南城市玉城に属する奥武島にある観音堂とその近隣に点在する史跡☆|沖縄放浪日記

2018年3月10日土曜日

南城市玉城に属する奥武島にある観音堂とその近隣に点在する史跡☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、南城市玉城中山にある『ガルガー滝』をご紹介しましたが、『ガルガー滝』を見学した後、この日最後に同市玉城に属する『奥武島』へと向かいました。

この『奥武島』の島内にも井泉や御嶽など多くの史跡が点在しているんですが、今回は、その中の島内のほぼ中央に位置する観音堂とその近隣にある史跡をご紹介したいと思います。

沖縄県南城市玉城に属する奥武島にある

『奥武観音堂』

奥武観音堂の写真
『奥武観音堂』の前に立つ寒緋桜がとても綺麗でしたねぇ~
こちらは、南城市玉城志堅原『奥武島』を結ぶ『奥武橋』を渡ってすぐに左折し、約120mほど進むと右側に『奥武島海産物食堂』がありますので、その横の小道へ右折します。

そしてそのまま真っ直ぐ進んでいくと、開けた場所に出るんですが、その広場の奥にあります。
奥武観音堂の写真
立派な鳥居が立つ『奥武観音堂』。
広場の一画にある空きスペースにクルマを停め、さっそく見学へと向かいました。

『奥武観音堂』の参道入口に立つ鳥居の横には、標柱と『奥武島拝所案内図』が設置されていたので、まずはそちらを見てみることに・・・
奥武島拝所案内図の写真
『奥武観音堂』の参道入口横に設置されていた『奥武島拝所案内図』。
案内図に記された御嶽や拝所などの島内に点在する史跡を見てみると、全部で23ヵ所となっていたんですが、この日、こちらに到着したのは夕方の5時前くらいで時間的に余裕がなく、全部を回ることは出来ないので、この日は回れるだけ回ることにしました。

『奥武島拝所案内図』を見た後でお堂へ向かおうとすると、案内図の右側に銅像が建立されているのを見つけたので、まずはそちらを見学することに・・・
大城幸之一先生銅像の写真
『奥武観音堂』前に建立されている『大城幸之一先生銅像』
銅像が建立されている敷地の入口には『大城幸之一先生銅像』と記された標柱が立てられており、銅像の右奥には略歴が記された板が設置されていました。
大城幸之一先生顕彰の碑の写真
大城幸之一先生顕彰の碑。
また、銅像の台座部分には『顕彰の記』と題された碑文が記されており、≪偉大なる政治家、医者としての御功績を讃え、慈悲深く高潔な線瀬映の人柄を慕いかつ、永遠に範となすべくここに顕彰する。 昭和五十七年十月九日 大城幸之一先生銅像建立委員会≫とありました。

銅像の右側にある略歴を見てみると、≪一八七九年(明治 十二年) 玉城間切奥武村で出生≫と記されており、出生地である『奥武島』のこの場所に銅像が建立されたのでしょうね。
大城幸之一先生顕彰の碑の写真
『大城幸之一先生顕彰の碑』と題された略歴。
また、銅像が建立されている場所の奥には『奥武橋架橋記念碑』と『松島橋架橋記念碑』も建立されていました。
奥武橋架橋記念碑と松島橋架橋記念碑の写真
『大城幸之一先生銅像』の左奥に建立されていた『奥武橋架橋記念碑』と『松島橋架橋記念碑』。
『大城幸之一先生銅像』や『大橋架橋記念碑』、『松島橋架橋記念碑』を見学させて頂いた後、『奥武観音堂』へと向かいました。
奥武観音堂の写真
奥武観音堂。
鳥居を潜って参道を通り、お堂の前までいくと、左側に『奥武観音堂』の由来が記された説明板があったので、そちらを読んでみることに・・・
奥武観音堂の写真
お堂の横に設置されていた『奥武観音堂』の由来。
≪奥武観音堂の由来≫
≪十七・十八世紀の頃、一艘の唐船が嵐に遭い奥武島に漂着した。乗組員達は、見知らぬこの島に上陸をためらっていたところ、島の山の上に白衣の美女が現れて、「案ずることはない。」と言わんばかりに手招きをしたので、「これは天の助け」と喜んで上陸した。

すると島民達が集まってきて、着物を与え、焚き火で冷えた体を温めたり、お粥を炊いて手厚く介抱した。乗組員達は島民の心からの支援に深く感謝し、島民の支援を得て船を小港(クンナト)の岩に繋いだ。(この岩を『ミシラギ』といい、旧暦の五月四日に行われるハーリー(爬龍船競漕)の時は、最初に観音堂に一年間の航海安全と豊漁、島民の健康と融和、島の繁栄を祈願し、次にミシラギ拝所に同様な祈願を行い、御願バーリーを始める。)
奥武観音堂の写真
説明板の左側にあった古い3基の灯籠。
船の修理を終えた乗組員達は故郷へ帰ることになり、以前白衣の美女が現れた山に入って「我等一行これより帰国せんと思う。願わくば吾等に幸運を与えたまえ、無事帰国できるよう神様は我々をお守り下さい。願望が叶ったならば、仏様をこの地に祀って浄土としよう。」と祈願、無事帰郷することができた。

その後、乗組員から琉球王朝を通して、奥武島に黄金の観音様一体と仏具一式を贈ってきた。しかし琉球王朝では、はじめ同名の他の奥武に安置したが穏やかならず、八方手を尽くした結果、玉城間切の奥武島がその地であることがわかり、間切役場を通じて奥武島に観音像が届けられたので、一宇の堂を建立して観音像を安置することになった。
奥武観音堂の写真
お堂に向かって右側には新旧2つの手水舎と古い灯籠、そして鐘がありました。
旧藩時代は王府が供え物一式を司り、その代行を奥武村出身の大城南掟(へぇーうっち)が行っていた。その後、間切持ちとなり、後に奥武の村持ちとなったため、司は奥武の旧家大屋が行っている。

