今回は、久々に史跡のご紹介です(笑)。
前回ご紹介した沖縄市松本にある『そば処 みーや』さんで腹ごしらえを済ませた後、以前から足を運んでみたかった史跡へと向かいました。
こちらは、約1、2ヵ月ほど前にこの近くを通った際に偶然発見した史跡で、後日調べてみると、登川集落の北側に隣接する池原集落の拝所となっているんだとか。。。
沖縄県沖縄市登川にある
『スクブ御嶽(すくぶ公園)』☆
カルスト残丘の中腹に建立されている『スクブ御嶽』の社。 |
スクブ御嶽(すくぶ公園)。 |
そして最後に、そこから約200mほどの距離にある1つめの十字路をまた左折すると、前方に小高い丘が見えますので、そこが『スクブ御嶽(すくぶ公園)』となります。
公園駐車場の端っこに設置されていた『すくぶ公園』の案内板。 |
駐車場後方の遊歩道上から公園西側を見たところ。 |
公園西側に建立されている『スクブ御嶽』の鳥居。左側には『スクブ御嶽』と記された石碑が建立されてます。 |
『スクブ御嶽』と記された石碑。 |
石碑の後方にあった拝所。 |
もしかすると、"井泉"跡となっているのかもしれませんねぇ。。。 |
・・・と、この"井泉"跡を見学した後で、先程の鳥居を潜り階段を上がり始めました。
鳥居から丘の頂上を見たところ。 |
階段を上がっていくと、その先に『スクブ御嶽』の社が見えてきました。
階段の途中にある踊り場から見た『スクブ御嶽』の社。 |
池原集落の自治会と有志たちは、旧暦の11月11日に行われるウタキマーイの際に、この『スクブ御嶽』も巡拝するんだそうです。
(※参考⇒沖縄市公式HP内『登川 スクブ御嶽』)
スクブ御嶽拝所。 |
『すくぶ御嶽拝所』と記された石板が設置されていました。 |
『スクブ御嶽』の内部。3基の香炉が並べて安置されていました。 |
沖縄市の公式HP内に『三人の力持ち』と題された民話が掲載されており、その中に『スクブ御嶽』と称されるようになった由来が記されていました。
社内部の右側に門があり、そこから森の中へ入ることが出来ました。 |
その甲斐あって、三人は力持ちになり、三人に勝る者は誰一人いなかったそう。。。
そして、この三人は稲を刈ってきたら、その稲をお椀にいれてつつき、食べあとの"もみ殻"が山のように積まれたことから『スクブ御嶽』という名称が付いたんだそうですよ。
(※参考⇒沖縄市公式HP『三人の力持ち』)
入口を入ると、獣道が丘の頂上に向かって続いていました。 |
『スクブ御嶽』の社内部の右側には、森の中へ入ることの出来る門があり、開いた状態になっていたので、今度はそちらの方へ行ってみることにしました。
森の中へ入ると、獣道が丘の頂上へ向かって続いており、そこを突き進んでいくと、その先に先程の社内部と同様に3基の香炉が並べて設置された拝所がありました。
『スクブ御嶽』の森の中にあった拝所。 |
※あくまでワタクシ個人の憶測ですので、定かではありませんよ。。。
また、こちらの拝所の左側に、さらに上へと続く獣道があったので、そちらを上がっていくと、丘の頂上に辿り着いたんですが、そこにも"拝所"がありました。
『スクブ御嶽』の頂上にあった拝所。 |
また、この拝所は西に向けて造られていましたね。
丘の頂上には、この"拝所"以外には何も見当たらなかったので、長居は無用とすぐに丘を下りました。
『スクブ御嶽』の鳥居の前から北へ伸びる遊歩道。 |
公園北側に来たところ。奥の方に大きな石碑が建立されているのが見えます。 |
石碑が建立されている広場の手前にあった祠。 |
『御先御殿・殿内』の内部。 |
『御先御殿・殿内』と記された石板。 |
もしかすると、こちらも池原集落の"拝所"の1つとなっているのでしょうね。
この『御先御殿・殿内』の拝所を見学した後、先程見かけた石碑を見学しに向かいました。
『すくぶ公園』の北側に建立されていた『沖縄市登川土地区画整理事業 竣功記念碑』。 |
そして石碑の名称下部には、碑文が記されていました。
≪竣功記念碑 碑文≫
