沖縄放浪日記: 史跡・遺跡・文化財

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2018年3月22日木曜日

南城市知念の志喜屋集落内に点在する拝所群☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回ご紹介した『志喜屋グスク』を見学した後、『志喜屋公民館』がある"志喜屋(シチャ)"集落内へと移動しました。

"志喜屋(シチャ)"集落内にも、拝所や拝井泉など多数の史跡が点在しているんですよ。

沖縄県南城市知念志喜屋にある

『志喜屋(シチャ)集落内に点在する拝所群』

志喜屋農村公園の写真
『志喜屋公民館』前にある『志喜屋農村公園』。

2018年3月20日火曜日

16世紀から18世紀頃に築かれたとされる南城市知念志喜屋のグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

今回も、前々回の続きです。

"上志喜屋(カンチャ)"集落にある『古間グスク(カンチャグスク)』や集落内に点在する拝所などの史跡を見学した後、志喜屋集落を横切る国道331号線沿いにある南城市の史跡に指定されているグスク跡を見学しに向かいました。

南城市知念志喜屋にある

『志喜屋グスク』

志喜屋グスクの写真
グスク域北側にある『チチンジャーガー』の香炉。

2018年3月17日土曜日

南城市知念の志喜屋集落後方にある丘陵地に位置するグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回まで南城市玉城に属する『奥武島』内に点在する史跡をご紹介してきましたが、引き続き南城市の史跡をご紹介したいと思います。

話が前後してしまうんですが、先月(2月)の9日は、南城市知念の志喜屋集落へグスク跡や拝所などの史跡を見学しに行ってきました。

同集落は、国道331号線を隔てて南北に分かれており、まず最初に向かったのは丘陵地になっている北側の集落です。

沖縄県南城市知念志喜屋にある

『古間グスク(カンチャグスク)

古間(カンチャ)グスクの写真
集落北側の『かちひんばし』から見た『古間グスク』(写真中央)。水平線上に久高島も見えます。

2018年3月15日木曜日

南城市玉城の『奥武島』内に点在する御嶽や井泉などの拝所群☆

ハイサぁ~イ⭐

今回も、前々回の続きです。

『奥武観音堂』の西側にある『タカラ城』『玉城按司 兼松金の墓』、そして『奥武公民館』にある『観世音泉(クヮンヌンガー)』などを見学した後、島内を囲み込むような形で点在する"拝所"を見学しに向かいました。

以前からお話しているように、『奥武島』内には多くの拝所が点在しており、今回はちょっと長~くなりますので、ご了承ください。。。

沖縄県南城市玉城奥武の『奥武島』内に点在する

『東之御嶽やヒータチーなどの拝所群』

ヒータチー(灯台)の写真
かつて石油ランプを灯して夜間の安全航海に重要な役割を果たしていたヒータチー(灯台)。

2018年3月12日月曜日

奥武島にある観音堂西側に位置するグスク跡と玉城兼松金の墓☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回の続きです。

前々回、『奥武観音堂』『中之御嶽(中御願)』などを見学した後、観音堂の西側にある史跡を見学しに向かいました。

沖縄県南城市玉城奥武の『奥武島』内にある

『タカラグスクと玉城兼松金の墓』

殿の写真
『奥武観音堂』の西側に隣接する『殿』。

2018年3月10日土曜日

南城市玉城に属する奥武島にある観音堂とその近隣に点在する史跡☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、南城市玉城中山にある『ガルガー滝』をご紹介しましたが、『ガルガー滝』を見学した後、この日最後に同市玉城に属する『奥武島』へと向かいました。

この『奥武島』の島内にも井泉や御嶽など多くの史跡が点在しているんですが、今回は、その中の島内のほぼ中央に位置する観音堂とその近隣にある史跡をご紹介したいと思います。

沖縄県南城市玉城に属する奥武島にある

『奥武観音堂』

奥武観音堂の写真
『奥武観音堂』の前に立つ寒緋桜がとても綺麗でしたねぇ~

2018年2月28日水曜日

聖地巡礼行事『東御廻り』で逆の順路を辿る際の最初の拝井泉☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回、南城市玉城百名の『大前之殿』『ジャジュンの文化財群』、そして『大城グスク』等をご紹介しましたが、そちらを見学した後、同市玉城志堅原へと向かいました。

