奥武島にある観音堂西側に位置するグスク跡と玉城兼松金の墓☆|沖縄放浪日記

2018年3月12日月曜日

奥武島にある観音堂西側に位置するグスク跡と玉城兼松金の墓☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回の続きです。

前々回、『奥武観音堂』『中之御嶽(中御願)』などを見学した後、観音堂の西側にある史跡を見学しに向かいました。

沖縄県南城市玉城奥武の『奥武島』内にある

『タカラグスクと玉城兼松金の墓』

殿の写真
『奥武観音堂』の西側に隣接する『殿』。
『奥武観音堂』の西側には『殿』と呼ばれる拝所が建立されています。

『殿』がある敷地入口横には説明が記された案内板が設置されていたので、まずはそちらを読んでみることに・・・
『殿』の説明が記された案内板
≪殿(とぅん)
≪奥武観音堂と並ぶ重要な拝所で、東之御嶽、中之御嶽、西之御嶽、竜宮神への遥拝所である。歴史は古く、元々は東川門(あがりかーじょう)(現・達也屋)の屋敷内にあったが、観世音泉や共同売店の建設工事により現在地に移した。周辺には多くの拝所があり、厳粛で神秘的な雰囲気がある。
南城市教育委員会 平成27年3月設置≫
・・・とありました。
殿の石灯籠の写真
階段を上がると小さな古い灯籠がありました。
殿の石灯籠の写真
『殿』の石灯籠。
説明を読み終え、階段を上がると、こちらにも両側に小さな2基の石灯籠がありました。

その石灯籠の間を通過すると、目の前に『殿』が現れます。
殿(とぅん)の写真
殿(とぅん)
『殿』は『奥武観音堂』と同じように赤瓦屋根で造られており、内部には正面と右側の祭壇に丸い大きな香炉が2基置かれており、その後方の一段高くなったところには霊石1基と方形の香炉3基が置かれていました。
殿(とぅん)の写真
『殿』の内部。
一番高い祭壇の霊石と3基の香炉の上部にはそれぞれの拝所の名称が記されており、向かって左側から『龍宮神』・『東ヌ御嶽』・『中ヌ御嶽』・『西ヌ御嶽』となっていました。

『殿』を見学させて頂いた後、次に向かったのは『殿』の後方にある古墓です。
玉城按司兼松金の墓の写真
玉城按司 兼松金(かにまちがに)の墓。
こちらにも説明付きの案内板が立てられていたんですが、それには『玉城按司 兼松金(かにまちがに)の墓』と記されていました。
玉城按司 兼松金の墓の写真
『玉城按司 兼松金の墓』の説明付きの案内板。
≪玉城按司 兼松金の墓≫
≪14世紀中頃、玉城グスクの落城により奥武島に逃れた玉城大屋子(うふやく)(玉城門中の始祖)と新垣大屋子(大屋門中の始祖)の祖父である玉城按司兼松金の墓。

兼松金は玉城王と思樽金(うみたるがに)の子にあたる。

奥武集落の発祥に関わる重要な墓であり、清明祭等には両門中が拝み、5年ごとの「山嶽(さんだき)拝み」のときに区で礼拝する。
南城市教育委員会 平成27年3月設置≫
・・・とありました。
玉城按司 兼松金の墓の写真
御墓の前庭を囲う塀にはコンクリート製の墓標が建立されていました。
説明を読み終え、御墓を見に行こうとすると、御墓の前庭を囲う塀に『玉城按司兼松 同妃 眞蒲金之墓 及び其の長男 知念大屋子の墓』と記されたコンクリート製の墓標が立てられていました。
玉城按司 兼松金の墓の写真
玉城按司 兼松金の墓。
御墓は、岩壁の岩穴を利用して造られており、その洞口を切石で塞いでいました。

また、御墓の前には香炉らしき石も置かれていました。
タカラグスクのカーの写真
『殿』の道向かい側にある『タカラグスクのカー』。
『玉城按司 兼松金の墓』を見学した後、次に向かったのは遊歩道向かいにある『タカラ城』と『タカラグスクのカー』です。

前々回の記事内でご紹介した『奥武観音堂』前にある『奥武島拝所案内図』には『タカラグスクのカー』は記されていないんですが、南城市の資料『歴史文化保存活用区域の方向性』や別の日に『奥武島』に再訪した際に発見した『奥武ガイドマップ』には『タカラグスク』だけでなく、『タカラグスクのカー』も記されていたんですよ。

