この前の日曜日は、読谷村伊良皆にあるサシチムイ(佐敷森)と呼ばれる森へ行ってきました。
こちらの森の中には、琉球王国第一尚氏王統・第二代目中山王が葬られている墓があるんだそうで、以前から一度訪れてみたかった場所の1つなんですよ。
沖縄県中頭郡読谷村伊良皆にある
『尚巴志王の墓』☆
小道入口に建立されている『尚巴志王之墓』と刻まれた石碑。 |
脇道を入って約120mほど進むと左側に脇道がありますので、そちらへ左折し、道なりに約850mほど進んでいくと、左側に森に覆われた丘がありますので、御墓はその森の奥にあります。
『尚巴志王之墓』と刻まれた石碑が建立された御墓への入口。 |
駐車スペースの道向かい側に、草刈り清掃された斜面があるのですが、『尚巴志王之墓』へ直接向かう場合は、車で入ってきた道を約十数メートルほど戻ると、道沿い右側に『尚巴志王之墓』と刻まれた石碑が建立された入口がありますので、そこから入って下さい。
『尚巴志王之墓』と刻まれた石碑。 |
約100mほど歩いていくと、前方に石柱が見えてきて、右側の岩壁中腹に、コンクリートブロックで造られた『尚巴志王之墓』が見えます。
入口を入ってしばらく歩いてきた道の途中。この先に『尚巴志王之墓』があります。 |
『尚巴志王之墓』の前まで来たところ。右側の小道が入って来た小道です。 |
どうやら、こちらの御墓に葬られているのは、第二代『尚巴志王』だけではなく、第三代『尚忠王』、第四代『尚志達王』も葬られているようです。
第三代『尚忠王』は『尚巴志王』の次男で、第四代『尚志達王』は『尚忠王』の子で、『尚巴志王』の孫にあたります。
御墓の前には、宮城島の『東江門中』と佐敷村字佐敷の『みひち門中』の参拝記念碑も建立されています。 |
『第一尚氏王統 第二代尚巴志王 第三代尚忠王 第四代尚志達王 陵墓』と記された石碑 |
『尚巴志』は、当時の中山王であった『武寧』を討伐し、その後、北山も討伐して、父親である苗代大親(なーしるうふやー)こと『尚思紹』を中山王に即位させます。
そして、『尚思紹王』が薨去(こうきょ)した翌年、『尚巴志』が中山王に即位します。
第二国王となった後、南山王であった『他魯毎(たるみぃ)』を滅ぼし、琉球王国第一尚志王統を成立させました。
古い石段を上がっていくと『尚巴志王之墓』の前に行くことができます。 |
『尚巴志王之墓』 |
当初、『尚巴志』らの墓は、『首里城』近くにあったみたいなんですが、『金丸』こと『尚円王』は、『尚巴志』らが葬られているその墓を破壊しようとしたんだそうです。
その事を聞き付けた旧臣の『平田子(ひらたしー)』と『屋比久子(やびくしー)』は、破壊される前に墓から『尚巴志』らの遺骨を持ち出し、現在の場所に葬ったんだそうです。
墓口の扉には3人の王の名が刻まれており、手前に香炉が1基置かれていました。 |
『尚巴志王之墓』のある場所から、入ってきた道を戻っていくと、小道の入口手前左側に丘の上へと続く小道があります。
その小道に入り、しばらく進んで行くと、左側の岩壁の窪んだ場所に『屋比久子』の御墓があります。
屋比久子之墓 |
こちらにも香炉が1基置かれていました。 |
奥に見えるのが『平田子之墓』。こちらにも『宮城島 東江門中参拝記念碑』がありました。 |
平田子之墓 |
『平田子』の系図(?) |
『尚巴志王之墓』の近くにあった3基の古墓 |
『平田子之墓』のすぐ隣にあった古墓 |
『屋比久子之墓』の隣にあった古墓 |
『サシチムイ(佐敷森)』と呼ばれる由来については定かではないようですが、『尚巴志』の出身地である『佐敷』(現在の南城市佐敷)にちなんで名づけられたものだと思われるんだそうです。
この『尚巴志王之墓』がある『サシチムイ』一帯には、集落であった跡である『カー(井泉)』跡や拝所が点在しています。
この一帯に、どのくらいの数の『カー(井泉)』や拝所が点在しているのかは不明なんですが、その内のいくつかは足を運んできましたので、そのカー跡や拝所については、また別の回にご紹介しましょうね。
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『尚巴志王の墓』☆
☆場所:〒904-0303
沖縄県中頭郡読谷村伊良皆
☆見 学:無料
☆駐車場:無し