◎14~15世紀の三山時代に栄えた南山王の居城跡☆|沖縄放浪日記

2016年7月2日土曜日

◎14~15世紀の三山時代に栄えた南山王の居城跡☆

ハイサぁ~イ

明日(3日)も、沖縄県内では各地でイベントが行われてるみたいですね☆

豊見城市の『美らSUNビーチ』では、『CORONA SUNSETS FESTIVAL』が、今日(2日)・明日(3日)の二日間の日程で開催されているとのこと☆

また、北谷町の国道58号線沿いにある米軍基地『キャンプ・フォスター』内では、『フリーマーケット』が、こちらも土曜・日曜の両日で行われるんだそうです(^^♪

ちなみに、ワタクシは日曜日の午後から、『BAR・ヴィンテージ』さん『バール・ビアンコ』さん主催のビーチパーティが行われるので、午後から遊びに行こうと思っております♪o(⌒▽⌒)o

皆さまも、素敵な週末を楽しんでくださいね☆

さてさて☆

今週水曜日(6月29日)、午後からちょこっと空き時間が出来たので、本島南部方面へちょこっと出かけてきました。

目的地は、糸満市大里にあるグスク跡。

こちらは、かつての琉球三山時代に栄えた南山王の居城跡なんだとか。。。

沖縄県糸満市大里にある
『南山城跡』
道路に面した『南山城跡』の城壁。
こちらは、糸満市の県道82号線7号線が交差する『賀数(北)』の交差点から、県道7号線を同市大里向けに入り約3.1㎞ほど進むと、右側に『糸満市立高嶺小学校』があるので、その小学校を過ぎて最初の信号を右折すると、すぐ右側にあります。

また、城跡の横の小道を挟んですぐ隣には、『糸満市立  高嶺中学校』もあるので、すぐ分かると思います。
城跡横にある小道から見た『南山城跡』の城壁。
『南山神社』入口側から見た城壁。
城跡と『高嶺中学校』の間にある小道の入口付近に小スペースがあったので、そちらにちょこっとクルマを停めさせてもらい、さっそく見学開始。

城跡へは、表の道側から入らず、小道を奥に進んで行くと、右側に鳥居がある入口があるので、そちらから入りました。
小道奥側にある入口。
階段を上がると鳥居があり、参道が奥へと続いています。
鳥居の横に説明版が設置されていたので、まずはそちらから読んでみることに。

その説明によると・・・
≪南山城跡≫
≪南山城は琉球三山分立時代(14世紀頃)に栄えたグスクです。

南山は明国と交易を盛んに行い、財源を得たり、明文化を移入したりして城を中心に南山文化を築いていました。

15世紀になって中山王尚巴志に滅ぼされるまでの朝貢回数は22回を数えます。
参道から見た『南山神社』。
一九八四年、発掘調査が市教育委員会によって行われ、中国製陶磁器やグスク系土器の他、備前焼きスリ鉢、鉄鏃、ガラス製勾玉などが出土しています。

これらの遺物から南山城は13世紀ころに築かれ、14~15世紀前半が特に栄えていたことが分かりました。

南山の東方には水量豊な「カデシガー」、北方には源為朝と王の妹との逢引場所だと伝わる「和解森(わだきなー)」があります。≫
・・・と書かれていました。
南山神社。
また、この説明版の横にもう一つの石製の案内板があり、そちらの説明によると、現在は城壁と以降の一部が残されており、遺跡の大半は『高嶺小学校』の敷地内にあるんだそうです。

この『南山城跡』は、地名から『高嶺城』とか『島尻大里城』とも呼ばれているんだそうです。

南城市に『島添大里城』というグスクがあるんですが、こちらはその分家となっているようですね。
※Google Mapでは、『島尻大里城跡』で登録されていました。
『南山神社』の内部。左右に1基ずつ香炉が置かれてました。
鳥居をくぐって参道を歩いていくと、『南山神社』があり、その奥に本殿があります。

