西原町内間の集落北側にあるノロの住居跡とその周辺に点在する史跡☆|沖縄放浪日記

2017年1月21日土曜日

西原町内間の集落北側にあるノロの住居跡とその周辺に点在する史跡☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、前々回の続きです。

西原町嘉手苅『ウフンミウタキ』を見学した後、次に向かったのは、嘉手苅区に隣接する内間区。

内間区の北側には、かつて内間ノロが住んでいたとされるノロ殿内をはじめ、いくつかの史跡が点在しています。

沖縄県中頭郡西原町内間にある

『内間ノロ殿内』

内間ノロ殿内の写真
内間集落の北側に位置する『内間ノロ殿内』
こちらはまず、西原町嘉手苅の『ウフンミウタキ』横にある脇道を、内間集落向け(北向け)に進み、最初の左側にある脇道へ入ります。

そして、しばらく進み、最初の右側にある脇道へと進み、そのまま道なりに約90mほど進んでいくと、左側にあります。
内間ノロ殿内の写真
『史跡 内間ノロ御殿』(野呂殿内(ぬぅんどぅんち)
ネットでちょこっと調べてみると、こちらは内間ノロの住んでいた所なんだそうです。

また、内間集落は、金丸(琉球王国・第二尚氏王統の初代国王『尚円王』)が、首里へ上る途中に、一時期を過ごした地だと云われており、集落に住みついた金丸は内間ノロと結婚したと伝えられているんだとか。。。
内間ノロ殿内の写真
建物横の標柱には『史跡 内間ノロ殿内』と書かれていますが、建物内には『野呂殿内』と表記されていました。
内間ノロ殿内の写真
『内間ノロ殿内』内部。右側は祭壇で、左側には香炉が1基置かれていました。
内間ノロ殿内の写真
祭壇の左側にある香炉
内間ノロ殿内の写真
『内間ノロ殿内』の建物前は広場になっています。
内間ノロ殿内の井戸の写真
『内間ノロ殿内』の横にあった拝所となっている井戸
この『内間ノロ殿内』から、直線距離にして東北東に約50mほど離れた場所には、金丸の住居跡と云われている『カヤブチ御殿』があります。
カヤブチ御殿の写真
カヤブチ御殿
『カヤブチ御殿』の入口には、説明板が設置されていたので、引用させて頂きます。

≪カヤブチ御殿≫
≪カヤブチ御殿は、内間集落の北方に位置している。

この御殿の本来の名称は、ウェーサギ(神アシャギ)であるが、かつて拝殿建物が茅葺きであったことから、カヤブチ御殿と呼ぶようになった。

かつて、金丸(のちの尚円王 第二尚氏王統の始祖1415~1476)が、首里へ上る途中、一時期を過ごした住居跡だと云われている。

当地には金丸と内間ノロに関する説話が次のように語り伝えられている。
カヤブチ御殿の写真
カヤブチ御殿
内間集落に住みついた金丸が、ある日一人で食事の仕度をしていたところ、カマドからでる煙が樹々の間から立ち上っていた。

それを見た内間ノロが食事を作ってあげたところ、その後二人は親しくなっていった。

その時、内間ノロが金丸に詠んだのが次の琉歌だと云う。

“心(くくる)いさみゆる 糸縁(いとえん)のたばこ ちゅ吹(ふ)ち吹(ふ)ちみそり 御縁(ぐえん)結ば”

又、金丸が首里へ上る際、内間ノロが金丸との別れを惜しんで詠んだのが次の琉歌だと云われている。

“あかん生爪(なまじみ)や 痛(や)でるあかりゆる やまんど別りゆみ 里と我身と”

又、カヤブチ御殿周辺は考古学的にも重要な地域であり、内間散布地No.1・No.2などがある。
カヤブチ御殿の写真
『カヤブチ御殿』の内部。
昭和27年には大城勝治氏によって、カヤブチ御殿入口付近のガジュマルの根元部から完全形の焼物が発見された。