ここに鎮座される観音像は、代々島民の深い信仰を集めて現在に至っているが、この堂は昔三回(観音堂三興之記)にわたり改築されている。観音堂に関する記録は残念ながら残っていない。
奥武観音堂の写真
新しい手水舎の後方にあった鐘。
観音像は今次大戦まで無事安置されていたが、現在は陶製の観音像を安置している。又この堂も昭和四十年九月の観音堂三百五十年祭にちなみ、那覇市の渡辺健次氏が改築寄贈され、老朽化した鳥居も昭和六十年観音堂三百七十年祭の際、当区出身の安次富剛氏が改築寄贈された。

境内の石灯籠には嘉慶十七年秋分吉日嶺井親雲上、与那嶺筑登之親雲上、比嘉筑登之の名前があり、同吉日に比嘉仁屋、当山仁屋、城間仁屋、同じく吉日に玉城親方盛林、嘉慶二十五年には玉城按司から寄進されたのが現在も残っている。
奥武観音堂の写真
古い灯籠と手水舎。
観音堂に掲げられている表札の意味は、次のとおり。
○「普濟」(ふさい)・・広く仏のみちによって人民を救う。
○「南海蓮花満部洲」・・南海に蓮の花が満ちあふれている島。
○「徳本慈悲被皆化」・・孝徳の根本は仏の慈しみ、哀れみを皆に教え導き人を善に移らせる。


平成十九年十二月吉日作制 南城市玉城字奥武区≫
・・・とありました。
奥武観音堂の写真
お堂の入口。上部に右から左へ"観音堂"と記されています。
説明にあった通り、説明板の左側とお堂に向かって右側には合計4基の古い石灯籠があり、右側にある1基の灯籠の横には古い手水舎、そしてその向かい側には新しい手水舎と鐘がありました。

これらを見学した後、お堂の内部を入口からちょこっと拝見させて頂くと・・・
奥武観音堂の写真
『奥武観音堂』の内部。奥の仏壇に黄金の観音像が安置されていました。
『奥武観音堂』を見学させて頂いた後、参道を通って境内の外に出ようとすると、お堂の東側にある林へ続く小さな階段を見つけました。

先述した『奥武島拝所案内図』によると、この奥には『今帰仁の御嶽と崎城』と『奥武城』があるとなっており、入口にある階段の両側に不思議な形をしたオブジェも建立されていたので、今度はそちらへ行ってみることにしました。
奥武観音堂の写真
『奥武観音堂』の東側にある林へと続く小さな階段。
階段を上がると、広い獣道が奥へと続いており、その途中右側の手前と奥の2ヵ所に階段がありました。
奥武観音堂の写真
『奥武観音堂』の境内から林の中を見たところ。
境内から階段を上がり、まず手前側の階段を上がっていくと、左側にあるガジュマルの木の根が張った大きな岩の根元に『中之御嶽』という拝所がありました。
奥武観音堂の写真
境内側にあった階段。
中之御嶽の写真
中之御嶽
そして階段から続く獣道は、『中之御嶽』の前からさらに奥の岩壁の方へと続いているんですが、その岩壁の麓に香炉と思しき数基の霊石が置かれた拝所がありました。
拝所の写真
『奥武観音堂』の後方にある岩壁の麓にあった拝所。
『中之御嶽』やこちらの拝所についてネットで調べてみたんですが、由来やどのような行事の際に拝みが行われるのかなどの詳細は残念ながら分かりませんでした。。。

岩壁の麓の拝所まで見学した後、一旦広い獣道まで戻り、今度は奥の階段の先へ行ってみることにしました。
奥武観音堂の写真
奥にあった階段。
階段を上がると開けた場所があり、その奥に石積みの古墓らしき場所がありました。
奥武観音堂の写真
奥の階段を上がってきたところ。
奥武観音堂の写真
階段の先にあった古墓らしき石積み。
この場所一帯を見回してみたんですけど、この古墓らしき石積み以外は何もありませんでしたので、また先程の広い獣道へと戻りました。
拝井泉の写真
広い獣道の先にあった拝井泉。
獣道はもう少し先へと続いていたので、そちらの方へ行ってみると、岩の根元に石で囲われたカー(拝井泉)がありました。

こちらのカー(拝井泉)は、先程の拝所案内図にも載っていなかったため、名称などの詳細は不明です。。。
奥武観音堂の写真
獣道の先。拝井泉の先は個人宅の敷地になっているようだったので、ここから先には入りませんでした。
案内図によると、この拝井泉がある場所のすぐ近くが『奥武城』となっているみたいだったんですが、獣道は終点となっているらしく、さらにここから先は個人宅の庭先となっているみたいだったので、この先へ進むことは断念しました。

また、案内図が示す『今帰仁の御嶽と崎城』という史跡もこの近くにあるみたいでしたが、この日は残念ながら発見することが出来ませんでした。。。(泣)

・・・と、ここまで見学した後はそのまま引き返し、『奥武観音堂』の西側にある史跡を見学しに向かいました。

今回もかなり長くなってしまいましたので、この続きはまた別の回にご紹介したいと思います。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『奥武島内に点在する史跡』☆

☆場所:〒901ー1400
    沖縄県南城市玉城奥武『奥武島』

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

☆問い合わせ:南城市役所(代表)098-948-7111

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。