三人の賢人が琉球の国のことを語り合った場所とされる那覇市辻の公園☆|沖縄放浪日記

2017年4月11日火曜日

三人の賢人が琉球の国のことを語り合った場所とされる那覇市辻の公園☆

ハイサぁ~イ⭐

先週火曜日(4日)の午後、少し時間が空いたんで、以前から気になっていた那覇市辻にある公園へちょこっと行ってきました。

こちらは、かつて三人の賢人が、琉球の国について語り合った場所だという言い伝えが残されているんだとか。。。

沖縄県那覇市辻にある
『三文珠(サンモウジ)
三文珠の写真
『三文珠公園』の中央にある丘の中腹にあった『坊主神』の拝所。
こちらは、那覇市の『波之上臨港道路』と『那覇西道路』がぶつかる交差点から、『波之上臨港道路』を同市辻向けに進み、最初の信号がある交差点の左角にあります。

入口は、この信号を左折して、最初の脇道を右折、そして、最初差し掛かる十字路を右折すると、すぐ右側にあります。
三文珠公園の写真
『三文珠公園』入口
この日、こちらに到着したのは、午後4時前くらい。。。

公園入口横にちょこっと停めさせてもらい、すぐさま散策を開始しました。
三文珠公園の写真
公園入口左側にあるブランコやジャングルジムなどの遊具が設置されている場所
こちらは、公園として整備されているため、入口を入って左側にはブランコやジャングルジム、公衆トイレなどが設置されており、右側は広場となっていました。
三文珠公園の写真
入口右側の広場
遊具が設置されている場所と広場を通過すると、公園のほぼ中央に小高い丘があり、そこが『三文珠(サンモウジ)』と呼ばれる場所なんだそうです。
三文珠の写真
広場から見た『三文珠』遠景
丘に向かって左側に『サンモウジ(三文珠)の話』と題された説明板が設置されていたので、まずはそちらを読んでみることに。。。
三文珠の説明板の写真
『三文珠(サンモウジ)』の説明板
≪サンモウジ(三文珠)の話≫
≪『南島記事外篇』(西村捨三著/1886年)によると、18世紀を代表する学者・教育者「程順則(ていじゅんそく)(名護親方寵文(なごウェーカタちょうぶん))」、大政治家「蔡温(さいおん)(具志頭親方文若(ぐしちゃんウェーカタぶんじゃく))」、そして「スグリ山田(勝れやまだ)」と呼ばれた「山田親雲上(やまだペークミー)(唐名:阮瓉)」の三人の賢人が、琉球の国のことを語り合った場所なので「三文珠(さんもんじゅ)」と呼ばれるようになり、いつしかそれが「サンモウジ」という地名になった、という言い伝えが記されています。

しかし、「三孟子」、「紗帽瀬」、「鳥帽子」などとも記されている史料もあり、別のお話しが伝わっていたかもしれませんが、今となってはわからなくなっています。
那覇市教育委員会文化課≫
・・・とありました。(『三文珠公園』説明板より引用)
三文珠の写真
丘の中腹辺りにあった拝所
『程順則』は、1663年に那覇の久米村の生まれで、第二尚氏王統の琉球王国の士族なんだそうです。(Wikipedia『程順則』のページより一部引用)

また、『蔡温』は、中国から沖縄へ移住した中国人の子孫で、琉球王国を代表する政治家とのこと。蔡氏具志頭殿内の小祖で、久米三十六姓の出身なんだそうです。(Wikipedia『蔡温』のページより一部引用)

そして、最後に登場する『山田親雲上』は、1678年に久米村で生まれた人物とのこと。学識豊かな人物で久米村総役を補佐する長史職を務めたりしていたそうなんですが、1719年に、突然、『太平山』と称されていた『宮古島』へ流刑に処されてしまったんだそうです。(この時はまだ『新城親雲上』だったんだそうです)

