北中城村の喜舎場公園後方の斜面中腹にある喜舎場村の創建者と言われる人物の墓☆|沖縄放浪日記

2017年11月18日土曜日

北中城村の喜舎場公園後方の斜面中腹にある喜舎場村の創建者と言われる人物の墓☆

ハイサぁ~イ⭐

今月(11月)の9日は、午後からちょこっと時間が空いたので、久しぶりに本島中部に位置する北中城村へ史跡巡りに出かけてきました。

まず最初に向かったのは、同村喜舎場の『喜舎場御嶽』と称される小高い丘の中腹にある御墓で、こちらに眠る人物は喜舎場集落の創建者と言われているんだそうです。

沖縄県中頭郡北中城村喜舎場にある

『喜舎場公の墓』

喜舎場公の墓の写真
喜舎場公園後方の斜面中腹にある『喜舎場公の墓』。
こちらは、まず北中城村の国道330号線と県道81号線がぶつかる『石平』の交差点から、県道81号線を同村喜舎場向けに進みます。

次に『北中城村役場』を通過して約440mほどの距離にある交差点を左折し、左側にある最初の脇道へまた左折します。

そして、約300mほどの距離にある2本めの十字路を右折し、そのまま直進していくと、その先にある『喜舎場公園』内にあります。
喜舎場公園の写真
『喜舎場公園』入口。
公園には専用駐車場が無く、正面入口前にも駐車出来るスペースが無かったため、入口前から右へ伸びる小道を進んでいき、突き当り左側に落ち葉等を一時保管している小屋があったので、そちらの前にちょこっと駐車させてもらい、さっそく見学に向かいました。
※ワタクシが駐車した際は大丈夫でしたが、必ずしも駐車出来るとは限らないので、注意して下さい。

クルマを駐車した場所の向かい側には広場があり、その北側には"慰霊塔"と『喜舎場の殿』と称される拝所、そして南西側には"石獅子"がありました。
喜舎場公園の写真
広場北側には"慰霊塔"と『喜舎場の殿』がありました。
喜舎場公園の写真
ちょっと見えにくいんですが、広場の南東側に"石獅子"があります。
まずは、広場の南西にある"石獅子"から見学することにし、広場をクルッと囲うようにして設けられた遊歩道を歩いていきました。
喜舎場の石獅子の写真
喜舎場の石獅子。
"石獅子"があるその場所には、『北中城村指定有形民俗文化財 喜舎場の石獅子(シーサー)』と記された石碑が立てられており、その石碑と"石獅子"の間には説明板が設置されていました。

んで、その説明を読んでみると・・・
喜舎場の石獅子の写真
『北中城村指定有形民俗文化財 喜舎場の石獅子(シーサー)』と記された石碑。
≪喜舎場の石獅子≫
≪喜舎場の石獅子は、もとは集落の南西側の俗称ビンダマーチューから安谷屋の北側(儀間原(ジーマバル)にあった巨岩のカニサンに向かって鎮座していました。この巨岩は、喜舎場に災いをもたらすフィーザン(火山)であると信じられ、その返しとして石獅子が据えられました。
喜舎場の石獅子の写真
喜舎場の石獅子。
この石獅子は、巨岩に対する火除け、魔除けとしての村獅子で、除災信仰を知るうえで重要であります。大きさは、長さ102cm、高さ59cm、幅45cmです。昭和58年8月に現在地に移されました。
北中城村教育委員会≫
・・・とありました。

また、説明板には"石獅子"がもともと設置されていた場所と現在の場所、そして"カニサン跡"を示す地図も掲載されていました。
喜舎場の石獅子の写真
説明板に掲載されていた"石獅子"の元の位置と現在の位置、カニサン跡を示す地図。
『喜舎場の石獅子』を見た後、広場の北側に建立されている"慰霊塔"を見学しに向かいました。
戦没者慰霊之塔(喜舎場)の写真
広場の北側に建立されている『戦没者慰霊之塔』。
この"慰霊塔"は、2004年3月に再建立されたものなんだそうで、最初に建立された慰霊塔は1954年7月に建立されたんだそうです。

台座部分には碑文≪戦争において尊き人命を犠牲になられた方々の御霊をここに祀る≫と戦没者御芳名が記されていました。

この『戦没者慰霊之塔』の右側には東屋らしき建造物があるんですが、こちらは『喜舎場の殿』と称される拝所があります。
喜舎場の殿の写真
喜舎場の殿。
内部は、一段高くなった場所の中央付近に"霊石"らしき石が納められていました。
喜舎場の殿の写真
『喜舎場の殿』の内部。霊石らしき石が納められていました。
この"慰霊塔"と『喜舎場の殿』がある場所の左側から一旦公園の外に出て、そこから北向けに少し進むと、左側にとても立派な御墓があり、その御墓と森の間に石畳道がありました。
喜舎場公園の写真
公園の北西側に位置する御墓。この後方に石畳道があります。
喜舎場公園の写真
上の写真にちょこっと写っている御墓と森の間にある石畳道。
後述するんですが、この石畳道は『喜舎場公の墓』のある場所まで続いており、その途中にも"御墓"があります。

この石畳道に進まず、一旦公園内に戻り、園内から『喜舎場公の墓』へと向かいます。
喜舎場公の墓の写真
公園の広場の東側を通る参道。奥に鳥居が見えます。
木々が立ち並ぶ公園内の参道の先に鳥居があり、その鳥居には『喜舎場公』と記されていました。

