かつて豊見城市伊良波にあった収容所跡と区内に点在する拝所☆|沖縄放浪日記

2017年10月15日日曜日

かつて豊見城市伊良波にあった収容所跡と区内に点在する拝所☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、那覇市小禄にある『小禄グスク跡(森口公園)』『小禄ノ嶽』、そして区内に点在する"拝所群"を見学した後、次に向かったのは豊見城市内にある史跡です。

まず最初に向かったのは、かつて沖縄戦の際に豊見城市伊良波に設置されていたという"捕虜収容所"跡。。。

現在、"収容所"があった一帯は、住宅地や畑になっており、遺構などは残されていませんが、その付近には"井戸跡"等の"拝所"も点在しているんですよ。

沖縄県豊見城市伊良波にある

『伊良波収容所跡と拝所群』

伊良波収容所跡の写真
かつて沖縄戦の際にこの一帯に捕虜収容所が設けられていたんだそうです。。。
『伊良波収容所跡』は、豊見城市の国道331号線県道68号線231号線がぶつかる『名嘉地』の交差点から、国道331号線を同市座安向けに進み、約280mほどの距離(ちょうど国道が2車線から1車線に変わる地点の少し手前)にある左側の脇道へ左折します。
(脇道入口に『セコム琉球(株)南部営業所』が入る2階建ての建物があります。)

そして、道なりに約400mほど進んでいくと、道路沿い右側にあります。
伊良波収容所跡とウブガー・クムイガーの写真
『伊良波収容所跡』の説明板と『ウブガー』・『クムイガー』のある場所。
『ウブガー』と『クムイガー』の間にある小道の先にある空きスペースにクルマを停め、すぐさま見学開始。

まずは『伊良波収容所跡』の説明を読んでみると・・・
伊良波収容所跡の写真
説明板が設置されている場所一帯は、現在は住宅や畑が広がっています。
≪「伊良波収容所」跡≫
≪沖縄戦において生存者や捕虜等を収容する施設である収容所は、沖縄県内に数多く存在した。当時の豊見城村において、初期段階で設置されたのが通称「伊良波収容所」である。

沖縄戦終盤、伊良波集落北側に米根夢によって設置され、主に本島南部の激戦地でとらえられた人々が最初に送られた一時的な収容所であった。

ここでは検査や尋問、応急手当などを受けたあと、数時間~数日という短い収容期間の後、民間人だと沖縄本島中部の野嵩・安谷屋・越来などの各収容所へ、軍人の場合は金武の屋嘉収容所などへと再び移送された。
伊良波収容所跡の写真
説明板に掲載されていた当時の様子。
伊良波収容所は、簡易な「金網」で囲まれ多数のテントが立ち並ぶ収容所であり、主に民間人が数多く送り込まれた。検問で取調べを受けた後、負傷の有無を始め、性別、民間人か否かに選り分けられ収容された。

一部、金網の外にも人が溢れていたという証言もあり、当時、集落部分も含め伊良波周辺一帯が収容施設として機能していたことが推測される。

こうした一時的な収容所は、豊見城では伊良波集落南側の当貴原(トーキバル)や近隣の座安、与根、田頭地区等にもあったことが分かっているが、これらの場所に設置された理由は、1945年6月初め以降、豊見城地内のほとんどの日本軍が南下撤退し米軍との遭遇戦の危険性が比較的少なかったことと、激戦地から難民や捕虜を送り込む場所として交通の便や立地性に適していたからと推測されている。

日本軍の組織的抵抗がほぼ終了したあと、同年7月以降、収容所機能は徐々に消滅していった。
伊良波収容所跡の写真
説明板から北側を見たところ。
体験者の証言に数多く登場する「伊良波収容所」跡は、沖縄戦の記憶に深く刻まれた場所のひとつであり、戦後復興の第一歩を踏み出した場所として後世に語り継がれる重要な場所である。
豊見城市教育委員会 平成29年3月≫
・・・とありました。

説明板に掲載されていた写真をよぉ~く見てみると、当時はこの場所から遠くの方に"瀬長島"と"アカサチムイ"が見えたようですが、現在は、建物が立ち並んでいて、それらを見ることは出来なくなっています。

『伊良波収容所跡』を見学した後で、説明板のある場所にある2基の"井戸跡"を見学。
ウブガーとクムイガーの写真
『伊良波収容所跡』の説明板の後方にある2基の"井戸跡"。
道路から向かって左側は『ウブガー』で、右側は『クムイガー』となっているんだそうです。
ウブガーの写真
ウブガー。
左側の『ウブガー』は、昭和五十四年六月六日に建立されたようなんですが、結構真新しい感じがしましたね。

