今回は、久しぶりに史跡のご紹介です(笑)。
前回、南城市知念字久手堅にある『久高島そば家』をご紹介しましたが、そちらで食事を終えた後、まだ少し時間があったんで、帰りがけにどこかの史跡を見学してから帰ろうってことになり、同市玉城百名にある琉球の創世神『アマミキヨ』が沖縄本島に最初に降り立ったとされる場所と、一時的に居を構えた地と伝わる史跡へ行ってみることにしました。
(※参考⇒コトバンク『アマミキヨ』)
当初は、『久高島そば家』のすぐ近くにある世界文化遺産『斎場御嶽』を見に行こうと思ってたんですけど、店舗前から『斎場御嶽』の入口を見てみると、ちょっと混雑してるっぽかったんで、そちらはまた次の機会にしようってことになっちゃったんですよ😅ハハッ。。。
沖縄県南城市玉城百名にある
『浜川御嶽・ヤハラヅカサ・潮花司』☆
琉球の創世神『アマミキヨ』が仮住まいをしたとされる『浜川御嶽』。 |
次に、国道から入ってまた道なりに進んでいき、約640mほどの距離左側にある脇道へ左折します。
道の突き当りにある『アマミキヨ』が仮住まいをしたとされる『浜川御嶽』がある森。 |
そこからさらに奥まで進んでいくと、その突き当りに『浜川御嶽』や『ヤハラヅカサ』のあるビーチがあります。
※もう一つ別の道もあるんですが、今回は訪れた道順で説明させて頂いてます。
『浜川御嶽』がある森の手前を右折すると『ヤハラヅカサ』のあるビーチに出ます。 |
『ヤハラヅカサ』があるビーチ。 |
すると、海の方に向かって何やらヨガのような動作をしている人達がたくさんいらっしゃるぢゃあ~りませんかぁ~。
ビーチ南側。 |
ビーチ北側。 |
んで、この日はちょうど中潮で、干潮から満潮に向かう"上げ"の時間帯。。。
海面にひょこっと出てる右側の三角錐状の石碑が『ヤハラヅカサ』の石碑です。 |
また、石碑に刻まれた「ヤハラヅカサ」の文字もちゃんと見えましたよん。
海の中に立つ『ヤハラヅカサ』の石碑。 |
南城市役所観光商工課の公式HP『らしいね💗南城市』を見てみると、『ヤハラヅカサ』は海の彼方にあるといわれる理想郷「ニライカナイ」から久高島に降り立った琉球の創世神『アマミキヨ』が久高島に降り立ち、続けて沖縄本島に渡った際に最初に足を下ろした場所とされているんだそうです。
(※参考⇒らしいね💗南城市『ヤハラヅカサ』)
また、この石碑は琉球石灰岩で作られているんだそうで、かつては国王や聞得大君(琉球最高神女)が四月の稲穂祭に行幸した場所とも言われているんだそうですよ。
(※参考⇒らしいね💗南城市『神が渡りし海。ヤハラヅカサ』)
『ヤハラヅカサ』を背にして『浜川御嶽』がある森を見たところ。 |
『浜川御嶽』へは、先程お話したように道路側から向かうことが出来るんですが、こちらの『ヤハラヅカサ』があるビーチ側からも向かうことが出来ます。
森の一画にビーチから『浜川御嶽』へと続く石段があります。 |
『ヤハラヅカサ』のビーチから『浜川御嶽』へと続く石段。手前に小川が流れています。 |
『浜川御嶽』と『潮花司』のある森に囲われた広場。 |
≪ヤハラヅカサ≫
≪琉球開びゃくの神アマミキヨが、ニライカナイから上陸した際の第一歩を印した場所と伝えられます。『浜川御嶽』の広場に設置されていた『ヤハラヅカサ』の説明板。 |
南城市指定有形民俗文化財。≫・・・とありました。
続けて、今度は『浜川御嶽』の説明板を読んでみると・・・
『浜川御嶽』の説明板。 |
≪市指定文化財 浜川御嶽(神名:ヤハラヅカサ潮バナツカサの御イベ)≫
