前々回にご紹介した糸満市宇江城にある『宇江城グスク』を後にし、次に向かったのは、同市井原の畑の真ん中に位置する自然壕。。。
こちらは、同じ糸満市伊原の国道331号線沿いにある『ひめゆりの塔』が建立されている『第三外科壕』から南西に直線距離約280mほどのところにあり、沖縄戦の最中、『ひめゆり学徒』らが避難してきた壕の1つです。
沖縄県糸満市伊原にある
『伊原第一外科壕(アブチラ壕)』☆
壕の出入口横にひっそりと佇む『第一外科壕跡』の碑。 |
※脇道の入口に『第一外科壕入口』と記された石柱が立てられています。
そして、道なりに約120mほど進んで行くと、道沿い左側にあります。
畑の真ん中にポツンと木々に囲まれた場所があるので、すぐ分かると思います。
国道331号線沿いに立つ『第一外科壕入口』の石柱。 |
伊原第一外科壕(アブチラ壕) |
出入口を入ると、すぐ右側には『第一外科壕跡』と刻まれた石碑が建立されています。
『第一外科壕跡』と記された石碑と、台座部分に設置された碑文。 |
出入口横に建立されている『第一外科壕跡』の石碑。 |
石碑の台座部分に設置されていた碑文。劣化が進んでいて、判読できませんでした。。。 |
≪伊原第三外科壕とともに、南部撤退後に沖縄陸軍病院職員やひめゆり学徒隊が避難していた壕の一つで、最初糸数分室の勤務者が入っていたが、後から第一外科と津嘉山経理部の勤務者が合流した。6月17日、壕の入り口近くに砲弾が直撃し、学徒や病院関係者が死傷。その翌18日に学徒らに解散命令が出され、19日未明に負傷者9名を残し、壕を脱出した。≫
・・・とありました。
また、以前は出入口前に説明板が設置されていたそうなんですが、その説明板には、『陸軍病院第一外科』及び『糸数分室所属の軍医看護婦』、『沖縄市販学校女子部』、『沖縄県立第一高等女学校職員生の徒』が、こちらの壕にいたと記されていたようです。
『第一外科壕跡』の石碑の前からガマを見たところ。 |
しかし、資料によると、壕内部への進入口は左下の小さな洞口のみとなっているようです。
洞口を入ると、壕内は結構広いらしいんですけど、それでも当時は伊原集落をはじめ、多くの人がこちらにも避難していて、かなり狭苦しかったようです。
階段途中から洞口側を撮影したところ。左上に見える黒い部分が壕の入口となっているようです。 |
壕口の手前にある開けた場所。雑草があまり生えておらず、比較的見学しやすかったですね。 |
石段を下りてきたところの開けた場所から壕口を見たところ。 |
壕口(奥の暗くなった部分)と、その手前に設置された香炉。 |
そして、1968年(昭和43年)には、『ひめゆり同窓会』と『ひめゆり遺族会』が折半で『伊原第一外科壕』の土地を購入したんだそうです。
壕がある窪地は、背の低い石積みで囲われていました。 |
その同じ年に、『伊原第一外科壕』の説明碑も設置したんだそうですよ。
壕口を背に上を見上げたところ。上の方に石積みが見えます。 |
こちらは、『伊原第三外科壕』がある『ひめゆりの塔』から、徒歩で約10分ほどの場所にあるので、もし『ひめゆりの塔』を訪れた際には、こちらの『第一外科壕』にも足を運ばれてみてはいかがでしょうか。。。?
それでは、今回はこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『伊原第一外科壕(アブチラ壕)』☆
☆場所:〒901-0344
沖縄県糸満市伊原212
☆問い合わせ:098-840-8111(糸満市役所 代表電話)
☆見 学:無料
☆駐車場:なし