糸満市の兼城集落南側の丘陵地にある森に囲まれたガマ☆|沖縄放浪日記

2017年7月6日木曜日

糸満市の兼城集落南側の丘陵地にある森に囲まれたガマ☆

ハイサぁ~イ⭐

沖縄は梅雨が明けて、暑い日が続いてますね。。。😅

前々回にご紹介した糸満市伊原にある『沖縄陸軍病院本部壕跡』を出た後、次に向かったのは、同じ糸満市の兼城集落。

こちらの集落内にも、グスク跡や拝所などの"史跡"が点在しているんだそうで、まず始めに訪れた史跡は、集落の南側の丘陵地にある森に囲まれたガマ(洞穴)です。

沖縄県糸満市兼城にある

『下川ブンギン兼城(下川権現)』

下川ブンギン兼城(下川権現)の写真
兼城集落南側の森の中にある『下川ブンギン兼城』
こちらは、まず糸満市の国道331号線『兼城』の交差点から、国道331号線を南向けに進み、約500mほどの距離にある『川尻橋』を渡ってすぐの信号を左折し、『報得川』沿いを走る片側一車線の道路に入ります。

次に、約500mほど進んだところ右側にある脇道に右折し、突き当りを左折します。

そして、道なりに約230mほど進んでいくと、右側に丘陵上へと伸びる道があるので、そちらに右折し、約120mほど進んで行くと道路沿い左側にあります。
※少し分かりにくい場所にあるので、Googlemapなどで確認しながら向かって下さいね。
下川ブンギン兼城(下川権現)の写真
『下川ブンギン権現(下川権現)』
『下川ブンギン兼城』の出入口と前の道路の間には駐車場があり、出入口前に鉄パイプの鳥居が立っているので、すぐに分かると思います。

いろいろ調べてみると、この鉄パイプの鳥居は、集落の人が立てたものではなく、字外の人が無許可で立てたものなんだそうです。
下川ブンギン兼城(下川権現)の写真
鳥居のすぐ左後方に立てられた『下川ブンギン兼城』の標柱
そして鳥居のすぐ左側には、『下川ブンギン兼城』と記された標柱が立てられており、その側面には『自分のため手を合す』と書かれていました。

この『下川ブンギン兼城』の"ブンギン"(若しくは"ブンジン"とも)は、漢字で"権現"と表記するんだそうで、『兼城ドンドンガマ』或いは『スムガーブンギン』とも称されているんだそうですよ。
※単に『ブンギン』と呼ばれることもあるんだそうです。
下川ブンギン兼城(下川権現)の写真
『下川ブンギン兼城』の入口。入口の横には、香炉が置かれた拝所があります。
そして、標柱の後方に出入口があるんですが、そのすぐ左側に香炉が1基置かれた拝所があります。
下川ブンギン兼城(下川権現)の写真
出入口の横にある拝所
この拝所の横から下の方へと階段が設けられており、そちらへ下りていくと、正面奥に香炉が1基置かれた拝所があり、階段の左右にはガマ(洞穴)があります。

特に、右側のガマ(洞穴)は、横長の大きな洞口で、その手前には、香炉が設けられた拝所がありました。
下川ブンギン兼城(下川権現)の写真
出入口から内部を見たところ。
下川ブンギン兼城(下川権現)の写真
階段途中から見た右側のガマ(洞穴)
ネット上でいろいろ調べてみたんですが、この『下川ブンギン兼城(下川権現)』に関する詳しい資料などは出てこず、詳細は不明です。。。

唯一出てきた情報によると、兼城集落の根屋(ニーヤ―)である『スム幸地腹』の娘が、かつてこのガマ(洞穴)に訳あって隠れていたんだそうです。
※『根屋(ニーヤ―)』・・・村の創始者の家の事。また、村の祭祀を行う場所のことを指します。(沖縄方言辞典『にーやー(ニーヤ―)』のページより引用)

