古くから地域に恵をもたらし南山繁栄を支えた糸満市字大里にある泉☆|沖縄放浪日記

2017年11月8日水曜日

古くから地域に恵をもたらし南山繁栄を支えた糸満市字大里にある泉☆

ハイサぁ~イ⭐

昨日(7日)は、午後からちょこっと時間が空いたので、本島南部方面に史跡巡りへ行ってきました。

まず最初に向かったのは、以前ご紹介したことのある『南山城跡(島尻大里城・高嶺城)』の東側約100mほどの距離に位置する泉です。

こちらは、古くから水量が豊富で、南山の繁栄を支えたといわれる泉なんだそうです。

沖縄県糸満市大里にある

『嘉手志川(カデシガー)

嘉手志川の写真
現在も豊な水量を誇り、多くの人が拝みに訪れる『嘉手志川』。
こちらは、糸満市の県道7号線77号線が交差する『照屋(東)』の交差点から、県道7号線を同市新垣向けに進み、約970mほどの距離左側にある脇道へ左折し、約90mほど進むと道路沿い左側にあります。
嘉手志川の写真
集落の道路上から見た『嘉手志川』の入口。
こちらに到着したのは、ちょうどお昼の3時を回ったくらい。。。

泉の近くにクルマを停め、さっそく見学へと向かいました。
嘉手志川の写真
『嘉手志川』の案内板が立つ出入口。
案内板の立てられている入口から泉へ入っていくと、大きなガジュマルの木と泉の間に大きく『嘉手志川』と記された石碑と頂部にシーサーが置かれた2本の石柱が建立されていました。
嘉手志川の写真
大きなガジュマルの木のすぐ後方に立てられていた2本の石柱。
嘉手志川の写真
石柱に向かって左側には『無病息災』、右側には『贈 大里シマ創り委員会』と記されていました。
『手づくり郷土賞』の石碑。
『嘉手志川』と記された石碑は、"生活を支える自然の水 三十選"の『手づくり郷土賞』の石碑でした。

この石碑からさらに下の方へ向かうと、目の前に『嘉手志川』の大きな貯水池が広がります。
嘉手志川の写真
『嘉手志川』の前に広がる貯水池。
嘉手志川の写真
嘉手志川
嘉手志川の写真
『嘉手志川』の裏側には『恵泉の龍』と記されており、その上に龍の頭部が設置されていました。
『嘉手志川』は、ご覧の通り赤瓦屋根のコンクリート建造物に囲われており、3つの吐口からは水が勢いよく流れ出ていました。
嘉手志川の写真
3つの吐口から水が勢いよく流れ出ていました。
『嘉手志川』のすぐ隣には説明板が設置されていたので、そちらを読んでみると・・・

≪嘉手志川≫
≪南山繁栄を支えたといわれる泉。「琉球国由来記」にも記述がある嘉手志川は、字大里ではウフガーと呼ばれ、ンブガー(産井泉)として大切にされている。
嘉手志川の写真
『嘉手志川』の説明板。
豊富な水量を誇り、古くから周辺地域に豊かな恵みをもたらしてきた。普段でも拝む人が多く、他地域からも相当数の字大里の門中や南山にゆかりがある人々が訪れる。≫
・・・とありました。
嘉手志川の写真
泉の向こう側から見た『嘉手志川』。
また、『嘉手志川』には三山時代の伝説が残されています。

南山を治めていた『他魯毎(たるみ)は、物欲がとても強く、中山を滅ぼした『尚巴志』が持っていた金屏風を凄く欲しがったんだそうです。

そこで『尚巴志』は、その金屏風と『嘉手志川』の交換を持ちかけました。
嘉手志川の写真
『嘉手志川』のほぼ正面から。
すると『他魯毎』は、この申し出を何の考えもなしに了承してしまいます。

『嘉手志川』を手に入れた『尚巴志』は、自らに従う者だけに泉を使用する許可を出したので、今まで『嘉手志川』を利用していた字大里の人々は『尚巴志』に従うようになっていき、ついには『他魯毎』は、戦わずして『尚巴志』に滅ぼされてしまったんだそうです。
嘉手志川の写真
泉の畔に建立されていた『灌漑設備記念碑』。
『嘉手志川』の貯水池の畔には、泉を昭和6年に整備した際の『灌漑設備記念碑』が建立されています。

石碑は、正面側が損傷していたんですが、これは沖縄戦の際の弾痕なんだそうです。

『嘉手志川』をクルッと一周して、表の道路側にある大きなガジュマルの木の方まで進むと、ガジュマルの木の立つ敷地の一画に小さな祠を発見しました。
嘉手志川の写真
『嘉手志川』後方に立つ大きなガジュマルの木。
ガジュマルの木の立つ敷地の一画にあった拝所。内部にはいくつかの霊石が納められていました。
こちらの祠では、何が祀られているのかは不明なんですが、内部には数基の霊石が納められていました。

また、前述した『手づくり郷土賞』の石碑の向かい側に、畑の真ん中を通る道があるんですが、その入口横に立つデイゴの木の根元にも祠があります。
嘉手志川の写真
デイゴの木の根元にある拝所。
こちらの祠も"拝所"となっているようですが、祠内部で『嘉手志川』と繋がっているようでした。

こちらの祠についてもネットでいろいろ調べてはみたんですが、残念ながら名称や何が祀られているのかなどの詳細は分かりませんでした。

んで、こちらの祠まで見学し終え、クルマに戻ろうとした際、ふと『嘉手志川』の西側斜面に目をやると、傾斜地の中腹辺りに石碑が立てられているのが見えました。
うびー川の写真
『嘉手志川』の西側にある斜面に石碑が見えます。
んで、先程のデイゴの木の根元にある祠の前の道から畑の真ん中を通り、その石碑の立つ場所へ行ってみると・・・
うびー川の写真
デイゴの木の祠の前から西側へ伸びる小道。
斜面の窪んだ場所にも小さな井泉があり、その隣に建立されている石碑には『うびー川』と記されていました。
うびー川の写真
デイゴの木の下にある『うびー川』。
うびー川の写真
左側には香炉が設けられており、水が溜まった場所へ石段が造られています。
こちらも、『嘉手志川』ほどではありませんが、チョロチョロと水が湧き出ており、小さな溜め池が造られていました。
うびー川の写真
『うびー川』に設けられていた香炉。
うびー川の写真
『うびー川』と記された石碑。
ネットで『うびー川』についても調べてはみたんですが、別称『チョンチョンガー』と呼ばれているという情報以外、何も出て来ず、詳細は不明です。

・・・と、この『うびー川』まで見学した後は、そのままクルマへと戻り、次の目的地へと向かいました。

『嘉手志川』は、水質も比較的良好なようで、小魚やカニなどが生息しているらしく、夏には子供達が水遊びをしに訪れたりしているようですね。
水位も浅かったですよw

『南山城跡(島尻大里城・高嶺城)』を訪れる際には、こちらの『嘉手志川』と『うびー川』にも足を運んでみてはいかがでしょうか?

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『嘉手志川(カデシガー)

☆場所:〒901-0325
      沖縄県糸満市大里

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。