先月、糸満市内の慰霊塔やグスク跡などを見学して回った日の翌日、ネットで史跡などを調べてた際、気になるグスク跡を見つけたんで、ちょっと足を運んでみることにしました。
なんでも、こちらは、名城村の宗家『仲原』の始祖である『タルマサ王』という人物が、南山城からやってきて、先史時代の貝塚跡にグスクを築城したんだとか。。。
沖縄県糸満市名城にある
『フェンサー城貝塚』☆
大きな岩壁の根元にひっそりと佇む『四郎樽金』の墓 |
そこから道なりに約540mほど進んだところにある右側の脇道に右折して、ちょこっと進んでいくと、右側にあります。
※表の道には案内板などは設置されておらず、少し分かりにくいんですが、Google earthなどで確認しながら向かって下さい。
北東から見た『フェンサー城貝塚』 |
ワタクシが到着した際、グスクに隣接した畑で農作業されている方がいたので、こちらに駐車してグスクを見学してもいいですかと尋ねると、「どうぞ、どうぞ」と快諾して下さいました😊
その節は、ありがとうございました🙇
『フェンサー城貝塚』の拝所やカー跡、神アシャギのある広場 |
まずは、広場内にある拝所等を見学👍
広場の東側の隅にコンクリートブロック製の祠があり、そこは『大殿内のトン』という拝所となっていました。
大殿内のトン |
広場のほぼ中央に位置する場所にあるカー跡 |
カー跡 |
そして、このカー跡のすぐ隣には『神アシャギ』が建てられています。
神アシャギ |
そして、広場の北側、森の手前にも三角屋根の祠があり、『国ウタキの石碑』と刻まれた石碑が建てられた拝所となっていました。
内部には灯籠が納められてましたね。
国ウタキの石碑 |
丘陵の後方へは、『神アシャギ』の向かい側にある入口から向かうことが出来ます。
『神アシャギ』の向かい側の奥に、丘陵の後方へ向かうことのできる道の入口があります。 |
丘陵後方へ向かう道の入口 |
『フェンサー城貝塚』は、1967年に行われた発掘調査によって出土した「フェンサ上層・下層式土器』から命名されたグスクなんだそうです。
また、別名『名城グスク』とも呼ばれているんだそうですよ。
入口を入ってすぐ左側の岩の下にあった石垣 |
回り込んで正面から見たところ。どうやらこちらも拝所となっているようでした。 |
また、後の12~13世紀頃の『フェンサ上層式土器』は、平底で、より農耕に適した土器へと変化しているんだそうですよ。
・・・と、話を戻しまして。。。
入口を入って、すぐ左側にある岩陰の下に小さな石積みを発見しました。
んで、回り込んで真正面から見てみると、石済み手前にコンクリートブロックが敷かれており、どうやらこちらも拝所となっているようでした。
小道は丘陵の後方へと続いてました。 |
すると、小道右側の崖の根元に、洞穴を塞ぐようにしてコンクリートブロックが積まれた拝所(古墓?)と、長方形の古墓がありました。
コンクリートブロックで塞がれた拝所と、『南山世』と『玉城世』の古墓 |
コンクリートブロックで洞穴を塞いだ拝所 |
南山世(右側)と玉城世(左側)の古墓(拝所) |
『南山世・玉城世』の古墓の近くにあった拝所(古墓?) |
さらに奥へと進んでいくと・・・
3つの拝所(古墓)を通過したところから小道の先を見たところ |
小さな拝所 |
四郎樽金の墓 |
この『四郎樽金(シルタルガニー)』も、後に『フェンサグスク』の按司となった人物のようですね。
『四郎樽金の墓』を後にし、さらに奥へと進んでいくと、そちらにも拝所や古墓が点在していました。
どうやらこの一帯は、聖域となっているようですね。
岩陰にあった古墓 |
この古墓は、一段高くなった場所にあり、御墓の前は自然岩をうまく利用した石垣で囲われてて、墓庭となっていました。
そして、この古墓の墓庭から東向けに一段下ると、そこにもまた拝所がありました。
古墓のすぐ近くにあった拝所 |
すると、道が左右二手に分かれており、まずは右側へと進んでいくと、丘陵の斜面中腹辺りに、立派な御墓がありました。
その御墓のある場所へ行ってみると、手前に墓標が立てられており、『故陸軍上等兵勲八等功七級仲原太郎君之墓』と刻まれてました。
故陸軍上等兵勲八等功七級仲原太郎君之墓 |
こちらを後にし、今度はもう一方の道へと進んでいきます。
すると、その途中右側の岩陰にも香炉が1基置かれた拝所がありました。
拝所 |
『故陸軍上等兵勲八等功七級仲原太郎君之墓』がある場所の反対側にある道。 |
『フェンサー城貝塚』北側から見た景色 |
戻る途中、先程の崖下にあった立派な古墓の向かい側にも、小さな脇道を発見したので、そちらの方へ行ってみると・・・
岩陰にあったコンクリートブロックが綺麗に積まれた古墓 |
岩陰にあった二基の古墓 |
名城祝女御墓 |
南山城からやってきた『タルマサ王』の子である『トゥンビベンサ』は、名城村の発展に尽力した按司であったんだそうです。
その『トゥンビベンサ』が若かりし頃、隣村の按司『喜屋武クガニー』の妹に恋をしたそうなんですが、『喜屋武クガニー』から持ちかけられた『石投げ勝負』に敗北してしまい、妹に思いを告げることが出来なかったんだそうです。
『フェンサー城貝塚』の表道の三叉路の角にあった『進寄奉』と呼ばれる拝所 |
『真鍋樽』は、たしか北中城村熱田にある『熱田マーシリー』の伝説にも登場する人物ですね。
※この伝説については、『熱田マーシリー』をご紹介する記事で、ご紹介しますね。。。
こちらを訪れる際は、今回ご紹介した伝説などに思いを馳せながら見学されてみてはいかがでしょうか。。。?
それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆
☆『フェンサー城貝塚』☆
☆場所:〒901-0351
沖縄県糸満市名城11
☆見 学:無料
☆駐車場:あり(グスク入口の拝所群がある場所にスペースがあるので、そちらに駐車しました)