前々回ご紹介した『志喜屋グスク』を見学した後、『志喜屋公民館』がある"志喜屋(シチャ)"集落内へと移動しました。
"志喜屋(シチャ)"集落内にも、拝所や拝井泉など多数の史跡が点在しているんですよ。
沖縄県南城市知念志喜屋にある
『志喜屋(シチャ)集落内に点在する拝所群』☆
『志喜屋公民館』前にある『志喜屋農村公園』。 |
国道から脇道に入ると、すぐ右側に桜の木々が立ち並ぶ場所があり、その奥に『カンジャー堂』と称される石碑が建立されています。
国道から入ってすぐ右側にある桜の木々が立ち並ぶ場所。(志喜屋公民館側から撮影) |
道路から奥の石碑へと伸びる参道。 |
『カンジャー堂』。石碑には『鉄匠始祖 兎之大屋碑』と記されていました。 |
"カンジャー"とは"鍛冶屋"のことを指しているものと思われ、石碑にも"鉄匠始祖"と記されていることから、かつてこの場所には"鍛冶屋"があり、"兎之大屋"という人物がいたものと思われます。
※あくまでワタクシ個人の憶測ですので、定かではございません。
また、石碑左側の岩の根元にある古墓は、この"兎之大屋"という人物の御墓なんだそうですよ。
訪れた日はまだ桜が咲いていて、とても綺麗でしたよん。 |
この桜の木々が立つ場所の後方には、石灰岩を利用して造られた大きな門中墓がありました。
石灰岩を利用して造られた『大屋門中之墓』。 |
『大屋門中之墓』と記された大きな墓碑。 |
『大屋門中之墓』の隣にある岩にあった崖葬墓。 |
この『大屋門中之墓』の道向かいに小高い丘があるんですが、こちらは『前城山』と称される丘で、こちらにも"拝所"がありました。
『大屋門中之墓』の道向かいにある『前城山』。 |
その小さな道の先の岩壁の根元に、1基の古い香炉が置かれた"拝所"がありました。
『前城山』の西側の岩の根元にあった拝所。古い香炉が1基置かれていました。 |
『前城山』の東側に設けられていた拝所。内部に1基の香炉が置かれていました。 |
広場南側から撮影。奥のコンクリート製の建造物がある丘が『前城山』です。 |
『国民年金特別融資 知念村西部保育所』と記された表札がある古い門。 |
その路地に入り、約15mほど進むと、また右側にさらに細い路地があり、その奥に拝井泉があります。
『前城ガー』へと続く細い路地。 |
前城ガー。 |
また、『前城ガー』のある場所から少し離れた場所にも、数基の香炉と位牌が納められた拝所がありました。
『前城ガー』のすぐ近くにあった拝所。 |
近づいて内部を拝見させて頂きたかったんですが、私有地っぽかったため、今回は遠慮して遠目で見学致しました。
『前城ガー』から『知念村西部保育所』跡地の門の前を通る道路へ戻り、さらに東向けに進んで行きます。
『志喜屋公民館』に設置されていた『志喜屋ヤーンナー(屋号)案内』。 |
その公園の一画には、"頌徳碑"や"慰霊塔"、そして"殿"があります。
この2基の石碑と殿がある場所は、トゥンチ山(若しくはトンチ山)と称されていて、地元では「神の山」と崇拝されているとのことです。
戦前には村屋(ムラヤー)もあったそうなんですが、戦後に集落の広場を造るために何度か整地が行われたため、かつての景観とだいぶ変化しているんだそうです。
しかし、現在も「神が降臨する山」として位置づけられる集落の聖地なんだそうですよ。
(※参考⇒『沖縄県南城市における戦没者慰霊ー旧玉城村・知念村域を中心にー』)
『志喜屋農村公園』内にある"頌徳碑"・"慰霊塔"・"殿"。 |
頌徳碑の台座部分に設けられていた碑文。 |
そしてその後方に建立されているのは『靖魂之塔』という慰霊塔です。
靖魂之塔。 |
この『靖魂之塔』の右側には、東屋っぽい建造物があるんですが、こちらは『殿(トゥン)』と称される拝所です。
殿。 |
先述した資料によると、建て直されて新しくなっていますが、こちらの『殿』も戦前から存在していたようですね。