≪昔、アマミキヨ(島始の神)がギライカナイ(海の彼方の理想国)からヤハラヅカサ(前方五〇mの海中にある。ギライカナイへの遥拝所となっている。)に上陸し浜川御嶽にしばらく仮住まいした後、今のミントングスクに、安住の地を開いたという。この地は霊域として東御廻いの拝所である。
昭和五二年七月二一日指定 南城市教育委員会≫
・・・とありました。浜川御嶽。 |
石垣左側の出入口から入っていくと、右側に古い二基の石柱が立てられており、その向こう側に『浜川御嶽』の三角屋根の祠がありました。
「玉城親方盛林」と刻まれた古い石柱(左側の石柱)。 |
『浜川御嶽』の祠。 |
南城市観光ポータルサイト『らしいね💗南城市』によると、御嶽の名称にもなっている「浜川(ハマガー)」とは、「海のそばの湧き水」のことなんだそうで、『アマミキヨ』はこの水を飲んで疲れを癒したと伝えられているんだそうです。
(※参考⇒らしいね💗南城市『浜川御嶽』)
祠の前にある石垣の一画に樋が設けれており、湧き水はそこから流れ出て石垣沿いをつたって海へと流れ出るんだそうですが、ワタクシ達が訪れた時は、樋から流れ出る水は枯れちゃってましたね。。。
※もしかすると、先程ビーチから『浜川御嶽』前の広場へ上る石段の手前に流れていた小川の水がその清水なのかもしれませんね。。。
石垣の一画に設けられていた樋。 |
祠に向かって右側にある拝所。小さな古い方形の香炉が3基置かれていました。 |
祠の左後方にある拝所。 |
そして祠の左後方の祭壇っぽく造られた岩場には香炉が1基置かれ、さらにその後方の岩陰には小さな石碑が建てられていました。
祠の後方にある拝所。方形の香炉と小さな石碑が1基ずつ設けられていました。 |
祠の出入口の向かい側にある岩の根元に設けられていた拝所。 |
岩に向かって右側に設けられていた拝所。 |
岩に向かって左側に設けられていた拝所。 |
『浜川御嶽』の向かい側にある『潮花司』という拝所がある場所。 |
この岩場の上には『潮花司(スーパナツカサ)』という拝所があるんだそうですが、こちらは何やらピリッと張りつめたような空気が漂ってて、岩の上に上るのは、な~んかダメなような気がしたので、今回岩に上るのは遠慮して広場から岩場の上を見るだけにしました。
『潮花司』は、海潮の神霊が祀られているようで、南西の方角(海の方)に向かって拝みを行うんだそうですよ。
(※参考⇒むぎ社『沖縄の聖地 拝所と御願』)
『浜川御嶽』・『潮花司』の前から広場北側を見たところ。 |
広場の北東側にあった岩の裂け目。この先は行き止まりで崖になっていました。 |
道路側に設けられていた『浜川御嶽』の出入口。 |
いかがでしたでしょうか?
今回ご紹介した『浜川御嶽』・『ヤハラヅカサ』・『潮花司』のある場所の近辺には、『アマミキヨ』が創った七御嶽の一つとされる『藪薩御嶽(ヤブサツノウタキ)』や、『浜川御嶽』から『ミントングスク』へ向かう途中に懐妊中であった『アマミキヨ』がお産をした場所とされる『美生之御嶽(みほのうたき)』、琉球の稲作発祥の地と伝えられる聖地『受水走水(ウキンジュハインジュ)』などの史跡が点在しています。
なので、また時間を設けて、それらの史跡も散策しに行ってみたいと思いまーす。
それでは、そろそろこの辺で・・・でわでわ☆★☆
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☆『南城市玉城百名に点在する史跡』☆
☆場所:〒901ー0603
沖縄県南城市玉城百名
☆見 学:無料
☆駐車場:あり
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。
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