志堅原集落の南側の端に、聖地巡礼行事『東御廻り』の逆の順路で廻る際の最初の拝所として知られる拝井泉があるんです。

沖縄県南城市玉城志堅原にある

『志堅原仁川』

志堅原仁川の写真
志堅原集落の海岸へと続く道の両側にある『志堅原仁川』。

2018年2月25日日曜日

南城市玉城百名にある『大前之殿』と『ジャジュンの文化財群』☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した南城市玉城仲村渠にある『仲村渠樋川』を見学した後、次に向かったのは、仲村渠集落の南側に隣接する百名集落です。

百名集落内にも拝所や井戸跡などの史跡が数多く点在しているんですが、今回はその中の数ヵ所を回ってきました。

沖縄県南城市玉城百名にある

『大前之殿とジャジュンの文化財群』

根所前之殿の写真
南城市玉城百名の『百名入口』というバス停近くにある『天神社五穀之宮大前之殿』。

2018年2月23日金曜日

津堅島の石工により琉球石灰岩で改築された仲村渠集落の共同用水施設☆

ハイサぁ~イ⭐

今月(2月)の13日も、午後から南城市の史跡を見学しに行ってきました。

まず最初に向かったのは、南城市玉城仲村渠にあるかつての集落の共同用水施設です。

沖縄県南城市玉城仲村渠にある

『仲村渠樋川』

仲村渠樋川の写真
平成7年6月27日に国の重要文化財に指定された仲村渠集落の共同水施設『仲村渠樋川』。

2018年2月20日火曜日

聖地巡拝『東御廻り』の地の1つ『テダ御川』と内間大親が築城したとされるグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は前々回の続きです。

前々回にご紹介した南城市佐敷字佐敷にある『苗代大屋の屋敷跡』を見学した後、次に向かったのは、同市知念字知名の『知名崎』にある拝所です。

こちらは、かつて国王が麦の初穂祭に久高島を巡拝する途中、ここで飲み水を補給し、航海の安全を祈願しながら休息をとったとされる場所で、沖縄の聖地巡礼行事『東御廻り』で回る聖地の1つとなっています。

沖縄県南城市知念字知名にある

『テダ御川と知名グスク跡』

テダ御川の写真
国王一行が久高島参詣の途次に飲料水を補給し、航海祈願をした場所とされる『テダ御川』。

2018年2月15日木曜日

琉球王朝第一尚氏の初代国王『尚思紹』こと『苗代大屋』の屋敷跡☆

ハイサぁ~イ⭐

前回のブログ記事でご紹介した南城市玉城志堅原にある『もずくそばの店 くんなとぅ』に行った翌日(8日)も南城市へ行ってきました。

この日は同市佐敷字佐敷にある三山を統一した『尚巴志』の父で、後の琉球王朝第一尚氏・初代国王となった『尚思紹』の屋敷跡です。

沖縄県南城市佐敷字佐敷にある

『苗代大屋の屋敷跡』

苗代大屋の屋敷跡の写真
佐敷集落後方にある森の中にひっそりと佇む『苗代大屋の屋敷跡』。

2018年2月11日日曜日

名護市の真喜屋集落内にある津波被災地跡の石碑と市指定文化財のサガリバナ☆

ハイサぁ~イ⭐

以前、名護市の真喜屋集落内にある『上之御嶽遺跡(真喜屋グスク)』をはじめとする拝所群をご紹介しましたが、後日、いろいろ調べていると、2、3ヵ所見落としていた史跡があったので、今月(2月)の3日に本島北部へ出かけた際、帰りがけに残りの史跡をちょこっと見学してきました。

沖縄県名護市真喜屋にある

『津波被災地跡・真喜屋のサガリバナ・つるかみ拝所』

旧真喜屋小学校津波被災地跡の写真
『津波被災地跡』の石碑が建立されている『真喜屋運動広場』。

2018年1月18日木曜日

名護市の久志グヮー内に点在する『ウガミ』をはじめとする史跡☆

ハイサぁ~イ⭐

今月(1月)11日の午後は、少し時間が空いたのと天気もまぁまぁ良かったんで、以前訪れた際に回ることが出来なかった拝所などを見学するために、再び名護市の久志集落へ行ってきました。
※今回もちょっと長くなりますのでご了承下さいませ🙇🙇🙇

