前々回、北中城村大城にある『ミーグスク』をご紹介させて頂きましたが、『ミーグスク』と『大城グスク』を見学した後、今度は大城・荻道両集落に点在する拝所や井泉などの史跡を見学しに向かいました。
両集落に点在する史跡がちょっと多かったため、2回に分けてご紹介したいと思いまして、今回は大城集落内に点在する史跡をご紹介させて頂きます。
沖縄県中頭郡北中城村字大城に点在する
『アガリヌカーなどの拝所や井泉』☆
戦後上水道が布設されるまで利用されていた県道146号線沿いにある『アガリヌカー(東井泉)』。 |
『すーじぐわぁのそば屋 さーふーふー』さんの前を通る小道から奥まった所にある『アガリカー』。 |
その小道の突き当りに拝井泉があるんですが、こちらは『アガリガー』と称される井泉です。
アガリガー(東井泉)。 |
≪アガリガー(東井泉)≫
≪大城集落の古い共同井泉の一つで、築造年代は詳らかでない。『アガリガー(東井泉)』のすぐ近くに設置されていた説明板。 |
戦前は旧正月2日、現在は1月3日に区の役員有志が水の恵みに感謝してハチウビー(初御水)の祈願をしている。
北中城村≫
・・・とありました。『アガリガー』の前には1基の香炉が設置されていました。 |
また、湧き水が出ているか見ようとカーの内部を見てみると、雑草や落ち葉などが堆積していて確認することは出来ませんでした。。。
この『アガリガー』を見学させて頂いた後、来た道を戻って県道146号線に出ます。
綺麗に整備されている『アガリヌカー(東井泉)』一帯。 |
その広場の奥にコンクリート製の屋根が設けられた拝井泉があるんですが、こちらは『アガリヌカー(東井泉)』と称される井泉となっています。
アガリヌカー(東井泉)。 |
貯水槽の内部。現在も豊富な湧水を湛えていました。 |
『アガリヌカー』の向かい側には、先程の『アガリガー』と同様に石製の説明板が設置されていたので、そちらを読んでみると・・・
『アガリヌカー(東井泉)』の説明板。 |
≪アガリヌカー(東井泉)≫
≪アガリヌカーの築造年代は詳らかでない。このカー(井泉)は大城集落の大半の住民が飲料水として戦後上水道が布設されるまで利用してきた。
大正14年(1925)カーの上にコンクリートでごみ除けの屋根が取りつけられたが、1959年と2001年に改築された。
『アガリヌカー』の後方に1基の香炉が設けられていました。 |
この水をヒヌカン(火の神)や仏壇などに供えて新しい年の家運隆昌と家族の健康を祈った。
戦前は旧正月2日、現在は正月3日に字の役員・有志が水の恵みに感謝してハチウビー(初御水)の祈願をしている。
北中城村≫
・・・とありました。県道146号線から見た『ヌンドゥルチ(ノロ殿内)』と『メーチュンナー』。 |
その祠を見学しようと道を渡って脇道に入ると、すぐ左側に小さな石碑が設置されており、その石碑には『ヌンドゥルチ(ノロ殿内) チュンナー根所 クチャ根所』と記されていました。
『ヌルドゥンチ跡』の後方にある小さな石碑。 |
『ヌンドゥルチ(ノロ殿内) チュンナー根所 クチャ根所』と記されていました。 |
そして、このすぐ近くに『チュンナー根所』と『クチャ根所』という拝所もあるようです。
まずは、石碑の後方にある『ヌンドゥルチ(ノロ殿内)』から見学することに。。。
ヌンドゥルチ(ノロ殿内)。 |
『ヌンドゥルチ(ノロ殿内)』内部。中央下段はたぶん『火之神』が祀られていると思います。 |
『ヌンドゥルチ』を見学させて頂いた後、今度は脇道を挟んで向かい側の丘の上にある祠を見学しに向かいました。
『ヌンドゥルチ』の後方から丘の上へと伸びる階段。 |
丘の上にあった『メーチュンナー』と称される拝所。 |
『メーチュンナー』の内部。祭壇の一番上の中央付近が拝みのための御香を置く場所となっているようです。 |
また、祭壇の後方は、大小様々な石が積み上げられており、まるで自然の岩壁っぽかったですね。
『メーチュンナー』を見学させて頂いた後、『ヌンドゥルチ』横の小道へ戻り、県道へは戻らず北向けに進みました。
宜野湾間切喜友名村から移住し、大城村の始祖となったと伝えられる『喜友名根所』。 |
前述した『北中城村の遺跡・文化財(暫定)』によると、こちらは『喜友名根所(チュンナーニードゥクル)』と称される拝所なんだそうです。
