石段になっている道へ進んでいくと・・・
大きな電線の鉄塔があり、そのすぐ手前側の左側から上がって行ける道を発見!
そこをちょこっと上がると、今度は小さな祠がありました☆ヽ(^。^)ノ
左に行くと、公園の広場へ☆右に行くと鉄塔と祠へ行けます☆ |
鉄塔の側にあった祠♪ |
あとで調べてみると、この祠は、伊祖村の守り神のシーサーが納められている獅子小屋でした♫
中には、シーサーが二頭納められていましたよ( ̄▽ ̄)ノ☆
もちろん、ちゃんと手を合わせて、挨拶と感謝を伝えました(^人^)♪
それからまた来た道を戻り、今度は、先程二つに分かれていた、もぉ一方の広場に抜ける遊歩道を下って行きました。
守り神の二頭のシーサー☆ 見えるでしょーか・・・? |
しかも、あっちこっちひび割れしてて、ちょっと気を抜くと、足をとられてしまいます。。。(>_<)ξ
なので、こちらに来る際は、運動靴なんかがベストですね。。。(^-^;
『伊祖公園』の広場♪ |
んで、遊歩道を下って行くと、下の方は、結構綺麗に整備されていて、ワタクシ達が訪れた時は、ゲートボールを楽しまれてる方達がいらっしゃいましたよ♪
この広場の横に、おっきなガジュマル(クワ科の常緑高木)があって、その傍らには『おもろの碑』とゆー石碑がありました。
『おもろの碑』☆ |
≪ゑぞのいくさもい 月のかずあすびたち とももとわかてだはやせ
いぢへきいくさもい なつはしげちもる ふよはおざけもる≫
《おもろさうし 巻15より》
{伊祖のイクサ思い 月毎に 遊びを催し とこしえに若てだ栄やせ すぐれたイクサ思い 夏は神酒を盛る 冬は御酒を盛る}
{ゑぞのいくさもい(英祖王の童名)}が、夏も冬もわかたず、毎月のように酒盛りをするほど、豊かな世を実現した}と讃美したものなんだそぉです☆
【{ }内、説明板より抜粋・引用】
いかがでしたでしょーか?
英祖王の父祖代々の居城をご紹介しましたが、英祖王は、母親が夢の中で、太陽を飲みこむのを見て生まれたことから、『てぃだこ(太陽の子)』とも呼ばれたんだそぉです。
英祖王の父『恵祖』が、『太陽(てぃだ)』であったとゆー伝説から、英祖王は『太陽の子』⇒『てだこ』と呼ばれた所以なんだそぉです。
舜天王統から禅譲《天子(皇帝)が血縁者でない、位の高い人物に、地位を譲ること)》を受けて5代90年もの間、英祖王統を築いたとされてます。
また、『浦添』は、琉球王朝発祥の地でもあり、《津々浦々をおそう(諸国を支配する)》と言う意味で、それが、『ウラオソイ』⇒『ウラシイ』⇒『ウラソエ』になったとされているんだそぉですよ☆
いやぁ~☆今回も、いろいろな発見や勉強になりました♪
それではこの辺で。。。でわでわ☆★☆
英祖王の父祖代々の居城をご紹介しましたが、英祖王は、母親が夢の中で、太陽を飲みこむのを見て生まれたことから、『てぃだこ(太陽の子)』とも呼ばれたんだそぉです。
英祖王の父『恵祖』が、『太陽(てぃだ)』であったとゆー伝説から、英祖王は『太陽の子』⇒『てだこ』と呼ばれた所以なんだそぉです。
舜天王統から禅譲《天子(皇帝)が血縁者でない、位の高い人物に、地位を譲ること)》を受けて5代90年もの間、英祖王統を築いたとされてます。
また、『浦添』は、琉球王朝発祥の地でもあり、《津々浦々をおそう(諸国を支配する)》と言う意味で、それが、『ウラオソイ』⇒『ウラシイ』⇒『ウラソエ』になったとされているんだそぉですよ☆
いやぁ~☆今回も、いろいろな発見や勉強になりました♪
それではこの辺で。。。でわでわ☆★☆