んで、資料『歴史文化保存活用区域』によると、その"カー"は『タカラグスク』の入口横に記されていたので、その辺りを見てみると・・・
タカラグスクのカーの写真
木々が立つ岩の根元にあった拝所。
遊歩道から少し低くなった場所の岩の根元に古い香炉が置かれた拝所が2ヵ所並んでありました。

先程の資料に記された場所では、こちらが『タカラグスクのカー』となるんですが、標柱や案内板など何も立てられていないので、こちらがその"カー"なのかは不明です。。。
タカラグスクのカーの写真
上の写真にある2基の拝所がある場所から奥を見たところ。奥にも拝所が2ヵ所ありました。
また、この場所から奥の方に目をやると、奥にも古い拝所らしき場所が2ヵ所ありました。

ただ、奥の2ヵ所の拝所は私有地っぽかったので、ここから先に進むのは遠慮させて頂きました。。。
タカラ城の写真
『タカラ城』の案内板。左側に見えるのは『玉城按司 兼松金の墓』です。
んで、表の遊歩道に戻り、『タカラ城』の案内板が示す場所へ向かいました。
タカラ城の写真
『タカラ城』は、民家のすぐ脇を通り抜けた先にあります。
『タカラ城』は、民家のすぐ脇にある細い小道を通り抜けた先の森の中にあります。

・・・と言っても、城壁の石積みとかは無く、グスクの"拝所"があるのみとなっています。
タカラ城の写真
森の中は、ゴツゴツとした岩が点在しています。
森の中は、あちらこちらに石灰岩の岩が点在しており、その間を獣道があっちこっちに伸びているんですが、ちょこっと辺りを散策しても石積みなどの遺構は見当たりませんでした。

先述した資料『歴史文化保存活用区域』によると、≪琉球石灰岩陰に骨があり、奥武集落発祥と関わりのあるグスクと考えられているが、詳細は不明。≫とのことでした。。。
タカラ城の写真
民家の後方付近。この右上に"拝所"があります。
んで、ちょこちょこ散策していると、ガジュマルの木の根が張った石灰岩の根元に切石積みの"拝所"を発見しました。
タカラ城の写真
『タカラ城』の拝所。
石積みの手前には1基の香炉が置かれており、その左側には『タカラ城』と記された標柱が立てられていました。

先程の資料にあった"骨"は、たぶんこの石積みの中に納められているのでしょうね。。。

この『タカラ城』の"拝所"を見学させて頂いた後は、そのまま『奥武観音堂』の前の広場まで戻り、観音堂の向かい側にある『奥武公民館』へと向かいました。
奥武公民館の写真
奥武公民館。
この『奥武公民館』に向かって右側に『観世音泉(クヮンヌンガー)』があるんです。

『観世音泉』は、冒頭にご紹介した『殿(とぅん)』の説明にも出てきましたね。
観世音泉(クヮンヌンガー)の写真
『奥武公民館』の階段前にある『観世音泉』。手前の門柱に『昭和二年十二月』と記されています。
『観世音泉(クヮンヌンガー)』の前には簡易的な説明板が設置されていたので、そちらを読んでみると・・・

≪観世音泉(クヮンヌンガー)≫
≪船で水を運ぶなど水に不自由していた奥武区民をすくうため、1927年(昭和2年)に大城幸之一先生の設計により完成した。

この喜びを詠ったのが「奥武口説」である。当時としては珍しいポンプ式であった。
観世音泉(クヮンヌンガー)の写真
『観世音泉(クヮンヌンガー)』の簡易的な説明板。
「離れ奥武の島に湧き出る泉 栄ていく島の証さらめ」(ハナリオウヌシマニ ワチイジルイジンサカティイクシマヌ シルシサラミ)≫
・・・とありました。
観世音泉(クヮンヌンガー)の写真
観世音泉(クヮンヌンガー)。
現在、『観世音泉(クヮンヌンガー)』はご覧の通り蓋が設置されており、横から細い水道管のようなパイプが通されていました。

まぁ、階段のすぐ前ですからね。。。泉の口が開いた状態だと、危ないですもんね(笑)

・・・と、この『観世音泉(クヮンヌンガー)』まで見学した後は、クルマへと戻り、次の史跡を見学しに向かいました。

今回も少し長くなってしまいましたので、今回はここまでにして、この続きはまた別の回にご紹介したいと思います。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『奥武島内に点在する史跡』☆

☆場所:〒901ー1400
    沖縄県南城市玉城奥武『奥武島』

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

☆問い合わせ:南城市役所(代表)098-948-7111

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。