喜友名根所(チュンナーニードゥクル)。 |
≪喜友名根所(チュンナーニードゥクル)≫
≪大城集落の中で由緒ある根所の一つである。宜野湾間切喜友名村から移住して、この大城村の始祖となったと伝えられる。集落の祭事巡拝では、ノロ火の神の次にこの拝所に詣でる。丘陵の南側斜面にあたるために敷地内は三段の段差を形成している。
戦前は敷地の中央にカヤブキヤーの母屋があり、その右手には瓦葺きの神アシャギ、左側に家畜小屋が建っていたという。≫
・・・とありました。
また、この『喜友名根所(チュンナーニードゥクル)』の西側には、立派な個人宅があるんですが、こちらが『久知屋根所(クチャ根所)』となっているんだそうですよ。
※『久知屋根所(クチャ根所)は個人宅となっていましたので、写真撮影はしませんでした。
県道146号線から見た『チブガー』。左の小道を左側へ上っていくと『大城グスク』『ミーグスク』です。 |
そしてそこから南向けに進むと、すぐに県道146号線に出るんですが、この左角に拝井泉があります。
県道146号線沿いにある『チブガー』。 |
チブガー。 |
≪チブガー(チブ井泉)≫
≪大城集落で最も古い共同井泉と言い伝えられているが、築造年代は詳らかでない。このカー(井泉)は大城のウブガー(産井泉)で新生児のウブミジ(産水)として利用された。また、死者がでた場合身体清めの水もこのカーから汲んできた。
『チブガー(チブ井泉)』の説明板。 |
戦前は旧正月2日、現在は1月3日に区の役員有志が水の恵みに感謝してハチウビー(初御水)の祈願をしている。
北中城村≫
・・・とありました。中央の貯水槽を囲うように3段の石積みが設けられており、貯水槽後方の石段上には1基の香炉が置かれていました。
チブガー庭苑。 |
『チブガー(チブ井泉)』を見学した後、県道146号線をさらに西向けに進みます。
『チブガー庭苑』の前から約25mほど進むと、県道沿い右側の道路から少し低くなった場所にも拝井泉があります。
県道146号線沿いにある『大城のイリヌカー(西井泉)』。 |
『村指定史跡 大城のイリヌカー』と記された標柱の立つ『イリヌカー(西井泉)』。 |
≪イリヌカー(西井泉)≫
≪イリヌカーの築造年代は詳らかではない。このカー(井泉)は大城集落の主に西側の住民が飲料水として利用していた。大正11年(1922)にカーの上にコンクリートでごみ除け用の屋根が取りつけられた。
『イリヌカー(西井泉)』の説明板。 |
戦前は旧元旦の早朝主に集落西側の子どもたちがワカミジ(若水)として汲んできて、それをヒヌカン(火の神)や仏壇等に供えて新しい年の家運隆昌と家族の健康祈願した。
戦前は旧正月2日、現在は正月3日に字の役員・有志が水の恵みに感謝してハチウビー(初御水)の祈願をしている。
北中城村≫
・・・とありました。『イリヌカー(西井泉)』内部。 |
『イリヌカー』内部。 |
『イリヌカー』の後方にある土留めの石垣に設けられた香炉を置くスペース。 |
荻道集落と大城集落は、古くから「兄弟部落」と呼ばれているんだそうで、両集落の境に位置するこの広場にはこの名が付いたようですね。
荻道集落と大城集落の境にある『兄弟広場』。 |
県道146号線からこの『兄弟広場』に入ると、奥の斜面には東屋や花壇が設けられており、右奥には先程の『大城のイリヌカー』へと流れる水の通り道「隧道(ずいどう)」の一部が見学できる展示ブースが設けられています。
『兄弟広場』。奥の斜面に東屋や綺麗に手入れされた花壇が設けられています。 |
『大城のイリヌカー』の『隧道』を見学することが出来る展示ブース。 |
≪洞窟案内図≫
≪上の山へ続く琉球石灰岩の中に掘られた水路を通り、石の樋から流れ落ちるイリヌカー(西の井泉)の水は、どんな日照りにも涸れたことのない名水である。日照りのときは、大城だけでなく、近在の村人たちの命の水となった。展示ブース横に設置されていた洞窟の説明板。 |
住民は、1960年代までカーの水の恵みを受けていた。水道が普及した現在、カーは利用されていないが、大城区民は先人の苦労を忘れず、管理を続けている。≫
・・・とありました。
説明を読み終えて、展示ブース内に足を踏み入れると、正面の壁に『大城イリヌカー隧道内部の様子』を示した図面と「湧き水のしくみ ~荻道・大城湧水群の湧水機構~」と題された説明板が設置されていました。
