前々回に読谷村喜名の国道58号線沿いに建立されている『さくら之塔・梯梧之塔・山吹の塔』を見学した後、次に向かったのは同じ喜名区内にある公園です。
この公園内には、金武の観音寺から勧請された千手観音像が祀られているお堂が建立されているんだそうです。
沖縄県中頭郡読谷村喜名にある
『喜名観音堂と土帝君』☆
『観音堂公園』内に建立されている『喜名観音堂』と『土帝君』。 |
『観音堂公園』の南東側にある『喜名観音堂』へ続く参詣道入口。 |
参詣道入口前から『観音堂公園』の広場を見たところ。 |
≪喜名観音堂、土帝君(キナカンノンドウ、トゥーティークー)≫
≪喜名観音堂は、1841年の旧暦9月18日に金武の観音寺から勧請したものです。戦前まで境内には大きな松が空を覆っており、拝所としての尊厳が残っていました。参詣道入口に設置されていた『喜名観音堂・土帝君』の説明が記された標柱。 |
現在でも旧暦の9月18日には、喜名を中心とした村民による観音堂拝みが続けられています。
入口から参詣道を入ってきたところ。奥の方に階段が見えます。 |
・・・とありました。
説明を読み終え、参詣道を入っていくと、奥の方まで並木が続いていました。
参詣道の先にある階段。この上に観音堂と土帝君が建立されています。 |
喜名観音堂。 |
観音堂の内部に設けられている祭壇。 |
祭壇の下の段には1基の香炉が置かれ、一番上の段には千手観音像が祀られていました。 |
透明のプラスチック製ケースに入れられ厳重に保管されている『千手観音像』。 |
『喜名観音堂』の西側に建立されている『土帝君』の祠。 |
正面から見た『土帝君』の祠。内部には人物像ではなく霊石が納められていました。 |
しかし、説明にあったように、先の沖縄戦で神像は無くなってしまったので、こちらの祠内部には霊石が納められています。
祠の内部は祭壇になっており、一番上の段に霊石が祀られていました。 |
そして、集落によっては「土地の神様」とか「大漁の神様」、「商売繁盛の神様」、そして「商売繁盛の神様」として崇められ、その集落ごとの生産基盤と結び付けられているんだそうですよ。
(※参考⇒Wikipedia『瀬底土帝君』、らしいね南城市『新里の土帝君』他)
また、読谷村の公式HP内にある文化振興課の『読谷村内の文化財』のページを見てみると、『喜名観音堂』と『土帝君』は、平成24年5月23日に読谷村の有形民俗文化財に指定されているとのことです。
『土帝君』の前から県道12号線側の『観音堂公園』を見たところ。 |
今回は少し短いですがここまでにして、この続きはまた別の回にご紹介したいと思います。
それでは、この辺で・・・でわでわ☆★☆
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☆『喜名観音堂・土帝君』☆
☆場所:〒904ー0302
沖縄県中頭郡読谷村喜名
☆見 学:無料
☆駐車場:無し
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。