かつて『アンジナ』と称されていた島にあったとされるグスク跡と拝所☆|沖縄放浪日記

2017年1月9日月曜日

かつて『アンジナ』と称されていた島にあったとされるグスク跡と拝所☆

ハイサぁ~イ⭐

昨年(2016年)の12月29日、前々回にご紹介した那覇市山下町にある『住吉神社』を出た後、最後に向かったのは、豊見城市にあるクルマで渡れる離島。

こちらは、一昨年(2015年)の11月に一度ご紹介したことがあるんですが、その時は、大まかな感じだったんですよ。
※以前ご紹介した過去記事はこちら⇒http://oki-night.blogspot.jp/2015/11/blog-post_26.html

んで、以前の記事ではご紹介出来なかった史跡などを、今回ご紹介させて頂きたいと思います。

沖縄県豊見城市瀬長にある
『瀬長グスク』
海中道路から見た瀬長島の写真
沖縄本島と瀬長島を結ぶ海中道路上から見た『瀬長島』
こちらは、豊見城市の国道331号線県道231号線68号線がぶつかる『名嘉地』の交差点から、国道331号線『小禄バイパス』に入り、約1.33㎞ほど進んだところにある『瀬長』の交差点をそのまま直進すると、『瀬長島』にたどり着くことができます。
※Google map(Earth)では、交差点が『瀬長』と『瀬長(西)』の2ヵ所が表示されているみたいですが、現在は国道が造り直されており、『豊見城道路』と那覇市具志側からの『小禄バイパス』が直結され、また、『瀬長島』の海中道路と豊見城市側の『小禄バイパス』が直進できるようになっています。
瀬長グスクの標柱の写真
瀬長グスクの標柱
『瀬長』の交差点から海中道路に入って、『那覇空港』の進入灯を通過すると『瀬長島』に到着です。

『瀬長島』に入って、左側に最初の脇道があるんですが、この脇道の角に『瀬長グスク』の標柱が立てられており、そのすぐ隣には拝所が新しく作り直されております。

また、拝所の斜め後方の斜面にはコンクリートブロックが置かれた簡易的な階段があり、その奥にも拝所らしき場所がありました。
瀬長グスクの拝所の入口の写真
道路沿いにあった標柱と拝所の斜め上に、コンクリートブロックが階段状に設置されていました。
瀬長グスクの拝所の写真
道路から斜面を上がってきたところ。
豊見城市の資料によると、どうやらこちらは『按司御墓』のようですね。

『瀬長グスク』は、瀬長按司が居城していたと伝わっており、かつて瀬長沖に停泊している貿易船の管理を行っていたんだとか。。。

その瀬長按司の御墓のようですね。

また、近くには人骨が埋められた洞穴があったんだそうですよ。
按司御墓の写真
按司御墓(?)
御墓の上部後方には霊石らしきいくつかの石が置かれていました。
以前、こちらを訪れたことのある方のブログを拝見させて頂くと、この『按司御墓』(?)がある場所よりさらに上の方にも拝所があるとのことでしたが、ワタクシが訪れた時は、この場所より先は雑草が生い茂っており、また、ロープが張られていて、これ以上先へ進むことが出来ませんでした。。。
按司御墓から上の方を見た写真
『按司御墓』がある場所からさらに上の方を見たところ。雑草の中にロープが張られていましたね。。。
以前、『瀬長島』をご紹介した記事でも少し触れたんですが、この島は『豊見城の発祥の地』とされており、開闢神『アマミキョ』が最初に降り立った島とされているんだそうです。