≪本地域はキャンプヘーグと称され、米軍基地の跡地で昭和五十二年五月十四日に地主へ返還された北側部分に位置し、当初は市の軍用跡地転用基本計画に基づき、三分割方式、即ち住宅用地域(北側)、公園用地域(南側)、公共施設用地(南側一部と国道西側)として計画されましたが、地主の同意が得られなかった。その後登川地主会では、組合施行による土地区画整理事業を実施する事になり、昭和五十六年に準備委員会が結成され二年余りに亘る準備期間を経て、昭和五十八年十一月一日に県知事の認可を得て組合が設立されました。
石碑の前面上部に記されていた『沖縄市登川土地区画整理事業 竣功記念碑』。 |
総事業費二十三億六千二百万円、六ヵ年計画で実施以来、国、県、市当局や昭和株式会社の綿密な設計、監督、及び組合員各位の絶大なる御理解と御協力それに役員と職員が一体となっての努力が実を結び、平成三年にめでたく事業の完成をみたのです。
この事業を推進するに当り、返還地の跡地利用のモデル地区とする計画で、水と緑と小鳥のさえずる住みよい街造りをキャッチフレーズにかかげ、都市計画道路(二十メートル)の街路樹は琉球松とホルトの木を植栽し、中央に位置する神山とよばれているスクブ御嶽を自然公園として生かし、ローカル色豊かな住みよい環境造りを心がけてまいりました。
竣功記念碑の裏面には、事業概要や役員氏名、組合員氏名が記されていました。 |
この大事業の竣功にあたり、これまで絶大なる御協力、御理解をいただきました組合員並びに国、県、市当局、その他関係各位の長期に亘る御指導と御協力に対し深甚なる意を表し、この意義ある事業を末永く後世に伝えるため記念碑を建立して事業の成果を銘記し、本地域住民の限りない繁栄と沖縄市の発展に寄与する事を願うものである。
平成三年 九月 二十三日 沖縄市登川土地区画整理組合≫
・・・とありました。ちょっと長かったッスね。。。😅この『竣功記念碑』と、その碑文を読み終えた後、再び公園内を散策しに向かいました。
公園北側にあるもう一つの広場。 |
公園の北東部にも広々とした広場が設けられていましたが、こちら側には拝所などの史跡は見当たりませんでしたね。
そして、この広場を突っ切って公園の東側を走る道路に出て、今度は公園南側へ向かいます。
公園南側の道路上から見た『スクブ御嶽』全景。 |
『すくぶ公園』南側にある遊歩道入口。 |
・・・と、拝所などの史跡を探しながら歩いていくと、クルマを駐車した公園駐車場に到着してしまいました(笑)。
なので、そのままクルマへと乗り込み、次の目的地へと向かいました。
『スクブ御嶽』には、先程ご紹介した民話の他にも、いろんな話があるんだそうです。
その話の中の1つをちょこっとご紹介すると、かつて『スクブ御嶽』を公園として整備する際に、現場で使用していた重機がひっくり返る事故が起こったり、現場作業員が病気になってしまったりとトラブルが続出したんだそうですよ。。。
それゆえ『スクブ御嶽』は、人々から恐れられている場所にもなっているようです。。。
池原集落や登川地区の方たちにとって神聖な場所として大切にされているのに、心霊スポット的な扱われ方をされているのは、個人的にはちょっと残念な気持ちになっちゃいます。。。
こちら以外の史跡でも、心霊スポット的な紹介をされている史跡が多数ありますが、ホント残念です。。。
昔から大切にされてきた史跡は、その地域に住む人々の神聖な場所であると同時に心の拠り所にもなっていたりしますので、史跡・遺跡などを訪れる際には(ワタクシも含めてですがw)、失礼が無いよう心掛けたいですね。
それでは、そろそろこの辺で・・・でわでわ☆★☆
最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
↓宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
☆『スクブ御嶽(すくぶ公園)』☆
☆場所:〒904ー2142
沖縄県沖縄市登川1丁目15-6
☆見 学:無料
☆駐車場:あり(3台ほど)
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。