「湧水のしくみ ~荻道・大城湧水群の湧水機構~」と題された説明板。 |
大城イリヌカー隧道内部の様子。 |
展示ブースに設置されていたガラス窓から見た『大城イリヌカー』の『隧道』。 |
なので、この『隧道』も『大城イリヌカー』へと続いているんですが、ガラス窓の反対側を見てみると、『隧道』の内部が観察できるガラス窓ではなく、『隧道』の写真が設置されていました(笑)。
『大城イリヌカー』へと続く『隧道』の内部を写した写真。 |
近づいて内部を見てみると、祭壇に数基の香炉が置かれているのが見えたので、こちらも大城集落、若しくは荻道集落の拝所となっているようでした。
『兄弟広場』の入口横にあった拝所。 |
なので、荻道集落の史跡をご紹介する前に、先にそちらからご紹介させて頂きたいと思います。
県道146号線沿いに建立されている『大山盛保生誕之地』碑。 |
大城集落から『中城城跡』へ向かう途中の県道沿い左側に『大山盛保生誕之地』と記された石柱が建立されています。
大山盛保生誕之地碑。 |
≪港川人骨化石の発見者 大山盛保(せいほ)(1912~1996)≫
≪「港川人」は 今からおよそ18,000年前の人骨化石で1960年代後半から1970年にかけて 具志頭村(現八重瀬町)港川の採石場から大山盛保さんにより発見されました人骨は4~9体で非常に保存がよくアジアにおける人類のルーツを解明し日本における旧石器時代研究 沖縄における化石研究に貢献しました
石碑の台座に設けられていた「大山盛保」氏の説明板。 |
われわれは 大山盛保さんの生誕100年を記念し その名と功績を未来永劫に残すため ここに誕生之地碑を建立する
2012年12月23日「大山盛保生誕之地」碑建立期成会≫
・・・とありました。「港川人骨化石」の発見者だったんですねぇ。。。
この『大山盛保生誕之地』碑を見学した後、この日最後に大城集落の西側にある井泉へと向かいました。
大城集落から少し離れた場所にある『安里ガー(アカタガー)』。 |
小道から下の方へ伸びる階段を下りていくと、長年草刈り清掃されていないためか雑草が繁茂しており、"カー"を囲う囲いも雑草に覆われてしまっていて、当初どれが"カー"なのか分かりませんでした(笑)。
雑草に覆われてしまった『安里ガー(アカタガー)』。 |
たぶんこの場所が『安里ガー(アカタガー)』だと思われます。
階段側から見た『安里ガー(アカタガー)』。 |
しかし、地元ではこの井泉を『安里ガー(アサトガー)』と呼ばれているんだそうですが、なぜ『安里ガー』と呼ばれるようになったのかは案内板には記載されていませんでしたね。。。
『安里ガー(アカタガー)』の前にある水路。 |
しかし、"カー"の前方には水路が設けられており、そこをチョロチョロと水が流れているのが見えたので、現在も水を湛え続けており、近隣の田畑へ水を供給し続けていました。
・・・と、ここまで見学させて頂いた後は、帰宅予定時間が近づいてきていたため、クルマへと乗り込み、そのまま帰路に就きました。
荻道・大城集落は「世界遺産グスクのふるさとのみち」とされ、「日本のあるきたくなる道500選」、「新日本歩く道紀行100選」、「文化の道」に選ばれており、ほとんどの各史跡が綺麗に手入れ・整備されていてとても見学しやすくなっています。
史跡の他にも、オブジェや面シーサーなど見所が点在しているので、興味がある方はぜひ一度、ゆっくり散歩されてみてはいかがでしょうか?
今回は、大城集落内の史跡をご紹介させて頂きましたが、今度は西側に隣接する荻道集落内の史跡をご紹介させて頂きたいと思います。
今回はだいぶ長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で・・・でわでわ☆★☆
最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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☆『北中城村の大城集落に点在する史跡群』☆
☆場所:〒901ー2314
沖縄県中頭郡北中城村大城
☆見 学:無料
☆駐車場:無し
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。