琉球王府が1713年に編纂した『琉球国由来記』には、瀬長按司がこの島に城を築き、居城していたと記されています。

なので、この島はかつて、「按司のいる砂島」から転じて『アジシナジマ』と呼ばれ、後に『アンジナ』になっていったと伝えられているんだそうですよ。

また、島民が鶏を飼育すると、丘の上からハブが下りてきて、鶏を捕食してしまうため、島内では鶏は飼育しなかったことから『鶏(とい)鳴かん島』とも言われていたとのことです。
(Wikipedia『瀬長島』、及び『瀬長グスク他範囲確認調査報告書』より一部引用)
2015年11月に撮影した瀬長島(瀬長グスク)の説明板と4つの石碑の写真
『瀬長島(瀬長グスク)』の説明板と4つの石碑(写真は2015年11月に撮影した時のものです)
『瀬長グスク』の標柱と拝所がある場所から、道向かいに原っぱがあり(2017年現在は、駐車場として整備されています)、そこに『瀬長島(瀬長グスク)』の説明板と4つの石碑(2017年現在、駐車場整備に伴い道路沿いに移築されています)が建立されています。

その説明文を引用させていただきます。

≪瀬長島(瀬長グスク)≫
≪瀬長島は、豊見城市西岸から沖合約600mに浮かぶ周囲約1.5㎞、最標高約30m、面積約1.8haの島である。

戦前まで約30戸が北側平野部(現・野球場一帯)に集落を構え、半農半漁の暮らしを営む有人島であった。

太古の時代、琉球の国を創ったアマミキヨの子、南海大神加那志(なんかいうふがみかなし)が最初にこの島に住み、そこから豊見城の世立てが始まったという豊見城発祥伝説が残る。
詩富銘白俊記念碑の写真
4つの石碑に向かって一番左側にある『木霊の森』という詩が刻まれた記念碑
組踊『手水の縁』の台詞が刻まれた石碑と説明板の写真
左から二番目の組踊『手水の縁』の台詞が刻まれた石碑と説明板
島内にはかつて瀬長グスクがあり、瀬長按司が居住したグスクだったと伝えられている。

これについては、琉球王府が1713年に編集した『琉球国由来記』の中で、「瀬長按司ハ王位ノ御婿ニテ・・・(巻8)」、「往古八瀬長按司居住ノ跡アリ・・・(巻12)」と記述されている。

これまでに中国製青磁や陶器・グスク系土器などが出土している。

地元では古くから島を別名「アンジナ」と呼んでおり、按司のいる砂島がアジシナシマへ転訛し、それがアンジナになったとも伝えられている。

1719年(康煕58)に来琉した中国の冊封副使・徐葆光(じょぼこう)は、瀬長島を訪れた際の様子について、『遊山南記」の中で、美しい砂浜の静けさと大勢の人が雨宿り出来るほどの巨石奇岩の様子など、その変化に富んだ景観を讃えている(『琉球国由来記』)。

また、昭和11年には沖縄八景の一つにい数えられるなど、豊見城を代表する風光明媚な景勝地であった。
平敷屋朝敏生誕三百年記念顕彰碑の写真
平敷屋朝敏生誕三百年記念顕彰碑
仲風節が刻まれた石碑の写真
平敷屋朝敏が詠んだと伝えられる『仲風節』が刻まれた石碑と説明板
1944年(昭和19)、沖縄戦に伴い住民らに島外退去が命ぜられ、引き続き戦後も島全体が米軍基地として接収されることとなった為、やむなく島民は対岸で集落を構えざるを得なかった。

このときの基地建設工事で島は大きく削り取られ、また、島と本島および空港とをつなぐ2本の海中道路が取付けられるなど景観は激しく変貌した。

島は、長らく米海軍弾薬貯蔵基地として使用され、1979年(昭和54)には返還された。

戦前まで島内には、瀬長グスクの遺構を始め、子宝祈願とともに誕生する新生児の性別を占った「子宝岩(イシイリー)」、さらに「琉球国由来記」にも記述のある瀬長ノ嶽など多くの遺跡や拝所、井泉等が残り、信仰の対象として各地から参拝者が訪れていたが、戦後は立入禁止となり遺構の多くが基地建設と同時に破壊され往時の面影はほとんど残されてない。

