八重瀬町字当銘の西武プラザ公園内西側の丘に位置するグスク跡☆|沖縄放浪日記

2018年6月3日日曜日

八重瀬町字当銘の西武プラザ公園内西側の丘に位置するグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回まで、金武町内にある史跡をご紹介してきましたが、所変わって今回は本島南部の八重瀬町にある史跡をご紹介していきたいと思います。

先月(5月)の29日は、八重瀬町字当銘にある『西部プラザ公園』へ行って来たんですが、同公園内にはグスク跡や拝所が点在する杜などがあります。

んで、今回は同公園の西側に位置する丘をご紹介したいと思います。

この丘には、かつてグスクが存在していたんだそうで、敷地内にはいくつかの拝所が点在しています。

沖縄県島尻郡八重瀬町字当銘にある

『テミグラグスク(当銘蔵グスク)

テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
西部プラザ公園内にある『金満の杜』から見た『テミグラグスク』。
西部プラザ公園』は、八重瀬町の国道507号線県道77号線が交差する『東風平(北)』の交差点から県道77号線を同町志多伯向けに進み、約1.6㎞ほどの距離にある県道134号線77号線がぶつかる『志多伯』の信号を右折して県道134号線に入ります。

そしてそこから道なりに約540mほど進んでいくと、県道沿い右側にあります。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
県道134号線から『テミグラ杜』横へと伸びる道路から見た『テミグラグスク』。
公園の多目的広場前にある駐車場にクルマを停め、まずは「テミグラの杜」と称される公園西側に位置する丘へと向かいました。

この「テミグラの杜」は、公園内からも向かうことが出来ますが、公園南側を走る県道134号線からも向かうことができ、駐車場からは県道から向かった方が近かったため、そこから徒歩で向かいました。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
『テミグラの杜』南側にある階段。ここを上がるとグスク域東側の遊歩道に出辿り着くことができます。
『テミグラグスク(当銘蔵グスク)』は、別称『ヤグチグスク』とも呼ばれるらしく、『テミグラ按司』が居城していたとのことです。
※『テミグラグスク』を、『豊見蔵グスク』と表記されているブログもあり、"当銘蔵"と"豊見蔵"のどちらが正しい表記なのかは不明です。。。

「テミグラの杜」と称されるグスク跡の丘と『西部プラザ公園』の広場の間を通る道路を進んでいくと、丘の南側に階段を発見したので、そちらから丘の上に向かいました。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
遊歩道沿いに設置されている花々の説明板。
階段を上がり、遊歩道を進んでいくと、道沿いにいくつかの説明板が設置されていたので、そちらを見てみると、公園敷地内に生息する花々の説明板となっていました。

んで、そちらを通過してさらに進んでいくと、丘の上へと伸びる階段の前に辿り着きました。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
『テミグラの杜』の頂上へと伸びる階段。階段横には『テミグラの杜』の説明板が設置されていました。
階段横には、大きな説明板が設置されており、そこには「テミグラの杜の自然生体観察の森ゾーン」と記されていました。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
「テミグラの杜の自然生体観察の森ゾーン」の説明板。
その説明を読んでみると、こちらの森は当銘集落の"クサティムイ"となっており、遠い昔から集落の伝統文化の祭祀を行う大事な場所となっているんだそうです。

"クサティムイ"とは、漢字で書くと「腰当森」となり、村の鎮守の神(祖霊神)が鎮座している御嶽のことなんだそうです。
(※参考⇒首里・那覇方言音声データベース「クサティムイ」)

また、自然植生の生態を保全し、また、人工的に植樹や造園を行なって、環境学習ができる「自然生態観察の森」として位置づけし、植生と野鳥・昆虫の生息に適した環境をサンクチュアリゾーン(人が入れない区域)として保存・整備したとのことです。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
丘の頂上へと続く階段。
説明を読み終えて、階段を上がっていくと、その先はさらに丘の頂上へと遊歩道が続いていました。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
丘の上へと続く「ウマチーロード」
『西部プラザ公園案内図』によると、この遊歩道は「ウマチーロード」と称されているようです。
テミグラグスクのニンセー士広場の写真
「ウマチーロード」沿いにあった「ニンセー士広場」
その「ウマチーロード」を頂上に向かって進んでいくと、「ウマチーロード」沿いに小さな広場を発見。
テミグラグスクのニンセー士広場の写真
ニンセー士広場。
広場に入ると左側の木々の前に花の説明板と広場の名称が記された標柱が設置されていました。
テミグラグスクのニンセー士広場の写真
「ニンセー士広場」と記された標柱と花の説明板。
その標柱を読んでみると、どうやらこの広場は「ニンセー士広場」と称される場所らしく、「五穀豊穣・学業向上の祈願の史跡がある」とのことでした。
テミグラグスクのニンセー石の写真
「ニンセー士広場」の入口横にある「ニンセー石」が立てられた拝所。
また、広場入口左側の草むら内には「ニンセー石」と呼ばれる先の尖った石灰岩が立つ拝所がありました。

