南城市知念の志喜屋集落内に点在する拝所群☆|沖縄放浪日記

2018年3月22日木曜日

南城市知念の志喜屋集落内に点在する拝所群☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回ご紹介した『志喜屋グスク』を見学した後、『志喜屋公民館』がある"志喜屋(シチャ)"集落内へと移動しました。

"志喜屋(シチャ)"集落内にも、拝所や拝井泉など多数の史跡が点在しているんですよ。

沖縄県南城市知念志喜屋にある

『志喜屋(シチャ)集落内に点在する拝所群』

志喜屋農村公園の写真
『志喜屋公民館』前にある『志喜屋農村公園』。
『志喜屋グスク』の説明板のある入口前から国道331号線を東向けに約30mほど進むと、右側に脇道があるので、そちらへ入ります。

国道から脇道に入ると、すぐ右側に桜の木々が立ち並ぶ場所があり、その奥に『カンジャー堂』と称される石碑が建立されています。
カンジャー堂の写真
国道から入ってすぐ右側にある桜の木々が立ち並ぶ場所。(志喜屋公民館側から撮影)
カンジャー堂の写真
道路から奥の石碑へと伸びる参道。
広場の奥には石灰岩の岩壁があり、その根元には石積みの古墓と石碑がありました。
カンジャー堂の写真
『カンジャー堂』。石碑には『鉄匠始祖 兎之大屋碑』と記されていました。
石碑には、『鉄匠始祖 兎之大屋碑』と記されていました。

"カンジャー"とは"鍛冶屋"のことを指しているものと思われ、石碑にも"鉄匠始祖"と記されていることから、かつてこの場所には"鍛冶屋"があり、"兎之大屋"という人物がいたものと思われます。
※あくまでワタクシ個人の憶測ですので、定かではございません。

また、石碑左側の岩の根元にある古墓は、この"兎之大屋"という人物の御墓なんだそうですよ。
カンジャー堂の写真
訪れた日はまだ桜が咲いていて、とても綺麗でしたよん。
あと、地元の人のお話によると、この『カンジャー堂』がある広場に立ち並ぶ桜の木々は、今帰仁村からの贈り物なんだそうで、数年に一度、今帰仁村を訪れ交流するんだそうです。

この桜の木々が立つ場所の後方には、石灰岩を利用して造られた大きな門中墓がありました。
大屋門中之墓の写真
石灰岩を利用して造られた『大屋門中之墓』。
御墓がある敷地入口横には、これまた大きな墓碑が建立されており、そこには『大屋門中之墓』と記されていました。
大屋門中之墓の写真
『大屋門中之墓』と記された大きな墓碑。
また、この『大屋門中之墓』の左側に、頂上に草木が生い茂る岩があるんですが、その岩壁の窪みにも石積みで塞がれた崖葬墓がありました。
崖葬墓の写真
『大屋門中之墓』の隣にある岩にあった崖葬墓。
崖葬墓に伸びる参道が、『大屋門中之墓』がある敷地から伸びていたので、もしかするとこちらも『大屋門中』の御墓なのかもしれませんね。

この『大屋門中之墓』の道向かいに小高い丘があるんですが、こちらは『前城山』と称される丘で、こちらにも"拝所"がありました。
前城山の写真
『大屋門中之墓』の道向かいにある『前城山』。
『前城山』の西側にはクルマ1台分の幅員の小道があり、そこから入っていくと、すぐ左側に小さな道があります。

その小さな道の先の岩壁の根元に、1基の古い香炉が置かれた"拝所"がありました。
前城山の写真
『前城山』の西側の岩の根元にあった拝所。古い香炉が1基置かれていました。
また、この拝所がある場所からクルッと『前城山』の南側へ回ると、そこにも1基の祠が置かれた拝所がありました。
前城山の写真
『前城山』の東側に設けられていた拝所。内部に1基の香炉が置かれていました。
この内部に1基の香炉が置かれた祠の拝所の前には広場があるんですが、こちらには、かつて『知念村西部保育所』があったようです。
前城山の写真
広場南側から撮影。奥のコンクリート製の建造物がある丘が『前城山』です。
広場の南側に出入口が設けられており、その門には『国民年金特別融資 知念村西部保育所』と記された表札が残されていました。
前城山の写真
『国民年金特別融資 知念村西部保育所』と記された表札がある古い門。
『前城山』や『知念村西部保育所』跡地を見学した後、保育所跡の門の前から東向けに約20mほど進むと、右側に細い路地があります。

