真栄里集落の人々が将兵や住民を含む1万2千余柱を収集し建立した慰霊塔☆|沖縄放浪日記

2017年2月20日月曜日

真栄里集落の人々が将兵や住民を含む1万2千余柱を収集し建立した慰霊塔☆

ハイサイ⭐

この前、『白梅之塔』や『山形の塔』を見学した後、真栄里集落の西側の少し離れた場所に建立された慰霊塔を見学しに向かいました。

こちらの塔は、沖縄戦後に、真栄里集落の方々が、住民や将兵約12,000柱の遺骨を収集し建立したんだそうです。。。

沖縄県糸満市真栄里にある

『栄里之塔』

栄里之塔の写真
真栄里集落から少し離れた場所にひっそりと佇む『栄里之塔』
こちらは、以前ご紹介した『白梅之塔』や『山形の塔』のある場所から西向けに進み、道なりに約570mほど進んだところにある五差路の角にあります。
栄里の塔の写真
『栄里之塔』が建立されている小高い丘
『栄里之塔』が建立されている小さな丘に隣接する農道の入口に、クルマ1台分が駐車できるスペースがあったので、そちらに少しだけ停めさせてもらい、すぐさま見学を開始しました。

また、塔を囲うようにして木々が立っています。
栄里の塔の写真
出入口らしき場所から見た『栄里之塔』
塔が建立されている場所の横には、碑文が記された石板が設置されています。

その碑文を見てみると、この『栄里之塔』が建立された年は、昭和27年(1952年)となっており、現在の『栄里之塔』は、昭和43年(1958年)に改修されたもののようです。
栄里の塔の写真
栄里之塔
しかし、改修されてから、月日がだいぶ経過しているので、塔に記された文字や石板の文字が、ところどころペンキが剥げており、判読しにくくなっていました。。。

・・・なので、碑文を引用させて頂きます。。。

≪歩兵第二二連隊は第三二軍の左第一線部隊として真栄里付近に布陣し、南進を続ける優勢なる米軍に対し熾烈なる砲火をあびせ遂に米軍司令官バーグナー中将もこの地に戦死す。

住民とともに勇戦奮斗せる我が軍は物量を誇る米軍の攻撃に抗しきれず善戦空しく昭和二十年六月十七日玉砕し悠久の大義に生く。
栄里の塔の碑文が記された石板の写真
『栄里之塔』の碑文が記された石板
終戦後真栄里部落民は本戦斗に協力せし住民並びに将兵の遺骨一二、〇〇〇柱を収集し栄里之塔を建立せしもこのたび南方同胞援護会の助成を得てあらたにこの地を画し塔を改修し、永くその遺烈を伝え英魂を弔う。
昭和四三年三月 財団法人 沖縄遺族連合会≫
・・・とありました。
栄里の塔の写真
『栄里之塔』上部
栄里の塔の写真
塔の手前の足元には香炉が設置されており、向かって右斜め後方には骨壺らしき箱が設置されていました。
収集された遺骨の中には、山部隊佐藤少尉という人物の遺骨も含まれているみたいですね。

『山部隊』とは、第32軍の第24師団のことらしく、この方は、その部隊に属されていたのでしょうね。。。
※内閣府沖縄振興局 沖縄戦関係資料閲覧室の公式HP参照⇒http://www.okinawa-sen.go.jp/units_list.html
栄里の塔の写真
『栄里之塔』の足元に設置されていたコンクリート製の箱
先程の碑文に『米軍司令官バーグナー中将もこの地に戦死す』とありましたが、バーグナー中将の慰霊碑が、この『栄里之塔』のすぐ近くに建立されています。

そこは、沖縄戦の時、バーグナー中将が戦闘の様子を伺うために、自ら登った丘で、そこから部隊に指令を出していたそうなんです。

・・・が、その最中に、日本軍の砲弾が近くの岩に炸裂し、その破片がバーグナー中将に直撃してしまい戦死してしまったんだそうです。。。

とゆーわけで、こちらの『栄里之塔』を見学した後は、バーグナー中将の慰霊碑を見学しに向かいました。

この続きは、また別の回に致しますね。。。
栄里の塔の写真
木々に守られているように立つ『栄里之塔』
今回は、ちょっと短いですが、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『栄里の塔』

☆場所:〒901-0362
      沖縄県糸満市字真栄里

☆見 学:無料

☆駐車場:なし