沖縄県名護市久志に点在する

『ウガミをはじめとする拝所群』

龍宮の写真
久志集落南東の砂浜にある岩の上に立つ『龍宮』の石碑。
久志集落の西から北東へ走る国道329号線から『久志区運動場(久志公園)』と書かれた看板が立つ小道へ入り、まずはその『久志区運動場』の南側に位置する史跡へ向かいました。
ワタンサー(渡川)の写真
運動場の南側の道路沿いにある『ワタンサー(渡川)』と称される拝所。
こちらは『ワタンサー(渡川)』(若しくは"ワタンジャー"とも)と称される拝所で、『久志運動場』の南側斜面と集落内を流れる『オート川』の間を走る道路沿いにあります。
ワタンサー(渡川)の写真
ワタンサー(渡川)。
かつては集落の人々が飲み水を汲んだ井泉だったそうなんですが、ご覧の通り道路が通されていて、井泉の姿形は無く、名称が刻まれた石柱と1基の香炉が置かれているのみです。

久志集落には、旧暦の1月3日に行われる『ドウドイ』と称される「股間が痛い」祭事があるんですが、この『ドウドイ』が行われる前に『カーウガミ』と称される集落内に点在する川や井戸に御願をしてまわる行事が行われます。

こちらの『ワタンサー(渡川)』も、この『カーウガミ』(カーウガンとも)の際にまわる拝所の1つとなっているようです。
久志公民館前のガジュマルの写真
久志公民館前にあるガジュマルの木。
『ワタンサー(渡川)』の拝所を見学した後、次に向かったのは久志公民館前。

こちらにはとても立派なガジュマルの木が立っているんですが、このガジュマルの木は2014年に公開された『がじまる食堂の恋』という映画にも登場しているんだそうですよ~。

ちなみに、ワタクシはこの映画をまだ見たことがないんですが、興味がある方はぜひご覧になってはいかがでしょうか?(笑)😅
掲示板のすぐ隣にある『久志貝塚』の説明板。
そして、集落内を走る県道13号線を背にしてこのガジュマルの木に向かって左側の方に掲示板が設置されているんですが、そのすぐ隣に『久志貝塚』の説明板が設置されています。

その説明を読んでみると・・・
≪久志貝塚≫
≪字久志の初期集落の可能性があります。1979年の発掘調査で、貝塚時代後期後半の土器が多数出土し、住居跡も6軒確認されました。

後期土器の中に稲のモミ圧痕が確認され、稲作の存在を推察する資料となっています。≫
・・・とありました。

名護市の公式HPを見てみると、沖縄貝塚時代後期後半からグスク時代初期(約1700年前~約800年前)と記載されていました。
(参考⇒名護市公式HP:http://www.city.nago.okinawa.jp/9/8882.html)
久志区体育館の写真
久志公民館と併設されている久志区体育館。
『久志貝塚』の説明を読み終え、久志公民館と併設されている久志区体育館の前へと向かいます。

この久志区体育館の前にも井戸跡があるんです。
ウェヤガー藍屋井の写真
久志区体育館前にある『ウェヤガー藍屋井』。
こちらの井戸跡は、『ウェヤガー藍屋井』と称される拝所で、こちらもまた『カーウガミ』でまわる拝所の1つとなっているようです。
ウェヤガー藍屋井の写真
ウェヤガー藍屋井。
ウェヤガー藍屋井の写真
モルタルと石で囲われた井戸跡。手前に香炉が1基設置されていました。
こちらの井戸については、資料などがネット上に見当たらなかったので、詳細は不明です。。。
久志区のガジュマルの木の写真
久志区体育館前から先程のガジュマル木を見たところ。
映画に出ていたガジュマルの木や『ウェヤガー藍屋井』を見学した後、次に向かったのは久志公民館の北東側、先程のオート川沿いへと移動しました。
シチャヌ川(産川)の写真
公民館の北東側のオート川沿いにある『シチャヌ川(産川)』。
オート川沿いの未舗装道路沿いに『シチャヌ川(産川)』と称される拝井泉があります。
シチャヌ川(産川)の写真
シチャヌ川(産川)。
こちらもまた『カーウガミ』でまわる拝井泉の1つとなっているようで、井泉の名称が示すように、こちらの水は、かつては"若水"や"産水"として利用されていたのでしょうね。
シチャヌ川(産川)の写真
『シチャヌ川(産川)』の前からオート川の上流を見たところ。
この『シチャヌ川(産水)』の左斜め向かい側に伸びる道へ進んでいくと、前々回にご紹介した『久志之若按司御位牌安置所』の後方の丘陵地に出るんですが、この丘陵上にも拝所がありました。
久志集落東側の丘陵彫にある拝所の写真
丘陵上にある拝所へ通ずる小道。右へ進むと『久志之若按司御位牌安置所』に向かうことができます。
久志集落東側の丘陵上にある拝所の写真
丘陵上の草木に囲まれた拝所。
こちらの拝所は、ネット上にアップされている資料などには掲載されていなかったため、残念ながら名称や由来などの詳細は不明です。。。
久志集落東側の丘陵上にある拝所の写真
久志集落東側の丘陵上にある拝所。
そして、こちらを見学した後、一旦先程の『久志之若按司御位牌安置所』後方の十字路まで戻り、集落を離れて北東側に伸びる小道へと進みました。