神社内部には、本殿側の出入り口左右に1基ずつ香炉が置かれてました。

そして、神社の後方には、本殿があります。
南山神社の本殿
この『南山神社』には、『南山火ヌ神』と『山川御持火ヌ神』、そして『神元御持火ヌ神』が祀られているんだそうです。

さらに、この本殿の真後ろには、横長の拝所があります。
『南山神社』後方にある横長の拝所。『西銘方按司御墓』(左)と『山川方按司御墓』(右)。
こちらの拝所は、按司墓になっているようで、向かって左側が『西銘方按司御墓』、右側が『山川方按司御墓』なんだそうですよ。

この横長の拝所に向かって左側には、一段高くなった場所があり、そこには『南山城址』と刻まれた石碑が立てられています。
横長の拝所の左側にある石碑が立てられた一段高くなった場所。
石段の横にあった『御名付川』と呼ばれる拝所。
石碑がある場所に上がれる階段のすぐ隣には、『御名付川』と刻まれた石碑が立つ拝所がありました。
『南山城址』と刻まれた石碑。香炉が一基置かれていたので、こちらも拝所となっているようです。
この『南山城址』と刻まれた石碑がある場所は、『南山クバ王御岳』と呼ばれているみたいで、石碑の前にも香炉が1基置かれており、こちらも拝所となっているようでした。

この石碑がある場所からは、『高嶺小学校』のグラウンドが一望できます。
『高嶺小学校』のグラウンド。
また、こちらから先程の横長の拝所の方へ向かうと、横長の拝所横にも一段高くなった場所があり、そちらへ上がることの出来る石段があります。

また、この石段の横側にガジュマルの木が立っており、その根元にも香炉が3基置かれた拝所がありました。
横長の拝所の右側に石段がありました。さらに右側のガジュマルの木の根元にも拝所があります。
ガジュマルの木の根元にあった拝所。
ガジュマルの木の根元にある拝所は、『ウナザラヌ御川』と呼ばれているカー(井泉)のようです。
横長の拝所右側の階段を上がってきたところ。
横長の拝所がある場所の右側から、一段高くなった場所へ上がると、こちらにも拝所がありました。
石段を上がってきた真正面にあった拝所。
石段を上がってすぐのところにある拝所には、文字が刻まれた香炉が置かれていたんですが、上の漢字は判読出来たんですが、残りの文字は判読出来ませんでした。。。

この拝所がある場所から左斜め側にも石が積まれた拝所があります。
もう一ヵ所の拝所。
石が積まれた拝所の隣に6基の香炉が置かれており、前列中央の香炉にも、文字が刻まれていたんですが、判読出来ませんでした。。。

こちらの拝所は、『ミティンジク』と呼ばれる拝所みたいです。
横長の拝所右側の一段高くなった場所。
この拝所が2ヵ所あった場所から、今度は城跡内南側へと進みます。

城跡内は、立派なガジュマルの木がたくさんありましたね。

どうやらこちらのガジュマルの群生は、『沖縄の名木百選』に選ばれているみたいですよ。
立派なガジュマルの木。
先程の場所から、少し進むと、左側の少し開けた場所に、拝所がありました。
拝所が2ヵ所あった場所から少し離れた場所にあった拝所。
神世三代御長男 仁天屋懈大神 末みふし神
石碑には、『仁天屋懈大神』と刻まれていたんですが、グスクとの関連は分かりませんでした。。。

んで、こちらを後にし、城跡内を一通り回ってみたんですが、この他には拝所らしき場所は見当たりませんでした。

あとは、城壁らしき石積みの遺構が点在してましたね。
城壁
城壁
石積み
ガジュマルの群生
『南山神社』の方向を望む
・・・と、一通り回った後は、そのままクルマに戻り、城跡を後にしました。

今回、訪問した際、木々が伐採され、草刈り清掃などが施されており、とても見学しやすかったですね。

県道からもアクセスしやすいので、興味がある方は、ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか?

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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『南山城跡』☆

☆場所:〒901-0325
      沖縄県糸満市大里1901

☆見 学:無料

☆駐車場:無し