ちょっと話が前後しちゃうんですが、前回ご紹介した八重瀬町具志頭の『具志頭ドライブインレストラン』へ向かう前に、同町具志頭内にあるグスク跡へ行ってきました。
こちらのグスク跡も、以前ご紹介した嘉手納町嘉手納にある『嘉手納グスク』同様に、"グスク"を偲ばせるような石積みなどの遺構はほとんど残っておらず、現在は『沖縄戦跡国定公園』に指定されており"具志頭園地(城址地区)"として整備されています。
沖縄県島尻郡八重瀬町具志頭にある
『具志頭グスク』☆
園内の一角にある『具志頭城内之御嶽』 |
※脇道入口に『具志頭金物店』がありますので、すぐ分かると思います。
国道から右折して約320mほど進んでいくと、道が二手に分かれた場所に差し掛かるんですが、そちらを右折すると『具志頭グスク』に到着です。
北東から見た『具志頭グスク』遠景 |
こちらに向かっている最中は、とてもいい天気だったのに、到着するや否や小雨がパラパラと降り出してきちゃったんですよ。。。(泣)
脇道を道なりに進んできたところ。右に進むと『具志川城跡』。左に進むと『具志頭浜』です。 |
※『カタブイ』・・・沖縄の方言で『通り雨』とか『局地的な雨』の事です。
すると、約12、3分ほどで雨が弱まってきたので、すぐさま見学を開始しました。
上の写真にある分岐点から坂を上がっていくと、右側に『具志頭城』と記された標柱が立てられています。 |
≪具志頭城≫
≪具志頭城は、十四世紀の中期頃に英祖王統第二代大成王の第三子具志頭按司が築城したものと伝えられ、以来、代々の具志頭按司の居城であった。その規模は、およそ二万五千七百平方メートルもあり、沖縄の古城跡の中でも大きい方で、自然の断崖上に構えられた山城形式にして、連格式の城である。
大きな展望台の横に設置されていた説明板 |
南側には、高ヤックヮと呼ばれる見張ヤグラの石垣遺構がある。高ヤックヮは、南山城や多々名城などに対する備えとしての見張台であったと言われている。
代々の具志頭按司は、盛んに海外貿易を行った。その貿易港は、城下を流れている白水川の下流に広がる内海であったと伝えられている。
具志頭村教育委員会≫
・・・とありました。駐車場の隣にあった1982年に構築された展望台 |
駐車場の一角にある2基の拝所 |
まずは駐車場の片隅にある2基の拝所を見学することに。。。
具志頭城内之御嶽 |
祠の右側にあった拝所 |
この立岩は、具志頭グスクの守護神なんだそうですよ。
また、小さな石積みの内部にも、いくつかの小さな霊石が納められていましたね。
"城内之御嶽"は、この一角を指しているようで、『神名:アカズ森之御イベ』が祀られているとのことです。
ちなみに、"城内之御嶽"の前の広場は『トンマー』と称されているんだそうですよ。
『土佐の塔』の入口 |
そちらには『土佐之塔』と称される高知県が管理する慰霊塔が建立されています。
参道から見た『土佐之塔』 |
土佐之塔 |
≪塔の由来≫
≪ここ具志頭の丘は、第二次世界大戦の戦跡であり、吾が郷土出身戦没者にゆかりの深い土地として、また隣接地はかつて津村久茂氏が慰霊塔を建立したところでもあり、今次大戦に散華された勇士の霊を弔うに相応しい處として、英霊の遺された崇高な御精神を讃える為全県民の浄財と郷土産の石材をもって、土佐の塔を建てます。この塔が世界悠久の平和につながり、民族永遠の繁栄をもたらすことを希ってやみません。
茫洋たる大洋、紺碧の空、そして孤島に散華せられた英霊よ、安らかに鎮まりませと祈りつつこの塔の由来を記します。
昭和四十一年十一月≫
・・・とありました。『土佐之塔』を見学した後、今度は敷地の北側へと移動。
北側には、山梨県の慰霊塔2基や、具志頭村遺族会が建てた顕彰碑と戦没者名簿刻銘板があります。
駐車場から見た戦没者名簿刻銘板と『甲斐の塔』の案内板(右奥) |
山梨県が建立した『甲斐の塔』の入口 |
手前側が『戦没者名簿刻銘板』。奥に見えるのが『慰霊顕彰碑』と『忠魂碑』です。 |
『慰霊顕彰碑』(左)と『忠魂碑』(右) |
≪碑 文≫
≪この慰霊塔は過ぐる大戦に於いて、本土防衛の第一線として百万県民が肉親を失うという多大な犠牲を強いられ無念の最後を遂げられた戦没者の鎮魂と恒久平和の願いを込めて、七千余村民の総意で建立されたものである。その霊域に具志頭村遺族会、創立四〇周年記念事業として新たに慰霊顕彰碑と戦没者御芳名を建立し平和の礎となられた犠牲者の遺徳を忍び感謝の誠を捧げ末永く後世に語りつげられること祈念申し上げます。
平成五年六月吉日 建立 具志頭村遺族会≫
・・・とありました。慰霊顕彰碑 |
『慰霊顕彰碑』の隣に建立されていた『忠魂碑』 |
『魄粋之塔』と『慰霊塔』。そして、一段下がった場所には『故 陸軍大尉中山忠之墓』がありました。 |
『魄粋之塔』 |
慰霊塔 |
故 陸軍大尉中山忠之墓 |
この3基の塔のある場所からさらに北側へ移動すると、山梨県が管理する『甲斐の塔』があります。
参道から見た『甲斐の塔』 |
≪この塔に、大東亜戦争におきて沖縄および日本外地で散華された山梨県出身戦没者の御霊を祀る。
昭和四十一年十一月八日 山梨県出身大東亜戦争戦没者慰霊塔建設委員会≫
・・・とありました。甲斐之塔 |
『甲斐之塔』の碑文が記された石板 |
沖縄及び南方諸地域の山梨県戦没者22,051柱が、こちらに合祀されているとのことです。
また、米軍関係の仕事のために沖縄に滞在していた南巨摩郡中富町中山出身の山中幸作という人物が、昭和28年6月15日に、私費でこの『具志頭城跡』内に、当時の天野久知事が記した石碑を建立し、沖縄戦で戦史した山梨県出身者の慰霊祭を行ったんだそうです。
※公益財団法人 沖縄県平和祈念財団の公式HP『甲斐の塔(山梨県)』のページより一部引用 。
その当時に建立した石碑は、現在も『甲斐の塔』の後方に建立されています。
南巨摩郡中山出身の山中幸作氏が建立した石碑 |
その場所からは、大海原が広がっており、太平洋を一望することが出来るんですよ。
断崖上から北東側を見たところ。 |
南側 |
真正面 |
・・・と、今回も少し長くなってしまいましたので、この辺で終わりにして、この続きはまた別の回に致しますね。
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『具志頭城跡』☆
☆場所:〒901-0512
沖縄県島尻郡八重瀬町具志頭1471
☆見 学:無料
☆駐車場:あり