十字路から道なりに約210mほど進んでいくと、道路沿い右側に『ヌロカー(祝女川)』があります。
ヌロカー(祝女川)の写真
『久志之若按司御位牌安置所』後方の十字路から約210mほど進んできたところ。
ヌロカー(祝女川) イチミチガーの写真
『ヌロカー(祝女川) イチミチガー』。
『ヌロカー(祝女川)』は、別名『イチミチガー』とも称されているようで、石柱には名称が2つ記されていました。

その石柱の右側から林の奥へ入っていくと・・・
ヌロカー(祝女川) イチミチガーの写真
突き当りに1基の香炉が設置されていました。
突き当りの木の根元に1基の香炉が設置されており、"井戸跡"らしき遺構はありませんでしたね。

また、香炉が設置されている場所の右側の一段低くなった場所には、小川が流れていました。
ウガミの写真
久志集落の東側の『ウガミ』という重要な拝所がある丘陵遠景。
『ヌロカー(祝女川)』を見学した後、来た道を約130mほど戻り、左側にある脇道へ左折します。

そして、約100mほどの距離左側にある2つめの脇道へ左折し、最初に差し掛かる十字路をまた左折して道なりに約140mほど進むと、右側の木々の間に丘陵上へと続く階段があります。
ウガミの写真
『ウガミ』へと続く階段。
その階段を上がっていくと、少し開けた場所があり、その一画に4基の香炉が安置された赤瓦屋根の祠があります。
ウガミの写真
丘陵上の広場にある『ウガミ』。
こちらは『ウガミ』と称される拝所で、集落に点在する拝所の中で重要な場所となっているんだそうです。

この『ウガミ』がある場所の南側の斜面は、かつて久志の古い村があった所なんだそうです。
ウガミの写真
祠の内部には4基の香炉が安置されていました。
『ウガミ』は、久志と辺野古の女性だけが1年に1度だけ集まり、酒を酌み交わしながら家内の発展を祈願する行事『ウガメー(ウガミエー)』を行なう場所となっており、この『ウガメー(ウガミエー)』は、男子禁制なんだそうですよ。

『ウガミ』を見学させて頂いた後、今度はここから南側の以前ご紹介した『久志之若按司之墓』の県道13号線を挟んで道向かいにある小道の先へと移動しました。
竜宮の写真
久志集落の南東側にある砂浜。波打ち際にある岩の上に石碑が立てられています。
この小道の先にある砂浜の波打ち際に『竜宮』と記された石碑の立つ拝所があります。
竜宮の写真
波打ち際にある岩の上に立つ『竜宮』と記された石碑。
この日、こちらを訪れた時は、引き潮となっていたので、石碑に近づいて撮影することが出来たんですが、大潮の満潮時には近づけないかもしれませんね。。。
竜宮の写真
『竜宮』の拝所。
ネットでちょこっと調べてみると、こちらは旧暦の3月3日に行なわれる年中行事『泊竜宮祭』の際に拝みが行なわれるようです。
久志区ハーレー船倉庫の写真
久志区ハーレー船倉庫。
また、この『竜宮』の拝所がある砂浜の手前側に倉庫があるんですが、この倉庫は旧暦4月に行われる海の安全と五穀豊穣を祈願する伝統行事『アブシバレー』の際に使用する『ハーレー(ハーリー)船』が保管されています。
久志集落前の海の写真
ハーレー船を海に進水させるためのスロープ。
そして倉庫の前には『ハーレー船』を進水させるためのスロープも設置されています。
ハーリーの場の写真
ハーレーが行われる久志集落前の海を見たところ。
『竜宮』の拝所と『久志区ハーレー船倉庫』を見学した後は、最後に以前ご紹介した久志集落の『慰霊塔』の前へと移動しました。
ティマンサの写真
久志集落の『慰霊塔』の前にある広場。
以前訪れた時、こちらの広場は雑草が生い茂っていたんですが、この日は綺麗に草が刈り取られていました。

