先月(8月)の18日、再び南城市内にある"史跡"を見学しに行ってきました。
まず最初に向かったのは、琉球王国・第一尚氏王統六代国王『尚泰久』王の長女で、勝連グスクの按司『阿麻和利』の妃であった人物が眠る御墓。。。
こちらは、以前は別の場所にあったそうなんですが、中学校校舎建設のために現在の場所に移設されたんだとか。。。
南城市玉城富里にある
『百十踏揚(ももとふみあがり)の墓』☆
陸上競技場の東側にある『百十踏揚の墓』 |
『南城市陸上競技場』をグルっと囲んだ小道から見た『百十踏揚の墓』。 |
そこからさらに道なりに進んでいくと、突き当りに『南城市陸上競技場』があるんですが、"御墓"は、真正面の陸上競技場のトラックを挟んで向こう側にあります。
『百十踏揚の墓』の手前にも駐車場が設けられています。 |
『百十踏揚の墓』の入口。 |
≪百十踏揚の墓≫
≪百十踏揚は、尚泰久王の長女で勝連按司阿麻和利の妻であったが、阿麻和利が倒された後、鬼大城(うにうふぐすく)といわれた越来城主の大城賢雄に嫁いだ。出入口に設置されている説明板。 |
『仲栄真腹門中之墓』と表記された門。 |
沖縄県南城市教育委員会≫
・・・と、ありました。説明を読み終えて階段を上がっていくと、『仲栄真腹門中之墓(なげーまばらもんちゅう)』と記された門があり、そこから上の方にある岩下まで石段が続いていました。
大きな岩の下が石とコンクリートで塞がれており、その手前に四角形の御墓(?)がありました。 |
崖葬墓の手前にあった四角形の小さなお墓。 |
そこをそのまま通過して岩の前まで行ってみると、岩下に埋め込まれるような形で2基の崖葬墓が現われます。
尚泰久王の次男『三津葉多武喜』の墓 |
百十踏揚の墓 |
2基の御墓の間にあった石碑。 |
奥側から見た『百十踏揚の墓』 |
この『百十踏揚』と『三津葉多武喜』が眠る2基の御墓の右後方にも立派なお墓があります。
『百十踏揚の墓』の後方にあった立派な門中墓。 |
門中墓の参道入口にあった"拝所"らしき小屋。 |
小屋の右側の斜面にはモニュメントが建立されていました。 |
≪嶺 井 妙 美(1949~2013)≫
≪沖縄に生を受けた妙美は、学生時代を東京で送り社会運動に目覚めた。沖縄日雇労働組合を結成し、ホームレス支援を始め、生涯を地元沖縄に根ざした活動をした。このモニュメントは、彫刻家金城実の妻初子さんの声かけにより実現した。
2015.12.10 制作 金城 実≫
・・・とありました。嶺井 妙美像 |
この続きは、また別の回にご紹介しますね。
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
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☆『百十踏揚の墓』☆
☆場所:〒901-1400
沖縄県南城市玉城富里115
☆見 学:無料
☆駐車場:あり(南城市陸上競技場内)