また、"井戸"内部は塞がれており、水は湧き出ていませんでした。
クムイガーの写真
クムイガー。
そして、右側の一際大きな『クムイガー』は、鉄格子が設置されており、内部をちょこっと覗き込んでみると、こちらは現在も水を湛えていました。

この2基の"カー(井戸跡)"の後方に小道が伸びているんですが、クルマを駐車したスペースを通過すると、道が三叉に分岐しており、左側の階段へ進むと、『豊見城市立伊良波小学校』・『伊良波中学校』へ行くことが出来、中央の急な坂を上ると、原っぱに出ます。
ウブガー・クムイガーの写真
2基の"カー"の後方にある三叉に分かれた小道。左へ進むと小・中学校、中央の坂を登ると原っぱに出ます。
ウブガー・クムイガーの写真
中央の急な坂道を上がると原っぱがありました。
そして右側の小道へ進んで行くと、その先に合祀された"拝所"があります。
ミーウタキの写真
三叉の分岐点から右の小道を進んできたところ。格子に囲われた"拝所"があります。
ミーウタキの写真
ミーウタキ。
こちらは、『ミーウタキ』と呼ばれる"拝所"なんだそうで、敷地内には真新しい4基の祠が合祀された"拝所"がありました。
ミーウタキの写真
左手前から『南勢和前』、『国元』、『御嶽元』と記されていました。
ミーウタキの写真
『国元』
4基の"拝所"は、手前側の3基が『南勢和前』・『国元』・『御嶽元』、そして3基が合祀された祠の隣の1基は『国元』となっていました。

そして、3基が合祀された祠の前の奥に石碑が立てられており、そこには『伊良波拝所(ミーウタキ) 平成二十四年 二〇十二年八月吉日改修』と記されていました。
ミーウタキの写真
『ミーウタキ』内に立てられていた石碑。
また、この『ミーウタキ』に向かって左側にある林の中にもコンクリート製の古い祠がありました。
ミーウタキの写真
『ミーウタキ』横の林の中にあった拝所。
豊見城市伊良波内にある拝所などの史跡についての資料などが、ネット上ではほとんど見付けることが出来なかったので、こちらの"拝所"については不明です。。。

"古墓"のようにも見えましたが、すぐ手前に香炉が1基置かれており、"拝所"っぽかったですね。
※あくまでワタクシ個人の推測なので、定かではありません。。。
豊見城市伊良波の拝所の写真
民家の後方にあった"カー(井戸跡)"。
そして、この『ミーウタキ』の前から集落内を南北に走る道路へ出ることが出来るんですが、その道を南向けに進み、突き当りを右折すると、すぐ左側に2階建ての民家があるんですが、その後方にも先程の『クムイガー』のような形の"カー(井戸跡)"がありました。
豊見城市伊良波の拝所の写真
カー(井戸跡)。
ネットで、豊見城市伊良波内の拝所を調べてみたんですが、詳しい資料などが殆ど出て来なかったため、こちらの"カー(井戸跡)"の名称は分かりませんでしたが、"カー"の右上に「拝所」の文字が辛うじて見えました。

こちらの"カー(井戸跡)"を見学した後で、再び『伊良波収容所跡』の説明板がある場所まで戻り、今度はその前の道を北へと向かいました。
ヌルガーの写真
畑の片隅にある『ヌルガー』。
『伊良波収容所跡』の説明板と『ウブガー』・『クムイガー』がある場所から約160mほど進んでいくと、道路沿い右側の畑の奥にもコンクリート製の祠を発見しました。
ヌルガーの写真
ヌルガー。
ネットで見つけた情報によると、こちらは『ヌルガー』と呼ばれる"井戸跡"の"拝所"なんだそうですが、こちらも先程の『ウブガー』同様に水は湧いていないのだそうです。

・・・と、ここまで見学した後は、そのままクルマを走らせ、次の目的地である"グスク跡"へと向かいました。

後日、豊見城市伊良波内にある"拝所"について、いろいろ調べてみると、今回ご紹介した史跡の他にもいくつかの"拝所"があるようなので、また時間を設けて、再訪したいと思います。

今回は少し短いですが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『伊良波収容所跡と拝所群

☆場所:〒901-0232
      沖縄県豊見城市伊良波

☆見 学:無料

☆駐車場:無し(ウブガー・クムイガー後方に空きスペースあり)

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。