しかし、その10年後の1729年に、流刑を許されて本島へ戻され、恩納間切山田地頭職に任命されて、『山田親雲上』となったんだそうですよ。
※『親雲上(ペークミー若しくはペーチン)』とは、琉球王国の士族の称号の1つです(Wikipedia『親雲上』のページより、一部引用)

流刑を許されて本島に戻されたのは、壊れてしまった記念碑を『山田親雲上』の学識をもってして再建するためとのこと。

・・・だったんですが、その仕事が終わると、再び流刑に処されたんだそうです。。。(『琉球の風光』『"蔡温時代"の探訪ノート』より一部引用)
※『山田親雲上』については、HN『うみお』さんの『琉球の風光』と、HN『茶太郎』さんの『"蔡温時代"の探訪ノート』に詳しくご紹介されていますので、そちらをご覧下さい。
三文珠の写真
『坊主神』の拝所
説明を読んだ後で、さっそく園内を散策。

まずは丘の中腹にある拝所を見学しに向かいました。

そこには『坊主神』と記されている標柱が立てられた拝所と小さな祠が2基並べて置いてある拝所がありました。

『坊主神』と記されている標柱の前には1基の香炉が置かれており、その左側にはコンクリートブロックで洞口を塞いだ古墓のようなものがありました。
三文珠の写真
『坊主神』の拝所の左側にあった2基の祠が置かれた拝所
また、『坊主神』の拝所の左側には2基の祠が置かれており、左側の祠は台座の上に置かれており、その前にも香炉が1基置かれていましたね。

この『坊主神』の拝所がある場所から、右側へ回り込んで丘の上へ向かうと、すぐに頂上に到着しちゃいました(笑)
三文珠の写真
『三文珠公園』の丘の頂上。あちらこちらに岩肌が出ていました。
三文珠の写真
頂上の先は行き止まりになっているんですが、何もありませんでしたね。。。
頂上に出ると、手摺が奥へと続いてたので、そちらの方へ行ってみると、行き止まりになっていて何もありませんでした。。。

この頂上から、西側は斜面になっていて、その先にある尖った岩の根元にも拝所があります。
三文珠の写真
丘の中腹辺りから見た西側の拝所
三文珠の写真
『三文珠』の丘の西側にあった拝所。
この拝所から、さらに公園の西側へ行くと広場があり、その一角に、かつては東屋であったと思われる休憩所がありました。
三文珠公園の写真
公園の西側
三文珠公園の写真
西側の広場にあった休憩所
この休憩所から、回り込むように丘の北側へ進むと、斜面にトンネルの一部らしき人工物がありました。
三文珠公園の写真
丘の北側の斜面
三文珠公園の写真
トンネルの一部らしき人工物がありました。
この人工物が何なのかは不明です。。。

また、先程の丘の上へと続く小道の途中にも、石灰岩の上に小石が積み上げられたものがあったんですが、これも拝所なのか、或いは別の何かなのかは不明です。。。
三文珠公園の写真
丘へ向かう小道の途中に小石が積み上げられたものがありました。
んで、今度は公園の南側へ向かうと、そちらにも小さな広場があったんですが、拝所らしき場所が1ヵ所あるだけで、その他には特に何も見当たりませんでした。。。
三文珠公園の写真
公園南側の広場。奥の階段を上がると先程の拝所に行くことができます。
三文珠公園の写真
こちらも拝所(?)っぽかったんで、一応撮影しておきました。。。
・・・と、ここまで見学した後、クルマに戻り、こちらを後に致しました。

この『三文珠公園』の西側は、かつては海だったそうで、公園内にある丘は、海岸の名残りみたいですね。

当時を偲ばせる遺構は残っていませんが、琉球の国を語り合ったという『程順則』・『蔡温』・『スグリ山田』の3人に興味がある方は、足を運んでみてはいかがでしょうか。。。?

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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『三文珠公園』

☆場所:〒900-0037
      沖縄県那覇市辻2丁目26-1

☆見 学:無料

☆駐車場:無し