今月(7月)の6日も、糸満市方面へちょこっと出かけてきました。
んで、目的地へ向かう途中、同市大里の県道沿いに石碑が建立されているのを見かけたので、クルマを路肩に停め、石碑の前に行ってみると、旧日本軍のいくつかの部隊の戦没者が合祀された慰霊碑でした。
沖縄県糸満市大里にある
『沖縄兵站慰霊之碑』☆
糸満市大里の県道7号線沿いに建立されている『沖縄兵站慰霊之碑』 |
県道側から見た『沖縄兵站慰霊之碑』 |
敷地の入口から見た『沖縄兵站慰霊之碑』 |
『沖縄兵站慰霊之碑』と碑文が記された石板。 |
慰霊碑の台座に記された各部隊の名称 |
慰霊碑の横に設置されていた碑文 |
≪銘≫
≪第二次世界大戦最後の且つ日本国土上唯一の激戦上となりたる沖縄本島に在りて、第四九兵站地区隊本部、及び麾下各陸上勤務中隊 水上勤務中隊 自動車中隊竝に現地採用各軍属は昭和十九年八月より米軍の侵攻来撃に備え、兵器、弾薬、装備、糧秣及兵員の輸送業務竝に陣地構築の任務を遂行しつつありたる処昭和二十年三月二十四日米軍上陸と同時に特編第二旅団を編成し、之に現地召集防衛中隊を指揮下に入れ、第32軍司令部直轄兵団として、戦列に加わり全将兵もとより従軍志願せる軍属に至る各員は祖国防衛の難に身命を挺しつつ各戦線に赴き、米軍の尨大なる戦力、且つ米軍が太平洋戦線、戦局の決定を賭しての、陸海空総力戦略をつくしたる、熾烈死斗猛攻に対し、日夜勇戦敢斗の限りを盡しつつ、緑の山野に殉国の血を染め、故国に想ひを馳せつ祖国の再興を念ひ乍ら遂ひに散華せられ、逝きぬ。慰霊碑と碑文の石板の間から参道がさらに奥へと伸びていました。 |
茲にその全英魂を招き、祀り弔う日を迎え得たり。
慰霊碑の後方に行ってみると、壕跡がありました。 |
冀くわ、霊魂来たり、亨け、この地に、永こしえに、安らけく、鎮ませ給え。
昭和四十六年十月十日 沖縄兵站慰霊之碑建立 奉賛有志一同≫
・・・とありました。碑文を読み終えると、慰霊碑と石板の間から参道が奥へと伸びていることに気付き、そちらに目をやると、奥にある琉球石灰岩の根元にガマ(壕跡)があるのが見えました。
ガマ(壕跡) |
このガマは、人工的に造たれた壕ではなく、"自然壕"のようなんですが、入口付近は小さな石積みがあり、少し手が加えられているみたいでしたね。
また、入口から内部の様子を伺うと・・・
ガマの入口から見た内部の様子。 |
また、思ってたよりも奥行は無く、結構狭かったですね。。。
ガマの前に置かれていた古い石板。碑文らしき文字が刻まれていましたが、判読出来ませんでした。。。 |
沖縄県のローカル新聞の記事によると、年々、慰霊碑を建立し、維持管理を行っている関係者の高齢化が進み、慰霊祭を行うことが出来なくなりつつあり、こちらの『沖縄兵站慰霊之碑』で行われていた慰霊祭も2000(平成12)年で最後となってしまい、翌2001(平成13)年からは自由参拝となってしまったんだそうです。。。
こちらは、県道沿いにあってとてもアクセスしやすいので、糸満市大里を訪れた際には、ぜひこちらにも立ち寄ってみてはいかがでしょうか。。。?
それでは、今回はこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『沖縄兵站慰霊之碑』☆
☆場所:〒901-0325
沖縄県糸満市大里
☆見 学:無料
☆駐車場:なし