糸満市兼城の集落西側の崖の上に位置するグスク跡☆|沖縄放浪日記

2017年7月10日月曜日

糸満市兼城の集落西側の崖の上に位置するグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した糸満市の兼城集落南側にある『下川ブンギン兼城(下川権現)』を後にし、次に向かったのは、同じ兼城集落の西側に位置するグスク跡。。。

こちらは、現在は『ハンタ』と呼ばれる広場になっており、"桜の名所"となっているんだそうです。

沖縄県糸満市兼城にある

『兼城グスク』

兼城グスクの写真
祠の上に『兼城城』と記された『幸地のトゥンチ(殿内)』と呼ばれる拝所。
こちらは、『下川ブンギン兼城(下川権現)』の前の『ナカミチ』と呼ばれる道路を北向けに約230mほど進んでいくと、右側に「この木なんの木 幸の木」と書かれた大きな木があるんですが、その大木の右斜め向かい側にある細い路地の奥にあります。
※『下川ブンギン兼城(下川権現)』へのアクセスは、前々回の記事をご参照下さい。⇒http://oki-night.blogspot.jp/2017/07/blog-post_6.html
兼城グスクの写真
グスク域前の道路(ナカミチ)沿いにある大きな木。この大木の向かい側にある細い路地の奥にあります
『兼城グスク』(かねぐすくグスク)は、『カニマルグスク』とも称されているんだそうですが、築城年代や築城者は分かっていないんだそうです。。。
兼城グスクの写真
大木を背にして、グスク域の『ハンタ』(桜の名所)入口を見たところ。
表道から路地に入って奥へ進んで行くと、大きな祠の拝所と木々が生い茂る開けた場所に出るんですが、冒頭でもお話したように、こちらは現在『ハンタ』と称される場所となっているんだそうです。
以前は、グスク跡を示す祉票も立てられていたみたいなんですが、ワタクシが訪れた際には見当たりませんでした。。。

糸満市の資料『第2章 観光プログラム企画等』によると、この広場の西側は"崖"になっており、沖縄の方言で"崖"のことを"ハンタ"(若しくは"バンタ")と言うことから、その名が付いたと言われているとのことです。

また、この一帯が『兼城グスク』の城跡となっているんだそうで、『ウマチー』と呼ばれる収穫祭には、白衣装を着た神人(カミンチュ)がこの場所に集まり、ミキ(神酒)が出されたと言われているんだそうですよ。
『ウマチー』⇒旧暦の2月、3月、5月、6月の15日前後に行われる祭事のこと。
兼城グスクの写真
広場の一角にある拝所。上部に『兼城城』と記されています。
広場に入ると、すぐ右側にコンクリートブロックで造られた大きな祠と井戸跡があります。
兼城グスクの写真
『幸地のトゥンチ(殿内)』と呼ばれる拝所と左隣にある井戸跡。
こちらの拝所は、『幸地のトゥンチ(殿内)』と呼ばれているんだそうで、祠の上部には『兼城城』と記されており、内部には『ヒヌカン(火の神)』と7基の香炉が納められています。
『琉球国由来記』にある"兼城村"の『城之殿』は、この『幸地のトゥンチ』なのでは?との見方もあるようです。
『幸地のトゥンチ(殿内)』の内部。左側には『ヒヌカン』、右側の棚には7基の香炉が納められていました。
兼城グスクの写真
『幸地のトゥンチ(殿内)』の隣にある井戸跡。
そして、『幸地のトゥンチ(殿内)』と井戸跡の後方には、こんもりと一段高くなった森があり、その中に石積みの遺構が残されているのが、チラッと見えました。
兼城グスクの写真
『幸地のトゥンチ』後方の森の中にある野面積みの石積み。
こちらを後にした際、集落の人にちょこっと教えて頂いたんですが、この石積みが『兼城グスク』の遺構と思われるとのことでした。

かつてのグスク域は、もっと広かったようですが、現在はこちらの石積みしか残されていないんだそうです。

また、この一帯の西側は断崖になっており、かつてはこの崖の麓が海岸線だったそうですよ。
兼城グスクの写真
『幸地のトゥンチ』の左側。この奥にも拝所があります。
『幸地のトゥンチ』の左側には、木々が植えられているんですが、雑草が生い茂っていて、うかつに入ることは出来ません。。。

しかし、広場の西側の崖縁までいくと、獣道が北向けに伸びていたので、そちらへ行ってみると、『村御本神』と記された石柱が立つ拝所がありました。
兼城グスクの写真
『村御本神』と記された拝所
しかし、この『村御本神』の拝所は、誰が立てたのかは不明とのことです。
兼城グスクの写真
判読しづらいんですが、『村御本神』と記されています。
この『兼城グスク』にも、伝承が残されているそうで、兼城集落を治めていた兼城按司は、中山王の尚巴志に攻められてしまったんだそうです。

そして、攻撃を受けた兼城按司は、武富(だきるん)という集落へ逃げ延びたんだそうですよ。

中山王の尚巴志が、兼城按司を直接攻撃したことから、兼城按司は南山系に属していたのではないか・・・との見方もあるようです。

・・・と、ここまで見学した後は、また集落内へと戻り、次の史跡を見学しに向かいました。

この続きは、また別の回にご紹介しますね。

今回は少し短いですが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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『兼城(かねぐすく)グスク

☆場所:〒901-0303
      沖縄県糸満市兼城

☆見 学:無料

☆駐車場:なし