この『喜舎場公の墓』のある森一帯は、『喜舎場御嶽』とも呼ばれているのだそうです。
喜舎場公の墓の写真
『喜舎場公の墓』の入口。
喜舎場公の墓の写真
鳥居には『喜舎場公』と記されていました。
この立派な鳥居の後方には斜面の中腹に向かって階段が伸びており、その左右両側にはいくつかの灯籠が上に向かって立てられていました。
階段の左右に灯籠が立てられていました。
喜舎場公の墓の写真
上に向かっていくつかの灯籠が階段沿いに立てられていました。
勾配がちょっとキツめの階段を上がっていくと、頂上正面と左側に大きな岩があり、その間を縫うように参道が伸びていました。
喜舎場公の墓の写真
大きな岩の間を縫うように参道が伸びていました。
ほいで、その先へ行ってみると、正面に木々に囲われた『喜舎場公の墓』がある小さな広場があり、その手前で参道が左右に分かれていました。
喜舎場公の墓の写真
岩の間を抜けて来たところ。参道が左右に分かれており、奥に『喜舎場公の墓』が見えます。
参道を左へ進むと『喜舎場公の墓』や『喜舎場公之子孫 上代之墓』に辿り着き、右の参道は前述した"石畳道"に繋がっています。

なので、まずは左側へ進み、『喜舎場公の墓』を見学することに。
喜舎場公の墓の写真
喜舎場公の墓
『喜舎場公の墓』は、琉球石灰岩の上に位置しており、頂上に玉が設置された反りのある方形の屋根が乗せられていました。

また、御墓の前には香炉や花瓶、そして灯籠が設置されており、御墓に向かって右側には古い石碑と説明板が設置されていました。

この石碑には、『昭和十二年八月建設』と記されています。
喜舎場公の墓の写真
琉球石灰岩の上にある『喜舎場公の墓』。
その説明を読んでみると・・・

≪喜舎場公の墓≫
≪喜舎場公は、喜舎場村の創建者といわれ、『球陽』(1745年)の外巻『遺老説伝』に「往昔、喜舎場公ナル者有リ、此ノ邑を創建ス。困リテ喜舎場村ト名ヅク。是レ故ニ今ニ至ルマデ毎年二月、村長皆其ノ墓ヲ祭ル。墓ハ本村後岩ニ在リ。」(原漢文)と記されている。
喜舎場公の墓の写真
真正面から見た『喜舎場公の墓』。
現在、旧暦9月18日に例祭が執り行われている。

また、ムラシーミー(字(あざ)の清明祭)の際には、喜舎場公子孫の墓、喜舎場村祖先の墓(アーマンチューの墓)も一緒に拝まれる。
北中城村≫
・・・とありました。
喜舎場公の墓の写真
『喜舎場公』の石碑と説明板。
また、北中城村の公式HPによると、『喜舎場公』は、仲順大主と同時代の人物であると言われているんだそうで、13世紀初頭の人物ではないかと考えられているのだそうです。

この『喜舎場公の墓』のある広場を出ると、向かい側に岩の上に伸びる階段があります。
喜舎場公の墓の写真
『喜舎場公の墓』の広場の向かい側にある階段。
その階段を上がると、コンクリート製の橋が架けられており、その先に岩をくり抜いて造られた御墓があります。
喜舎場公子孫 上代之墓の写真
コンクリート製の橋の先にある『喜舎場公子孫 上代之墓』。
この御墓は『喜舎場公子孫 上代之墓』なんだそうです。
喜舎場公子孫 上代之墓の写真
喜舎場公子孫 上代之墓。
喜舎場公子孫 上代之墓の写真
御墓の右側に立てられていた墓碑。
また、『喜舎場公子孫 上代之墓』の左側にもう一ヵ所小さなスペースがあり、その中央に石碑が建立されていました。
喜舎場公子孫 上代之墓の写真
『喜舎場公子孫 上代之墓』の左側にあった石碑。
その石碑の前へ行ってみると、『喜舎場公之墓所』と記されており、裏には先程の説明にあった『球陽外巻』の一説が記されていました。
喜舎場公之墓所の写真
『喜舎場公之墓所』と記された石碑。裏には『球陽外巻』が記されています。
・・・と、こちらまで見学した後は、先程の参道の分岐点まで戻り、今度は"石畳道"の方へ進みました。
喜舎場公の墓の写真
『喜舎場公の墓』の前から右側へ伸びる"石畳道"。
喜舎場公の墓の写真
『喜舎場公の墓』の西側にある"石畳道"。こちらも傾斜が結構キツめです。
"石畳道"をしばらく下っていくと、先程の立派な御墓の後方に辿り着くんですが、その手前左側に脇道があり、その奥に崖葬墓があります。
喜舎場祖先の墓所の写真
"石畳道"の途中にあった脇道。この先に崖葬墓があります。
脇道の入口には『喜舎場祖先の墓所』と記された看板が設置されているんですが、こちらは『アーマンチューの墓』と称される『喜舎場祖先之墓』なんだそうです。
喜舎場祖先之墓の写真
喜舎場祖先之墓(アーマンチューの墓)。
『喜舎場公之墓』や『喜舎場子孫 上代之墓』と同じく、こちらも旧暦の9月18日に拝まれるとのことです。

・・・と、ここまで見学させて頂いた後は、公園を出て喜舎場集落内に点在する史跡を見学しに向かいました。

今回は、ちょっと長くなってしまいましたので、この続きはまた別の回にご紹介致しますね。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

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『喜舎場公の墓(喜舎場公園)

☆場所:〒901ー2311
      沖縄県中頭郡北中城村喜舎場(喜舎場公園内)

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。