対岸のアカサチ森に遥拝所が集合移設されている。
瀬長島の野球場の駐車場の写真
2017年1月に訪れた時には、原っぱが駐車場として整備されていました。
移設された3つの石碑の写真
移設された3つの石碑。もう一つの記念碑は見当たりませんでしたね。。。
アンジナムヌメーや浜下りは、瀬長島とゆかりのある行事であり、また、男女の恋愛を題材とした組踊「手水の縁」の一幕も、瀬長島が舞台設定であると言われている。
豊見城市教育委員会 平成25年5月≫
・・・とありました。

説明にあった『子宝岩(イシイリー)』は、現在、島の南西側の海岸に再現され、建立されています。
瀬長島の子宝岩(イシイリー)の写真
『瀬長島』の南西側の海岸に再現された『子宝岩(イシイリー)』
『子宝岩(イシイリー)』の手前の砂浜には、説明板が立てられているので、こちらも引用させて頂きます。

≪子宝岩の再現≫
≪波打ち際にそびえ立つ岩は、戦前までは存在していた「子宝岩」を再現したものです。

言い伝えでは、その子宝岩には上下二つの穴が開いており、いつの頃からか村内外から人々がここを訪れ「子宝に恵まれますように」と祈り、男の子が欲しければ「上の穴」、女の子が欲しければ「下の穴」へ小石を投げ入れて願かけをする習わしがあった。

建造にあたっては、地元の方々から聞き取り調査を行い、瀬長島内より採取さっれた岩を利用して再現しております。≫
・・・とありました。
願掛けの習わしが刻まれた石碑の写真
『子宝岩(イシイリー)』のある海岸前の道路沿いに建立された願掛けの習わしが刻まれた石碑
『子宝岩(イシイリー)』を近くで見てみると、上下二つの穴にはたくさんの小石が投げ込まれており、現在も、再現された『子宝岩(イシイリー)』に願掛けをしに来る方々がたくさんいらっしゃるみたいですね。

そして、島の丘の上に建てられた『琉球温泉 瀬長島ホテル』の向かい側には、『瀬長島 龍宮社』が建立されています。
瀬長島 龍宮社の写真
瀬長島 龍宮社
こちらにも、説明板が設置されていたので、そちらを引用させて頂きます。

≪瀬長島 龍宮社≫
≪瀬長島は古来より神の島と呼ばれ、龍神をはじめ神々が宿る聖地として尊崇されてきました。

瀬長島ホテル開設にあたり、沖縄の平和と繁栄を祈念して、阿含宗開祖 桐山靖雄 大僧正猊下より大龍神を勧請賜り、ゆかりの神々とともに、ここ瀬長島龍宮社に泰安させていただきました。
平成二十四年十二月十九日 WBFリゾート沖縄株式会社≫
・・・とありました。

また、この『瀬長島 龍宮社』の後方から丘の下へ行くと、島の北側にある駐車場に出るんですが、そこの一角にも拝所があります。
ウマンチュと呼ばれる拝所の写真
『ウマンチュ』と呼ばれる拝所
『瀬長島』の資料に照らし合わせてみると、こちらは『ウマンチュ』と呼ばれる拝所らしく、主要な拝所とのこと。

昔は糸満からも拝みに来ていたほど位が高い拝所なんだそうです。

現在の『瀬長島』内に残されている拝所などの主な史跡はこれくらいで、先程の説明にもあったように、その他の拝所や井泉は本島側の『瀬長』の交差点近くの『アカサチ森(モー)』と呼ばれる場所に合祀されています。

沖縄県豊見城市瀬長の『アカサチ森』にある

『瀬長拝所』

瀬長拝所とアカサチ森の写真
『瀬長拝所』。社の隣にある丘が『アカサチ森(モー)』。
『瀬長拝所』は、参道に鳥居が設けられており、その後方に立派な神殿が建立されています。

