豊見城市保栄茂にある南山の出城的な役割を担った城砦と推測される城跡☆|沖縄放浪日記

2016年12月3日土曜日

豊見城市保栄茂にある南山の出城的な役割を担った城砦と推測される城跡☆

ハイサぁ~イ✋😃

この前、那覇市首里石嶺町の『そば かねもり家 石嶺』さんで腹ごしらえした後、豊見城市にあるグスク跡を見学しに向かいました。

こちらのグスクは、かの三山時代、中山に対峙するための第一線の拠点『瀬長』・『豊見城』・『長嶺』の各グスクに対し、南山グスクからの中継地としての役割を担う出城だったのでは・・・と考えられているんだそうで、沖縄の伝統的な歌舞劇『組踊』の『未生の縁』の舞台にもなっているんだそうです。


沖縄県豊見城市保栄茂にある

『保栄茂(びん)グスク』

組踊・未生の縁ゆかりの地碑の写真
グスクの頂上入口向かいには、組踊『未生の縁』ゆかりの地碑が立てられてました。
こちらはまず、豊見城市の『那覇空港自動車道(無料区間)』『豊見城』インターから県道7号線に出て、その県道7号線糸満市向けに左折し、約1.3㎞ほど進んだところにある4つめの信号を右折します。

そして、その道の突き当りを右折し、またすぐに右折して集落に入り、道なりに直進していきます。

ちょうど直角に道がカーブしているところに差し掛かるので、そこを通過すると右側に小道があるので、そこに入ります。

その小道を、また道なりに進んで行くと、右にUターンするような形で、小道があるので、その道を直進していくと、その奥にあります。
保栄茂グスク遠景の写真
東側の農道から見た『保栄茂グスク』
こちらに到着したのは、午後の3時前くらい。。。

かなり分かりづらい場所にあったので、Googleマップで確認しながら向かっていたため、到着するのが少し遅くなってしまいました😅💧

こちらを訪れたことのある方々の各ブログを拝見させて頂くと、なんでもグスクの頂上入口の前まで小道が整備されており、クルマで向かうことが出来るとあったんですよ。
保栄茂グスクの頂上へ向かう小道の写真
グスク入口に続く小道の途中、ロープが張られていました(泣)💧
しかし、グスク入口に続く小道をクルマで進んでいくと、その途中にロープが張られており、クルマではそれ以上進むことが出来ませんでした。。。😭

・・・なので、こちらにそのままクルマを停めさせて頂き、クルマを降りて、徒歩で向かうことに💨
保栄茂グスク入口へ続く小道の写真
クルマを降りて、小道をしばらく歩いてきたところ。
以前は、クルマでグスク入口の手前まで行くことが出来たのに、現在はなぜロープを張って通行止めにしてたのか不思議だったんですが、小道を歩いていくと、その理由が判りました。
保栄茂グスクの小道の写真
木が小道を跨ぐように倒れており、クルマで進むことが出来なくなってました。。。
クルマを降りて、しばらく歩いていくと、大きな木が小道を跨ぐように倒れており、とてもじゃないですが、クルマではこの倒木を潜ることは出来なくなってました。。。

通行止めの原因は、たぶん、この倒木でしょうね😅

んで、そのまま徒歩で、さらに奥へ突き進んでいくと、小道沿い左側にあった琉球石灰岩の根元に石積みを発見しました。
保栄茂グスクの石積みの写真
琉球石灰岩の根元にあった石積み
保栄茂グスクの石積みの写真
石積み。手前に平らなところがあったので、もしかすると拝所となっているのかもしれませんね。
見つけた当初は、按司墓かなにかかと思いましたが、石積みの手前に、平らになったところがあり、お香などを置くところっぽかったんで、どうやら拝所となっているようでしたね。

この石積みがある場所から、小道をさらに奥へと進みます。

すると、開けた場所にたどり着きました。

小道から見て、斜め左前方に『保栄茂グスク』の標柱と説明板、そしてグスク頂上へと続く階段を発見しました。
保栄茂グスクの入口と組踊未生の縁ゆかりの地碑の写真
『保栄茂グスク』入口と、その向かい側にあった『組踊未生の縁ゆかりの地』碑。
また、『保栄茂グスク』の入口の向かい側には、『組踊 未生の縁ゆかりの地』碑が立てられてました。
組踊未生の縁ゆかりの地碑の写真
組踊未生の縁ゆかりの地碑
『組踊未生の縁ゆかりの地』碑には、次のように記されていました。