んで、広場の東側の一画に石柱が立っているのを発見。

すかさずそちらの方へ行ってみると・・・
ティマンサの写真
『ティマンサ』と記された石柱。県道上からはほとんど見えません。。。
生い茂る木々の手前に『ティマンサ』と記された石柱と1基の香炉が設置された拝所がありました。
『ティマンサ』の拝井泉。
いろいろ調べていくと、こちらもまた『カーウガミ』でまわる拝井泉の1つとなっているようですね。

また、この『ティマンサ』の拝井泉の向かい側、広場の西側に土が少しこんもりと盛り上がった場所があり、その左隣に方形のコンクリートの石が置かれていました。
ティマンサの写真
広場の入口近くにあった拝所らしき場所。木の根元に方形のコンクリート石が置かれていました。
こちらが"拝所”となっているのかは分かりませんが、一応撮影しておきました(笑)。

・・・と、ここまで見学した後はクルマに戻り、久志集落を後にしました。

いかがでしたでしょうか?

今回4記事に渡って久志集落内に点在する史跡をご紹介してきましたが、史跡だけでなく、久志集落には、久志舞踏保存委員会があり、古くから伝わる伝統芸能にも力を入れているんだそうです。

特に、長者の大主・人形踊・南洋千鳥・組踊「久志の若按司」などをはじめとする15の演目を久志区の保存舞踏に指定しているとのこと。

また、3年に一度行なわれる『村踊り」は、旧暦の7月14日(正月)と16日(別れ)に行なわれるんだそうで、『村踊り』が無い年には、『エイサー』と『盆踊り』が行なわれるんだそうですよ。

機会があれば、久志集落の新年の恒例行事である『ドウドイ』や『村踊り』などを見学しに行ってみたいものです。

今回は、ちょっと長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『ウガミ』・『龍宮』・『ワタンサー』・『ウェヤガー藍井』他☆

☆場所:〒905-2173
     沖縄県名護市久志

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。

2018年1月14日日曜日

久志若按司の位牌が納められている安置所と祭祀を取り仕切っていたノロの屋敷跡☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、前々回の続きです。

名護市の久志集落の東側に位置する『久志の観音堂』『上ヌクムイ 下ヌクムイ』等を見学した後、最後に集落の祭祀を取り仕切っていた祝女(ノロ)の屋敷跡と『久志之若按司』の位牌が納められている安置所を見学しに向かいました。

沖縄県名護市久志にある

『久志之若按司御位牌安置所と祝女殿内』

久志之若按司御位牌安置所の写真
久志集落東側の丘陵の麓にある『久志若按司御位牌 安置所』。

2018年1月10日水曜日

尚経と顧思敬という人物が貰い受けた観音像を安置するために久志村に建てたお堂☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した『久志之若按司之墓』を見学した後、そのすぐ近くにあるお堂へ向かいました。

こちらは、尚経(豊見城王子朝良)と顧思敬(久志親方助豊)が、久志間切の総地頭の時にもらい受けた観音像を納めるために建てたお堂なんだそうです。

沖縄県名護市久志にある

『久志の観音堂』

久志観音堂の写真
大きなガジュマルの木の枝に守られるように佇む『久志観音堂』。

2018年1月6日土曜日

かつて名護市の久志集落の北東側に位置していたとされるグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は昨年(2017年)末にご紹介した名護市真喜屋『真喜屋グスク(上之御嶽遺跡)』の記事の続きです。

『真喜屋グスク(上之御嶽遺跡)』がある真喜屋集落を後にし、この日最後に向かったのは名護市の東海岸にある久志集落です。

かつては集落の北東側に"グスク"があったそうなんですが、現在は国道329号線が通っており、かつての面影は一切ありません。。。

沖縄県名護市久志にある

『久志グスク(旧名:上里グシク)

久志之若按司之墓の写真
久志集落の東の端に位置する『久志之若按司』の御墓。