◎人々から恐れられていた按司の居城☆|沖縄放浪日記

2015年8月7日金曜日

◎人々から恐れられていた按司の居城☆

どもども☆

昨日から今日にかけて、沖縄本島は、台風13号の影響で、結構風が強いですね。。。

現在、台風13号は、沖縄の南を西北西へと進んでいるみたいで、7日の夜9時くらいには与那国島の南約170kmに達するとのこと。

7日~8日にかけて、八重山諸島は暴風域に入りそうですね。。。

大きな被害もなく、無事に通過してほしいものです・・・

さてさて☆

前回、沖縄県西原町棚原にある『棚原グスク』をご紹介させていただきましたが、今回は、その『棚原グスク』を滅ぼしてしまったとゆー按司が住んでいたと言われるグスクのお話です☆

沖縄県中頭郡西原町幸地にある
『幸地グスク』
こんもりとした丘を中心にこの一帯が『幸地グスク』だったみたいです。
こちらは、西原町幸地の県道29号線沿いにある『オキコ株式会社』から首里向けに行き、最初の信号を左斜め前の道に入ります。

しばらく進んでいくと、『幸地公民館』手前の五差路になっている交差点があるので、そこを左折し、道なりに進んでいきます。

突き当たりまで進み、そこから右折して行くと、開けた場所に出ますので、そこが目的地の『幸地グスク』です。

五差路の交差点から左折し、奥に進むにつれて、対面通行ができないくらいの細い道になってきますので、十分気をつけてください☆
突き当たって右折したトコの道・・・
対向車が来たら、どちらかがバックしないといけませんね(^^;
この『幸地グスク』は、15世紀前半くらいに築かれたグスクらしく、標高約100mの丘陵上にあります。

グスクがある丘陵は、南北に連なっており、峰の上は首里から中頭、そして国頭方面へと続く道があったそうです。

この峰の上の道は、グスク内を通っていて、一種の関所的な機能を持ち、戦の際には道路を封鎖する目的で造られたのではと考えられているとのこと。

いやはや、この『幸地グスク』の按司は、腕力だけが強いわけではなく、頭のキレる按司だったみたいですね(^^;
グスク入口前の広場
『馬場跡』と考えられているみたいです。
その腕力が強く、知略に長けた『幸地グスク』の城主は、本島中部にある『伊波グスク』の城主・伊波按司の二代目から分家してきた按司で、アッタヌシー(熱田子)と呼ばれていたんだそうです。

幸地熱田子は、『棚原グスク』の棚原按司と、そして『幸地グスク』からほど近い場所にある『津喜武多グスク(チチンタグスク・チキンタグスク)』の津喜武多按司の両方を滅ぼしてしまいます。。。

この『津喜武多グスク』でのお話も、前回の『棚原グスク』と似たようなお話なんですが・・・
広場から頂上へと続く階段
雑草が少し伸びてましたが、荒れ放題とゆーわけではなく、定期的に清掃・整備がされている感じでした。
隣りの『津喜武多グスク』の津喜武多按司の妻は、これまた絶世の美女だったそうです。
こんな近くに絶世の美女が二人もいたんかい!!って言いたくなっちゃいますよね( ̄▽ ̄;ハハッ。。。

幸地熱田子按司は、またまた邪の恋心を抱きますヽ(^。^;

ある日、津喜武多按司の妻が、近くの川で髪を洗っていた時、偶然そこを通りかかった幸地熱田子は、泥土を夫人に投げつけいたずらしたんだとか。

夫人は、即刻このことを津喜武多按司に報告すると、按司は激怒したんだそうな。。。

しかし、相手は剛腕で知られる幸地熱田子。。。
階段を上がっていくと、頂上には『ビージル』と呼ばれる拝所があります。
そして『ビージル』の向かい側には香炉のようなものがありました。
どうにか事を荒立てずに、様子を見ることにしました。

しかしその頃、幸地熱田子は、津喜武多按司が激怒したことを聞きつけ、策略を練り、部下達を引き連れ津喜武多按司の元へと向かいます。

幸地熱田子は、津喜武多按司に対し、今回の事について謝罪します。

すると、津喜武多按司は安堵し、幸地熱田子とその部下達を招き入れ、仲直りの饗宴を開きます。
『ビージル』から入口とは逆の方へと下っていくと、少し開けた場所に出ます。
案内板の地図によるとこの右奥が『北東の曲輪』になっているようです。
『北東の曲輪』
宴も終盤に差し掛かった頃、幸地熱田子は、津喜武多按司が持っているとても珍しい宝剣を見たいと嘆願します。

大変気を良くしていた津喜武多按司は、宝剣を渡してしまいます。

宝剣を手にした瞬間、幸地熱田子は津喜武多按司を斬り、泥酔していた家臣達も片っ端から皆斬り捨ててしまいます。

そして、想いを寄せていた夫人を、口説き落そうと試みます。
『北東の曲輪』からさらに下の方へ行ってみると、『幸地グスクガー』と書かれた石碑を挟んで2つの井戸がありました。
しかし、貞淑な夫人は、井戸に身を投じてしまいました。

この話を聞いた津喜武多按司の遠縁にあたる今帰仁按司は、大軍を引き連れ討伐に来るが、幸地熱田子は、謝罪する振りをして今帰仁按司らを油断させ、饗宴を開いて泥酔したところを、予め隠れさせていた伏兵達に討たせました。。。

その後、今帰仁按司の4人の息子達は、幸地熱田子討伐を堅く誓いあい、兵馬の訓練を積み、数年後に見事幸地熱田子を倒し、津喜武多按司とその妻、そして父親の仇を討ち取りました。
『幸地グスク』の北西側には道を隔てて『幸地按司ガー』と『グスク上門ガー』があります。
『遺老説伝』とゆー古い民話によると、幸地熱田子のお墓は、石嶺御獄(現在の西原町字幸地 安津田)にあり、翁長村にはその子孫らがいて、その墓を守っているとのこと。。。

・・・と、ちょっと話が長くなってしまいましたが、幸地―津喜武多グスクの伝承は、こんな感じです☆

今回、『棚原グスク』・『幸地グスク』には行って来たんですけど、時間の都合上、『津喜武多グスク』には行けなかったんですよ・・・

なので、また近々、時間を作って『津喜武多グスク』にも足を運んでみようと思ってますので、その時にまたご紹介出来ればと思います(*^_^*)
『幸地グスク』の広場から知念半島を臨む。
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『幸地グスク』☆

☆場所:〒903-0116
      沖縄県中頭郡西原町幸地

☆時間:自由見学

☆入場料無料

☆駐車場有り(グスク入口前の広場に駐車可能)

☆トイレ無し