この石灰岩の前にはコンクリートで造られた方形の台のようなものが設置されており、その上に1基の小さな香炉が置かれていました。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
「テミグラの杜」の頂上にある広場。
「ニンセー士広場」を後にし、「ウマチーロード」をさらに上を目指して進みます。

頂上に辿り着くと、そこには整備された「グスク広場」と称される広場があり、同広場内には拝所が3ヵ所ありました。
テミグラグスクのグスク広場の写真
「グスク広場」と記された標柱。
「グスク広場」と記された標柱を見てみると、「テミグラ按司は大樹の下で政治をとったという伝説がある」とも記されていました。

中央にある芝生が敷かれた場所を右側からクルッと回り込むと、広場西側にはコンクリート製の祠の拝所があり、北側には横長の台のようなものが設置された石柱の拝所がありました。
テミグラグスクの写真
広場西側にある「火之神」が祀られている祠。
西側の祠は「火之神」が祀られているんだそうで、内部には3基の霊石と1基の香炉が納められていました。
テミグラグスク テノ蔵之殿の写真
広場北側にある「北・子方位・大殿御嶽」と刻まれた石柱が立つ「テノ蔵之殿」の拝所。
そして広場北側には「北・子方位・大殿御嶽」と記された石柱が立てられた拝所があるんですが、こちらは「テノ蔵之殿」と称される拝所なのだそうです。
テミグラグスク テノ蔵之殿の写真
「北・子方位・大殿御嶽」と記された「テノ蔵之殿」の石柱。
ほいで、広場の南側には木々を囲んだ円形の建造物があるんですが、この一角に1基の香炉が置かれた「按司ガー」と称される拝所があります。
テミグラグスク 按司ガーの写真
広場の南側にある「按司ガー」の拝所。
テミグラグスク 按司ガーの写真
按司ガー。
この広場内にある拝所は上記の3ヵ所で、その他には赤瓦屋根の東屋があるのみとなっています。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
広場の南西側にある東屋。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
広場南側の眺望。
3ヵ所の拝所を見学した後、広場の南側と西側に遊歩道入口があったので、まずは南側の遊歩道の先から行ってみることに。。。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
広場南側にある遊歩道。
遊歩道を進むとすぐに斜面下に伸びる階段があったんですが、その手前左側に森の中へと続く階段があったので、そちらの方から入っていきました。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
広場の南側にある森の中へと続く階段。
階段を下りると、左側の岩の前に香炉が置かれた拝所が2ヵ所ありました。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
森の中にあった2基の拝所。
向かって左側の拝所には"金満・大殿内"という文字が刻まれていたんですが、右側の拝所には、文字が何も刻まれていなかったので、名称は不明です。。。
テミグラグスク(当銘蔵グスク) 金満大殿内の写真
「金満・大殿内」と記された拝所。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の拝所の写真
向って右側の拝所。こちらには名称などの文字が記されていませんでした。。。
そしてこの2ヵ所の拝所の向かい側から下の方へと伸びる階段の先へ行ってみると・・・
テミグラグスク(当銘蔵グスク) 上殿内の写真
「上御嶽」と記された拝所。
ガジュマルの木の根が張った石灰岩の根元に、「上御嶽」と記された拝所がありました。

この3ヵ所の拝所を見学した後、先程の階段入口へと戻ると、階段を少し下った場所にも森へと続く脇道があったので、今度はそちらへ行ってみることにしました。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
階段途中にも脇道があったので、今度はそちらの方へ行ってみると。。。
階段を下りて脇道に入って奥の方へ行ってみると、左側の岩壁の根元にも3基の拝所がありました。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の拝所の写真
もう一つの脇道の奥にあった拝所。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の拝所の写真
ガジュマルの木の根が張った2基の拝所。
こちらの拝所は、3基ともコンクリートブロックで造られていたんですが、名称などは記されていませんでしたね。。。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の拝所の写真
一番奥にあった拝所。
この3基の拝所の他にも、別の拝所があるかもと思い、周辺を見渡してみたんですけど、この3基以外は何もありませんでした。