その路地に入り、約15mほど進むと、また右側にさらに細い路地があり、その奥に拝井泉があります。
前城ガーの写真
『前城ガー』へと続く細い路地。
前城ガーの写真
前城ガー。
この拝井泉は『前城ガー』と称される拝井泉なんだそうで、内部には大きな二枚貝が納められていました。

また、『前城ガー』のある場所から少し離れた場所にも、数基の香炉と位牌が納められた拝所がありました。
前城ガーの写真
『前城ガー』のすぐ近くにあった拝所。
こちらの拝所は『前城山』に向かって建てられていたので、もしかすると集落の各門中の"拝所"が合祀されているのかもしれませんね。
近づいて内部を拝見させて頂きたかったんですが、私有地っぽかったため、今回は遠慮して遠目で見学致しました。

『前城ガー』から『知念村西部保育所』跡地の門の前を通る道路へ戻り、さらに東向けに進んで行きます。
志喜屋ヤーンナー (屋号)案内の写真
『志喜屋公民館』に設置されていた『志喜屋ヤーンナー(屋号)案内』。
すると、右側に『志喜屋公民館』があり、その向かい側には冒頭でご紹介した『志喜屋農村公園』があります。

その公園の一画には、"頌徳碑"や"慰霊塔"、そして"殿"があります。

この2基の石碑と殿がある場所は、トゥンチ山(若しくはトンチ山)と称されていて、地元では「神の山」と崇拝されているとのことです。

戦前には村屋(ムラヤー)もあったそうなんですが、戦後に集落の広場を造るために何度か整地が行われたため、かつての景観とだいぶ変化しているんだそうです。

しかし、現在も「神が降臨する山」として位置づけられる集落の聖地なんだそうですよ。
(※参考⇒『沖縄県南城市における戦没者慰霊ー旧玉城村・知念村域を中心にー』)
頌徳碑・慰霊塔・殿の写真
『志喜屋農村公園』内にある"頌徳碑"・"慰霊塔"・"殿"。
まず、手前にある石碑には『親川栄蔵氏 頌徳碑』と記されており、台座部分には碑文が記されていました。
親川栄蔵氏頌徳碑の写真
頌徳碑の台座部分に設けられていた碑文。
碑文を読もうと試みたんですけど、所々文字が擦れてしまって全文を判読することが出来ませんでしたが、『親川栄蔵氏』とは、戦前から戦後にかけて志喜屋区のために尽力した人物とのことです。

そしてその後方に建立されているのは『靖魂之塔』という慰霊塔です。
靖魂之塔の写真
靖魂之塔。
こちらは、台座部分に支那事変や太平洋戦争で亡くなられた戦没者氏名が記されていました。

この『靖魂之塔』の右側には、東屋っぽい建造物があるんですが、こちらは『殿(トゥン)』と称される拝所です。
殿の写真
殿。
『殿』の内部には、階段側と奥に大小2基の香炉が1基ずつ置かれていました。

先述した資料によると、建て直されて新しくなっていますが、こちらの『殿』も戦前から存在していたようですね。

この『殿』まで見学させて頂いた後は、クルマへ乗り込み、一旦国道に出て『志喜屋グスク』前を通り、約220mほどの距離左側にある片側一車線の道路へ左折し、再度『志喜屋集落』内へ入りました。
ウブガーの写真
通り沿いにある『ウブガー』。
国道から約120mほど進んでいくと、道路沿い左側に三角屋根の小さな祠があるんですが、こちらは『ウブガー』と称される拝井泉なんだそうです。
ウブガーの写真
ウブガー。
内部には、1基の香炉と霊石らしき小さなオブジェが納められていました。

また、先程の『志喜屋ヤーンナー(屋号)案内』によると、この『ウブガー』の道路を挟んで向かい側には『上前田のカー』と称される拝井泉があるそうなんですけど、細いパイプが張り巡らされた畑とバナナの木、そして石灰岩しか見当たりませんでした。。。
上前田のカーの写真
『上前田のカー』があるらしいんですが・・・。
もしかすると、この奥に拝井泉があるのかもしれませんが、私有地っぽかったので、進入するのは遠慮致しました。

この『ウブガー』や『上前田のカー』がある場所から、東向けに約70mほどの距離にある右側の脇道へ右折し、約80mほど進んでいくと、左側に小高い丘があるんですが、こちらは『チジンモー』と称される場所があります。
チジンモーの写真
奥に見える小高い丘が『チジンモー』と称される場所のようです。
地元の人の話によると、こちらはかつて集落の祭事の際の踊りを練習していた場所なんだそうですが、現在は使用されておらず、御願のための1基の香炉が置かれているのみとのことでした。