この焼物は13世紀から14世紀にかけて作られた淡灰色を呈する壺型のカムイ焼であり、県内においては、完全形で出土した例がほとんどなく、極めて重要な考古資料として昭和62年に町指定の文化財に指定されている。
平成21年3月 西原町教育委員会≫
・・・とありました。
カヤブチ御殿近くから出土したカムイ焼の写真の写真
説明板に掲載されていた『カムイ焼』の写真
また、金丸が魚を獲ってきて、煮炊きをしたという『イワオーウカー』と呼ばれる井戸も残されていました。
イワオーウカーの写真
『カヤブチ御殿』のすぐ近くにある『イワオーウカー』
イワオーウカーの写真
金丸が魚を煮炊きしたと云われる『イワオーウカー』
この『カヤブチ御殿』の前の路地を、さらに東側へ進むと『内間御殿小』という拝所があります。
内間御殿小の写真
内間御殿小
内間御殿小の写真
内間御殿小
こちらの『内間御殿小』の内部も、先程の『内間ノロ殿内』と同じように、右側に祭壇、左側に香炉が1基置かれたレイアウトになっていましたね。

そして、『内間御殿小』の建物の後方にも拝所が2つありました。
内間御殿小の左後方にある拝所の写真
『内間御殿小』左後方にある拝所
内間御殿小の右後方にある拝所の写真
『内間御殿小』右後方にある拝所
また、『カヤブチ御殿』と『内間御殿小』の間にも、拝所らしき建物がありましたよ。
カヤブチ御殿と内間御殿小の間にある拝所の写真
『カヤブチ御殿』と『内間御殿小』の間にある拝所(?)。『神アサギ』か『根神屋』かな・・・?
この『カヤブチ御殿』や『内間御殿小』などがある場所から、東側へ進み、いったん国道329号線に出ます。

国道に出て、少し南下すると、右側に『内間児童公園』があり、その一角に『名幸毛(ナコーモー)という拝所があります。
名幸毛の写真
国道沿いにある『名幸毛(ナコーモー)
西原町の公式HP『ナコーモー』のページによると、この祠のある一帯は、『名幸毛(ナコーモー)』と呼ばれる丘があったんだそうです。

かつて、その丘の頂上付近には、後ヌ嶽の祠があり、そしてその御嶽の近くには部落のウブガー(産井泉)もあったとのことです。

この『名幸毛(ナコーモー)』は、金丸と内間ノロが出会った場所だったという言い伝えが残されているらしく、六月のウマチーには、字内間の新川門中の人達によってムディ餅と煙草がお供えされるんだそうですよ。
※『ウマチー』とは、沖縄の方言で御祭りのことを指し、『六月ウマチー』とは、稲や栗などの収穫祭のことなんだそうです。旧暦の2月、3月、5月、6月の15日前後に行われています。
(Weblio辞書『沖縄大百科ウマチー』のページより引用)
内間児童公園の写真
『名幸毛(ナコーモー)』に隣接する『内間児童公園』
内間児童公園の写真
『名幸毛』のある場所から見た『内間児童公園』
・・・と、ここまで見学した後、冒頭にご紹介した『内間ノロ殿内』まで戻り、そのまま帰路に就こうとすると、『内間ノロ殿内』後方の道路沿いにも、拝所を発見しちゃいました(笑)
内間集落北方にある拝所の写真
『内間ノロ殿内』後方の道路沿いにあった拝所
内間集落北方にある拝所の写真
拝所
こちらの拝所は、前々回にご紹介した『ウフンミウタキ』の北側にある拝所と、形がすごく似ていますね。

『ウフンミウタキ』は嘉手苅区にあるので、区は違いますが、祀られている神様が同じなのかもしれませんね。。。
※あくまでワタクシ個人の憶測なので、もし間違っていたらゴメンなさい。。。🙏💦

この『内間ノロ殿内』後方の拝所まで見学させて頂いてから、内間集落を後にしました。

自宅に戻って、いろいろ調べていくと、西原町内間に隣接する同町掛保久や嘉手苅、小橋川にもいくつかの史跡が点在しているみたいなので、また時間を作って、そちらも回ってみたいですね。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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☆『内間ノロ殿内』・『カヤブチ御殿』・『内間御殿小』・『名幸毛』☆

☆場所:〒903-0121
      沖縄県中頭郡西原町内間

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。