どぉも~☆
今日も沖縄本島は、とてもいい天気でしたが、今週末くらいに、今度は台風13号が接近してくるみたいです。。。ヽ(^。^;
今週、土曜日と日曜日の二日間は、宜野湾市海浜公園内にて『第38回 宜野湾はごろも祭り』が開催される予定なんですけど、台風の接近に伴い延期になりそうな感じがしますね。。。(-_-;
はぁ・・・また、台風対策しなくちゃいけませんねぇ・・・
さてさて☆
今回は、かつて沖縄本島の具志川を含む中部一帯に勢力を誇っていた安慶名グスクの城主『安慶名大川按司』の弟が住んでいたとされるグスクに行ってきました♪
沖縄県中頭郡西原町棚原にある
こちらは、西原町棚原の北側の県道34号線沿いにある『アパートメントユニバーシティー』とゆーアパートの脇道から入り、ひたすら真っ直ぐ進みます。
しばらく進んでいくと、左前方に『FC棚原アパート』とゆーアパートが見えてきますので、そのアパートの向かいから上の方に延びる坂道を登ると、今度は大きな貯水タンクがあります。
そして、その横を通過して進んでいった先の奥が『棚原グスク』になっています。
表の道には、グスクへの案内板などはありませんので、ちょっと分かりづらいかと思います。。。
実際、自分も初めて訪れた時は、一度訪れたことのある方に連れてってもらいました( ̄▽ ̄)ノ☆
グスク入口には、案内板が設置されてますので、この周辺にクルマを停めてから、歩いて行った方がいいですね。
駐車スペースなどは、全くないので、手前側の空きスペースなどに駐車した方がいいかと思います。
たまにお墓参りや掃除にいらっしゃる集落の人もいたりしますので。
上の方に続く道を歩いて行くと、まずは開けた場所に辿り着きます。
そこにもグスクの標識があるんですけど、ここが主郭ではないようです。
この開けた場所の横には、お墓が一基あるんですが、どなたのお墓は分かりません。
そのお墓の横に、小さな御嶽があります。
この標識とお墓・御嶽がある場所から、奥へと続く道がありますので、さらに奥の方へと進みます。
途中、獣道みたいな脇に延びる道もあるんですけど、そこには何もなかったり、お墓が一基あったりしただけでした。
その脇道も通過して行くと、一ヶ所木々が開けた場所に出ます。
さらに進んでいくと、少し階段状の石垣があり、そこを登ると、ようやく『棚原グスク』の主郭に到着です。
主郭の奥には、『棚原城之殿』とゆー小さな殿があります。
そして、殿の右後方には、『棚原グスク』の遺構らしき石垣も残ってました。
この『棚原城之殿』がある主郭で終わりです。
『棚原グスク』は、沖縄戦後、採石が行われ、その際に石垣遺構が運びだされた可能性があるとのこと。。。
なので、現在、グスク内は、ススキや樹木が生い茂り、どのような曲輪構成をとっていたのか判らなくなってしまっているんだそうです。
発掘調査の結果、城跡内からはグスク系土器、輸入陶磁器、カンギクなどの異物が出土したみたいですよ。
この『棚原グスク』には、伝承がいくつか残っているみたいですが、その中の有名な伝承が棚原按司夫人のお話。
棚原按司夫人は、絶世の美女だったそうで、すぐ近くにある『幸地グスク』の幸地熱田子按司が、その按司夫人に邪な想いを抱いてしまいます。
幸地熱田子按司は、策謀を用い棚原按司を亡き者にしてしまいました。
按司夫人は、『棚原グスク』から逃げ出し、具志川間切りの兼箇段まで落ち延びましたが、幸地熱田子按司に追いつかれてしまい、連れ戻されてしまいます。
連れ戻された按司夫人は、舌を噛み切って自害してしまったんだそうです。
この話を聞きつけた兼箇段大主は、大変気の毒に思い、按司夫人を丁寧に葬ったとのこと。。。
また、棚原按司の娘の伝承も残ってるみたいですね。
『棚原グスク』は、5~6代目まで続いたそうですが、第二尚氏時代に首里城下に移り住み、その後、空城となったグスクに糸満真栄里グスクの先中城按司の子が棚原按司を継いだとも言われてるみたいです。
今度は、この『棚原グスク』を滅ぼしたと言われる幸地熱田子按司の居城『幸地グスク』をご紹介したいと思いますo(^-^)o
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