この『殿』まで見学させて頂いた後は、クルマへ乗り込み、一旦国道に出て『志喜屋グスク』前を通り、約220mほどの距離左側にある片側一車線の道路へ左折し、再度『志喜屋集落』内へ入りました。
通り沿いにある『ウブガー』。 |
ウブガー。 |
また、先程の『志喜屋ヤーンナー(屋号)案内』によると、この『ウブガー』の道路を挟んで向かい側には『上前田のカー』と称される拝井泉があるそうなんですけど、細いパイプが張り巡らされた畑とバナナの木、そして石灰岩しか見当たりませんでした。。。
『上前田のカー』があるらしいんですが・・・。 |
この『ウブガー』や『上前田のカー』がある場所から、東向けに約70mほどの距離にある右側の脇道へ右折し、約80mほど進んでいくと、左側に小高い丘があるんですが、こちらは『チジンモー』と称される場所があります。
奥に見える小高い丘が『チジンモー』と称される場所のようです。 |
『チジンモー』にも行ってみたかったんですが、周囲は民家に囲まれており、そちらへの進入路も探してはみたんですけど見つからず、断念致しました。。。
東側の道路上から見た『シードーガー』の入口。 |
その階段の先には『シードーガー』と呼ばれる拝井泉があります。
階段の踊り場から見た『シードーガー』。 |
シードーガー。 |
『シードーガー』の内部。手前に1基の香炉が置かれており、その奥に水道管が見えました。 |
また、水浴びの際、最初に使用するのは男性で、女性はその後に使用するという暗黙のルールがあったそうです。
女性が先に水浴びをすると、男性は水浴びをしなかったんだそうですよ(笑)。
現在は、当時ほど水が出ていないのは、『シードーガー』の上を通る道路を造る際に水脈を塞いでしまったためなんだとか。。。
しかし、今でも僅かながら水を湛えており、目の前に広がる畑を潤していましたよ。
現在も、僅かながら水を湛えていました。 |
"上志喜屋(カンチャ)"集落の北側にある『カンチャ大川』。 |
『カンチャ大川』の入口。 |
≪南城市指定文化財(史跡) カンチャ大川 昭和六十三年十月一日指定≫
≪志喜屋村の北辺に、田を潤す井戸があった。この井戸は田への水を供給するだけでなく、人民の生活用水としても利用されていた。入口から見た『カンチャ大川』。 |
そこで、一八六一年、知念間切知念村の人民七名、知念村の人民一名、安座真村の人民三名、前城村の人民五名、志喜屋村の人民三名が自らの資材をなげうって、協力して完成した井戸である。
石垣で綺麗に整備されていました。 |
南城市文化財保護条例によって指定を受けています。南城市教育委員会(平成二十一年)≫
・・・とありました。説明を読み終え、説明板の裏側から『カンチャ大川』へ入っていくと、現在も豊かな水を湛えていました。
湧き出た水は、小川のようになっており、その周囲を石垣で綺麗に整備してありました。
水は、表の道路下を通り抜けて、周辺の畑へと流れ出ていました。 |
"イモリ"や"小魚"がたくさんいましたよ。 |
・・・と、ここまで見学した後は、クルマに乗り込み、志喜屋集落を後にしました。
いかがでしたでしょうか?
3記事に渡って志喜屋集落内に点在するグスク跡や拝所などの史跡をご紹介してきましたが、史跡だけでなく、昔ながらの集落の風景があちらこちらに見受けられます。
もし機会があれば、志喜屋集落内に点在する史跡や風景などをゆっくり散策してみて下さいませ。
今回もちょっと長くなってしまいましたが、それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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☆『志喜屋集落内に点在する史跡』☆
☆場所:〒901ー1400
☆見 学:無料
☆駐車場:無し
☆問い合わせ:南城市役所(代表)098-948-7111
※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。