神殿の周囲には、4つの井泉と『按司御墓』を含めた3つの拝所が合祀されており、神殿には『天御人の御神』が祀られています。
瀬長拝所の鳥居と神殿の写真
『瀬長拝所』の鳥居と社殿
神殿に向かって右側には、合祀された4つの井泉と『瀬長拝所建立碑』があります。
御月御井、知念御井、按司御井、前ヌ御井の写真
左奥から『御月御井』、『知念御井(波平御井)』、『按司御井』、『前ヌ御井』
4つの井泉は、『御月御井』、『知念御井(波平御井)』、『按司御井』、『前ヌ御井』となっており、各井泉には霊石が置かれていました。
合祀された4つの井泉のすぐ向かい側には『瀬長拝所建立碑』がありました。
建立碑には、碑文が刻まれていたんですが、ちょっと読みづらかったですね。。。

こちらも引用させて頂きます。

≪瀬長拝所建立碑≫
≪琉球においては神は大空なる「ウフシカグラ」や海上はるかな「ニライカナイ」の國に住んでいると信じられ、海邊の小島とか小高い丘等には各村落に拝所が設けられている。

瀬長拝所もその一つであり、瀬長島には、昔から、神の島、信仰の島として、多くの拝所があった。

これらの拝所は戦後、瀬長島の土地接収に伴い、現在地(アカサチ森)に安置されていたが老朽化が激しくなり、當拝所の建立となった。

當拝所に祭られている神々は、天御人の御神 龍宮繼宮の御神 按司墓の御神、三様御殿 お嶽の御神 永井の御神である。

これらの神々をはじめ瀬長島は豊見城間切の世立て主である南海大神加那志(アマミキヨの子)の住地として玉専が埋葬されていると傳えられ豊見城間切発祥の地として由所ある地であり、また瀬長物参(ムヌメー)や子寶岩で知られ、全島からの参拝者が多い。

尚當拝所建立に際しては、瀬長区民の奉仕活動、参拝者各位の御奉納寺があり、ここに関係者各位の功績を記し、當拝所が末永く整備、保存されることを期待する。≫
・・・とありました。
ミサーヤー(三様御殿)、按司御墓、御骨神の写真
瀬長拝所の神殿のすぐ隣に合祀された3つの拝所。左から『ミサーヤー(三様御殿)』、『按司御墓』、『御骨神』。
そして、神殿に向かって左側には『ミサーヤー(三様御殿)』・『按司御墓』・『御骨神』の3つの拝所が合祀されていました。

また、この3つの拝所の後方には一段高くなった場所があり、そこの一ヵ所に沢山の霊石が並べて祀られてました。
瀬長拝所の一番高い場所の写真
合祀された3つの拝所の後方にある一段高くなった場所。
瀬長拝所の一番高い場所にあった拝所の写真
瀬長拝所の一番高い場所にあった拝所
そして、神殿には、大きな香炉が1基と小さな香炉が3基置かれており、その後方の壁には『天御人之御神』と記されていました。
瀬長拝所神殿の写真
瀬長拝所 神殿
瀬長拝所神殿内部の写真
神殿内部には大きな香炉が1基、小さな香炉が3基置かれていました。
大きな香炉の周囲にも霊石が置かれており、3つの香炉にも霊石が置かれてました。

また、神殿の裏側にも香炉が一つずつ置かれてましたよ。
瀬長拝所裏側の霊石の写真
霊石が一つずつ置かれた神殿の裏側
・・・と、ここまで見学させていただいた後、そのまま帰路に就きました。

もし『瀬長グスク』の拝所や再現された『子宝岩』などを見学しに『瀬長島』を訪れる際は、ぜひこちらの『瀬長拝所』にも足を運んでみてくださいませ。

今回は少し長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『瀬長グスク』・『瀬長拝所』☆

☆場所:〒901-0233
      沖縄県豊見城市瀬長

☆見 学:無料

☆駐車場:あり(瀬長島内) ※『瀬長拝所』:拝所前に2、3台駐車可