んで、また先程の階段へ戻り、斜面下の方へ行ってみようと思ったんですけど、この先はグスク域から出て当銘集落に出るみたいだったので、このまま引き返して頂上へと戻り、今度は西側の遊歩道の先へ行ってみることにしました。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
階段の先には貯水タンクしかないみたいで、この先はグスク域の外に出るようでした。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
広場西側にある遊歩道。
広場西側の遊歩道に入ると、すぐ左側に周囲が背の低い金網で囲われている小高い丘がありました。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
西側の遊歩道沿いにある小高い丘。
八重瀬町の資料『第4章 景観資源・景観阻害要素調査』という資料によると、この丘の中にも「按司ガー」や「当銘之嶽」などの拝所があるとのことですが、丘の森の周囲をフェンスで囲われており、入口には立ち入り禁止の看板が設置されていたので、進入しませんでした。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
森を囲うフェンスの入口には立入禁止の看板が設置されていました。
こちらの森は、野鳥や昆虫、そして植物を保存する「サンクチュアリゾーン(聖域)」として保全されているために侵入禁止とされているようです。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
フェンスの外から見た森の内部の様子。獣道が森の奥へと続いていました。
この森の入口を後にし、さらに公園の西側へと向かいます。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
公園西へと伸びる「ウマチーロード」。
すると、また開いている状態の森の入口を見つけたんですが、こちら側は雑草が繁茂しており、進入は困難な状態となっていました。。。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
もう一つの森の入口。こちらは雑草が繁茂していて進入が困難な状態となっていました。
んで、こちらを後にし、さらに西へ進んでいくと、出入口に向かって右側には公園の駐車場があり、左側には花々を観察するための説明板が設置された広場が設けられていました。
西部プラザ公園の写真
公園西側の遊歩道の終点。
西部プラザ公園の写真
公園西側にある駐車場。
西部プラザ公園の写真
公園西側にある花々を観察するための広場。
・・・と、公園の西側をここまで見学した後は、そのまま「ウマチーロード」を引き返して「テミグラの杜」入口まで戻り、今度は「テミグラの杜」の北側を散策することにしました。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
「テミグラの杜」の東側から北側に伸びる遊歩道と「殿内門広場」に下りる階段。
「テミグラの杜」北側へと伸びる遊歩道を進んでいくと、その先は雑草があちらこちらに生えていて、ちょっと荒れた状態で長い間放置されているようでした。。。
テミグラグスク(当銘蔵グスク)の写真
「テミグラの杜」北側の様子。こちらはちょっと荒れた状態になっていました。。。
この北側の遊歩道は、先程の公園西側にある駐車場に続いているんですけど、この遊歩道沿いにも"拝所"などの史跡はないか調べながら歩きましたが、何も無かったですね。。。
テミグラグスク(当銘蔵グスク) 殿内門広場の写真
「テミグラの杜」の入口から下へ伸びる階段を下りてきたところ。
んで、遊歩道を引き返し、今度は東側の階段の下へ行ってみることにしました。

こちらは身障者専用の駐車場が設けられていたんですが、広場の一角に標柱が立てられており、それには「殿内門広場」と記されていました。
テミグラグスク(当銘蔵グスク) 殿内門広場の写真
グスク域東側にある「殿内門広場」。
テミグラグスク(当銘蔵グスク) 殿内門広場の写真
「殿内門広場」と記された標柱。
また、標柱には「当銘・小城を結ぶ殿内門坂 龕甲の年忌祭には道ジュネーを行う」ともありました。

・・・と、ここまで見学した後は、また階段を上がり、「テミグラの杜」と『西部プラザ公園』を結ぶ"プラザ橋"を渡り、「金満の杜」へと向かいました。
西部プラザ公園の写真
「テミグラの杜」から「金満の杜」を臨む。写真中央に写っているのが"プラザ橋"です。
最後に、『テミグラグスク』についての伝承をちょこっとご紹介。

『テミグラグスク』に居城していたテミグラ按司は、当銘・小城・志多伯の3つの集落を治めるほどの勢力を誇っていたそうなんですが、『テミグラグスク』の南西に位置する『八重瀬グスク』の按司と敵対関係にあったんだそうです。

ある日のこと、兵力が勝る八重瀬按司は『テミグラグスク』に総攻撃をしかけてきたんだそうで、『テミグラグスク』の軍はナバ嶺というところまで撤退を余儀なくされ、そこに身を隠しました。

勝利を確信した『八重瀬グスク』の軍隊は、戦の疲れを癒すため休養をとりました。

それを隠れながら見ていた『テミグラグスク』の軍隊は、その機会を逃さず攻撃を開始します。

不意を突かれた『八重瀬グスク』の軍隊は、反撃に出ることもできず、撤退を余儀なくされました。

それから数年後、山南王が居城する『南山グスク』が本当南部地域を手中に収め始めた頃、テミグラ按司は『南山グスク』を攻めようとしますが、とても太刀打ちできないと知るや、『南山グスク』の傘下に収まり、南山の武将として仕えるようになったんだっそうですよ。

今回も、かなり長くなってしまいましたが、この辺で終わりにして、この続きはまた別の回にご紹介したいと思います。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『テミグラグスク(当銘蔵グスク)

☆場所:〒901ー0414
      沖縄県島尻郡八重瀬町当銘4
☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。