『チジンモー』にも行ってみたかったんですが、周囲は民家に囲まれており、そちらへの進入路も探してはみたんですけど見つからず、断念致しました。。。
シードーガーの写真
東側の道路上から見た『シードーガー』の入口。
この『チジンモー』の前から、さらに東向けに約330mほど進んでいくと、道路沿い右側に下の方へ伸びる階段があります。

その階段の先には『シードーガー』と呼ばれる拝井泉があります。
シードーガーの写真
階段の踊り場から見た『シードーガー』。
『シードーガー』は、三角屋根が設けられ、その周囲を石垣で囲ってありました。
シードーガーの写真
シードーガー。
また、内部には1基の香炉が置かれており、さらにその奥には大きな水道管が見えました。
シードーガーの写真
『シードーガー』の内部。手前に1基の香炉が置かれており、その奥に水道管が見えました。
地元の人の話によると、かつてこの『シードーガー』は、水量が豊富で、海岸で海水浴を楽しんだ後、ここで水浴びをしたんだそうです。

また、水浴びの際、最初に使用するのは男性で、女性はその後に使用するという暗黙のルールがあったそうです。
女性が先に水浴びをすると、男性は水浴びをしなかったんだそうですよ(笑)。

現在は、当時ほど水が出ていないのは、『シードーガー』の上を通る道路を造る際に水脈を塞いでしまったためなんだとか。。。

しかし、今でも僅かながら水を湛えており、目の前に広がる畑を潤していましたよ。
シードーガーの写真
現在も、僅かながら水を湛えていました。
・・・と、ここまで"志喜屋(シチャ)"集落内に点在する拝所などの史跡を見学させて頂いた後、最後に"上志喜屋(カンチャ)"集落の北側に位置する拝井泉を見学しに向かいました。
カンチャ大川の写真
"上志喜屋(カンチャ)"集落の北側にある『カンチャ大川』。
こちらは、以前ご紹介した『カンチャ公園』のすぐ東側にあります。
カンチャ大川の写真
『カンチャ大川』の入口。
『カンチャ大川』の入口には説明板が設置されていたので、そちらを読んでみると・・・

南城市指定文化財(史跡) カンチャ大川 昭和六十三年十月一日指定
≪志喜屋村の北辺に、田を潤す井戸があった。この井戸は田への水を供給するだけでなく、人民の生活用水としても利用されていた。
カンチャ大川の写真
入口から見た『カンチャ大川』。
あるとき、この井戸が損壊してしまい、田の水が涸れ、人民の生活用水も得ることができなくなってしまった。

そこで、一八六一年、知念間切知念村の人民七名、知念村の人民一名、安座真村の人民三名、前城村の人民五名、志喜屋村の人民三名が自らの資材をなげうって、協力して完成した井戸である。
カンチャ大川の写真
石垣で綺麗に整備されていました。
この功績により琉球王府から爵位を賜った。
南城市文化財保護条例によって指定を受けています。南城市教育委員会(平成二十一年)≫
・・・とありました。

説明を読み終え、説明板の裏側から『カンチャ大川』へ入っていくと、現在も豊かな水を湛えていました。

湧き出た水は、小川のようになっており、その周囲を石垣で綺麗に整備してありました。
カンチャ大川の写真
水は、表の道路下を通り抜けて、周辺の畑へと流れ出ていました。
また、小川の水は表の道路下を通り抜けて、近くの畑へと流れていましたね。
カンチャ大川の写真
"イモリ"や"小魚"がたくさんいましたよ。
『カンチャ大川』の水質はとても良いらしく、"イモリ"や"小魚"などがたくさん泳いでいました。

・・・と、ここまで見学した後は、クルマに乗り込み、志喜屋集落を後にしました。

いかがでしたでしょうか?

3記事に渡って志喜屋集落内に点在するグスク跡や拝所などの史跡をご紹介してきましたが、史跡だけでなく、昔ながらの集落の風景があちらこちらに見受けられます。

もし機会があれば、志喜屋集落内に点在する史跡や風景などをゆっくり散策してみて下さいませ。

今回もちょっと長くなってしまいましたが、それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『志喜屋集落内に点在する史跡』☆

☆場所:〒901ー1400
    沖縄県南城市知念志喜屋

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

☆問い合わせ:南城市役所(代表)098-948-7111

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。