◎妖怪を退治するために建てた石碑(´▽`)ノ☆|沖縄放浪日記

2015年7月15日水曜日

◎妖怪を退治するために建てた石碑(´▽`)ノ☆

どぉ~もぉ~♪

台風が過ぎ去って、沖縄は、日中こそ暑いものの、夜は涼しい風が吹いて、とても過ごしやすい日が続いてますが、本土の方では、連日、猛暑日が続いてるみたいですね。

昨日、群馬県館林市は全国で最高気温の39.7度を記録し、35度以上が27地点にものぼっているそうで。。。

また、7月6日~12日の一週間の内に、全国で救急搬送された人が、今年最多の3058人となっているんだとか。。。

水分と塩分をこまめに補給するなどして、熱中症予防対策を心がけましょうo(^-^)o

さてさて☆

以前、勤め先の社長から浦添市の『経塚』とゆー地名の由来について教えてもらったことがあり、ちょっと興味が出てきたので、その伝説の発祥と言われてる石碑を見に行ってきました☆

沖縄県浦添市経塚にある『経塚の碑』
経塚の碑
こちらは、浦添市の県道153号線那覇市首里大名方面から浦添市安波茶向けに行き、『第二経塚』のバス停を通過して、約50~60mくらい進むと左斜めに伸びる道がありますので、その道に入ってすぐ右側にあります☆

この『経塚の碑』は、琉球松が立ち並ぶ小高い丘の上に建つ『金剛嶺』と刻まれた石碑のことで、昭和56年の3月に浦添市の文化財の指定されています。
経塚の碑(金剛嶺碑)
昔、この経塚一帯は、琉球松が生い茂る人里離れた淋しい場所だったそぉで、もともと集落は無く、首里から浦添に通ずる道しかありませんでした。

その琉球松の森に妖怪が住みつき、通りがかった人々をたぶらかしていたんだとか。。。

尚円王統の尚真王時代に、高野山で修業した日秀上人(紀州の真言宗知積院の住僧)が、お経(金剛経)を小石に写経して土の中に埋め、その上に『金剛嶺』と刻んだ石碑を立てて、妖怪を封じ込めたと伝えられています。
経塚の碑の周囲には、現在も琉球松が立ち並ぶ。。。
以来、地震やカミナリが起こった際、「チョウチカチカ」、或いは「チョウチカ、チョウチカ」と唱えると、治まると信じられるようになったんだそぉです。

お経を埋めた『塚』を経塚といい、この地域一帯の名前の由来となっています。

また、琉球松の森(毛)でもあったことから、地元では『お経毛(うちょうもう)』と呼ばれているんだとか。
『経塚の碑』がある丘の周囲の様子
なので、この『経塚の碑』がある一帯は、『うちょうもう広場』とゆー名称みたいですね。

『経塚の碑』は、旧暦10月1日の『ウマチーヌウガン』で拝まれるなど、地元の人々から大切にされているんだそうですよ。

この『経塚の碑』がある『うちょうもう広場』の一角に、もう1つ『いちゃりば兄弟(チョーデー)』と刻まれた石碑があるんです。
いちゃりば兄弟の石碑
その石碑の隣には碑文が刻まれた石板があるんですが、その碑文によると・・・先程も少しだけ触れましたが、この経塚とゆー部落は、昔からあったわけではなく、1944年に安波茶・前田・沢岻の一部を割いて造られた新しい部落との事。

その新しい部落の名称を『経塚』としたのは、『経塚の碑』の伝承で有名な地であることから。

当初は、道の両側に民家が点在する閑散とした部落だったが、住民は協力的で、しかも団結心が強かったんだそぉです。
いちゃりば兄弟 碑文
『いちゃりば兄弟』とは、『一度出逢えばみんな兄弟だから親身に接する』とゆー意味で、古くから伝わる沖縄のことわざです。

この部落も、『いちゃりば兄弟』の如く、これから益々みんなで一致団結して、住み良い地域社会を築いていきましょうとゆー思いを込めて建立したんだそぉです。

この浦添市経塚は、区画整理事業が進み、新しい道路や建物が次々と造られ、だんだんと様変わりしてきています。

今後とも『経塚の碑』の伝承を後世に伝えつつ、また、地域の絆も大切に守っていってほしいものですね。。。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『経塚の碑』・『いちゃりば兄弟』石碑☆

☆場所:〒901-2111
      沖縄県浦添市経塚1丁目(うちょうもう広場)

☆時間:自由見学

☆入場料無料

☆駐車場無し

☆トイレ有り