伝承によると、兼城集落は、もともと『スク幸地腹』という"門中"が住んでいたんだそうですが、人数は少なかったんだそうです。

そして、後に『報得川』を挟んだ対岸にある『照屋グスク』にいた『波平門中』が、『南山グスク』尚巴志によって滅ぼされてしまったことにより、こちらの"兼城"に移住してきたとのことです。
下川ブンギン兼城(下川権現)の写真
ガマ(洞穴)の内部は、一段低くなっており、そこには2基の祠があるんだそうです。
移住してきた『波平門中』は、"兼城"内の8割を占めていたんだそうで、もともと住んでいた『スク幸地腹門中』とは、近世まで犬猿の仲だったと言われているんだそうですよ。

・・・と、話を戻しまして。。。

先程の、右側にあるガマ(洞穴)の内部は、香炉が置かれた拝所のある場所よりも一段低くなっており、2基の祠があるんだそうです。
※今回もガマ内部には、入っていません。

そのうちの1基は、手前の拝所のある場所から、岩陰の下に設けられているのが、かろうじて見えました。
内部の奥行はあまりないんだそうです。
下川ブンギン兼城(下川権現)の写真
出入口の階段の途中から右側を見たところ。
そして、階段を挟んで反対側のガマ(洞穴)は、下へと続く古い石段が設けられており、そこには洞穴墓がありました。

こちらを見学した後、兼城集落の人に少しだけお話を伺うことが出来たんですが、この洞穴墓内部には、人骨が納められている厨子甕が置かれているんだそうですよ。
下川ブンギン兼城(下川権現)の写真
階段を下りたところから右側のガマを見たところ。右側に過敏があるのが見えます。
そして、階段の真正面奥の石灰岩には1基の香炉が置かれた拝所があります。
下川ブンギン兼城(下川権現)の写真
出入口を背に真正面を見たところ。奥に香炉が1基置かれているのが見えます。
下川ブンギン兼城(下川権現)の写真
琉球石灰岩の中腹に置かれた1基の香炉。
また、香炉が置かれた場所の後方に、小さな空洞が見えたんですが、こちらは、先程の大きなガマ(洞穴)と繋がっているそうです。

・・・と、ここまで見学させて頂いた後、『下川ブンギン兼城(下川権現)』を出て、駐車場の南側にある小道へと向かいました。
下川ブンギン兼城(下川権現)の写真
『下川ブンギン兼城(下川権現)』の駐車場南側に隣接する小道。
下川ブンギン兼城(下川権現)の写真
鬱蒼とした森に囲まれた小道。
小道は、森の中を突っ切るように下の方へと続いていたので、その先へ行ってみることにしました。

すると、兼城集落の西側を走る道路に出たんですが、その右側の石灰岩の下にコンクリート製の枠で囲われた『カー(井泉)』がありました。
糸満市兼城 メーンガーの写真
『下川ブンギン兼城(下川権現)』の西側にあった『メーンガー』
糸満市の資料『第2章 観光プログラム企画等』によると、こちらは『メーンガー(前の井泉)』と呼ばれる『カー(井泉)』で、兼城集落の南前方にあるので、その名が付けられたと言われているんだそうです。
糸満市兼城 メーンガーの写真
左側から見た『メーンガー』
また、『メーンガー』の左側の岩陰にも小さな洞口がありました。
糸満市兼城 メーンガーの写真
『メーンガー』横の小さな洞穴
洞口はとても小さかったんですが、内部にはコンクリートブロックが置かれており、こちらも拝所となっているようでした。

この『メーンガー』まで見学した後は、先程の小道を戻り、兼城集落内にあるグスク跡を見学しに向かいました。

この続きは、また別の回にご紹介しますね。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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『下川ブンギン兼城(下川権現)


☆場所:〒901-0303
      沖縄県糸満市兼城

☆見 学:無料

☆駐車場:あり