↓宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
☆『棚原グスク』☆
☆場所:〒903-0126
沖縄県中頭郡西原町棚原
☆時間:自由見学
☆入場料無料
☆駐車場無し
☆トイレ無し
今日も沖縄本島は、とてもいい天気でしたが、今週末くらいに、今度は台風13号が接近してくるみたいです。。。ヽ(^。^;
今週、土曜日と日曜日の二日間は、宜野湾市海浜公園内にて『第38回 宜野湾はごろも祭り』が開催される予定なんですけど、台風の接近に伴い延期になりそうな感じがしますね。。。(-_-;
はぁ・・・また、台風対策しなくちゃいけませんねぇ・・・
さてさて☆
今回は、かつて沖縄本島の具志川を含む中部一帯に勢力を誇っていた安慶名グスクの城主『安慶名大川按司』の弟が住んでいたとされるグスクに行ってきました♪
沖縄県中頭郡西原町棚原にある
『棚原グスク』☆
奥のこんもりとした丘が『棚原グスク』♪ |
しばらく進んでいくと、左前方に『FC棚原アパート』とゆーアパートが見えてきますので、そのアパートの向かいから上の方に延びる坂道を登ると、今度は大きな貯水タンクがあります。
そして、その横を通過して進んでいった先の奥が『棚原グスク』になっています。
表の道には、グスクへの案内板などはありませんので、ちょっと分かりづらいかと思います。。。
実際、自分も初めて訪れた時は、一度訪れたことのある方に連れてってもらいました( ̄▽ ̄)ノ☆
『棚原グスク』入口 |
駐車スペースなどは、全くないので、手前側の空きスペースなどに駐車した方がいいかと思います。
たまにお墓参りや掃除にいらっしゃる集落の人もいたりしますので。
『棚原グスク』の標識 |
そこにもグスクの標識があるんですけど、ここが主郭ではないようです。
この開けた場所の横には、お墓が一基あるんですが、どなたのお墓は分かりません。
そのお墓の横に、小さな御嶽があります。
標識がある場所の横にあったお墓 |
お墓横にある御嶽 |
途中、獣道みたいな脇に延びる道もあるんですけど、そこには何もなかったり、お墓が一基あったりしただけでした。
その脇道も通過して行くと、一ヶ所木々が開けた場所に出ます。
この先がグスクの主郭。 右下の小さな階段の先にはお墓が一基あっただけでした。 |
手すりがある道からの景色 |
主郭に続く階段状の石垣 |
棚原グスクの主郭 |
『棚原城之殿』 歴代の棚原按司が祀られているんだそうです。 |
この『棚原城之殿』がある主郭で終わりです。
『棚原グスク』は、沖縄戦後、採石が行われ、その際に石垣遺構が運びだされた可能性があるとのこと。。。
なので、現在、グスク内は、ススキや樹木が生い茂り、どのような曲輪構成をとっていたのか判らなくなってしまっているんだそうです。
発掘調査の結果、城跡内からはグスク系土器、輸入陶磁器、カンギクなどの異物が出土したみたいですよ。
石垣 |
棚原按司夫人は、絶世の美女だったそうで、すぐ近くにある『幸地グスク』の幸地熱田子按司が、その按司夫人に邪な想いを抱いてしまいます。
幸地熱田子按司は、策謀を用い棚原按司を亡き者にしてしまいました。
按司夫人は、『棚原グスク』から逃げ出し、具志川間切りの兼箇段まで落ち延びましたが、幸地熱田子按司に追いつかれてしまい、連れ戻されてしまいます。
連れ戻された按司夫人は、舌を噛み切って自害してしまったんだそうです。
この話を聞きつけた兼箇段大主は、大変気の毒に思い、按司夫人を丁寧に葬ったとのこと。。。
棚原グスクからの景色 |
『棚原グスク』は、5~6代目まで続いたそうですが、第二尚氏時代に首里城下に移り住み、その後、空城となったグスクに糸満真栄里グスクの先中城按司の子が棚原按司を継いだとも言われてるみたいです。
今度は、この『棚原グスク』を滅ぼしたと言われる幸地熱田子按司の居城『幸地グスク』をご紹介したいと思いますo(^-^)o
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
↓宜しければブログランキングへ 御協力お願い致します。
☆『棚原グスク』☆
☆場所:〒903-0126
沖縄県中頭郡西原町棚原
☆時間:自由見学
☆入場料無料
☆駐車場無し
☆トイレ無し