≪よか人の義理や たとひ盲目なて をたむてやり のがす見捨てる 道のまたあるひ
保栄茂按司の娘 玉の乙鶴の台詞より

組踊『未生の縁』では、平良グスクの平良按司の若按司『鶴千代』と、ここ保栄茂グスクの保栄茂按司の娘『玉の乙鶴』との出来事や純愛が描かれているんだそうです。

どうやら、平良按司と保栄茂按司は幼馴染だったみたいですね。
・・・と、今回は『保栄茂グスク』のご紹介なので、『組踊・未生の縁』については割愛させて頂きますね😅

『組踊未生の縁ゆかりの地』碑を見学した後、『保栄茂グスク』の頂上へと向かいます。
保栄茂グスク入口の写真
保栄茂グスク入口
頂上へ向かう前に、まずは保栄茂グスクの説明板に目を通すことに。。。

≪保栄茂(びん)グスク(保栄茂城跡)≫
≪保栄茂グスクは、保栄茂集落の北東側に位置する標高106mの丘陵上に形成されたグスクである。

「豊見城村史(1964年刊)」によれば、三山時代、中山に対峙する第一線の拠点である瀬長、豊見城、長嶺の各グスクに対し南山グスクからの中継地としての役割をもつ出城ではなかったかと考えられている。
保栄茂グスクの階段の写真
保栄茂グスクの標柱と説明板の横にあった頂上へと続く階段。
グスク内北側に所在する「殿(トゥン)」と呼ばれる広場は、「琉球国由来記(1713年)」にも記載され、毎年旧暦の5月ウマチーおよび6月ウマチーの日には字の神人(カミンチュ)、役員、各門中の人々が集まって神酒や供物が供えられ、祭祀が執り行われている。

これまでに実施されたグスク内の試掘調査では、建物の「柱穴跡」と、煮炊きを行ったと思われる「炉跡」が発掘され、その炉跡からは炭化した米や麦が検出されている。
保栄茂グスクの遊歩道の写真
頂上へ続く遊歩道は、綺麗に整備されており、簡単にたどり着くことができます。
また出土遺物としてはグスク系土器をはじめ青磁・白磁・陶器類の輸入陶磁器や鉄製品などが出土している。

出土遺物の中でも13世紀頃の青磁片が確認されていることから、グスクの成立および活動時期は13世紀後半から15世紀までの幅が考察される。

市内にある長嶺グスクや平良グスクなどとも時期的にも重なることから、三山時代の南山の出城的性格をもつ城砦ではなかったかと推測される。
※『長嶺グスク』は、2016年4月に一度訪れたことがありましたね。『関連記事』⇒http://oki-night.blogspot.jp/2016/05/blog-post.html
保栄茂グスクの遊歩道の写真
この先が、『保栄茂グスク』の頂上です。
また、琉球王府時代に首里城内で中国の冊封使歓待のおり上演された組踊「未生の縁」の舞台設定はこの保栄茂グスクとなっており、2003年(平成15)には記念碑も建立されている。

このほかグスク一帯には、沖縄戦当時、日本軍によって陣地が構築され、「監視哨」など戦争遺構の一部が現存している。
豊見城市教育員会 平成25年5月≫
・・・とありました。

瀬長グスク・豊見城グスク・長嶺グスクの3つのグスクと、南山グスクの中継地、そして南山の出城として機能していたとされているんですねぇ。。。
保栄茂グスクの頂上の写真
保栄茂グスクの頂上
説明板横の階段を上がり、奥へ突き進んでいくと、ようやっと保栄茂グスクの頂上に到着です👍

グスク頂上には、大きな岩と拝所らしき場所が2ヵ所、そして真ん中には三角点があります。
保栄茂グスク頂上の岩の写真
頂上にあった大きな岩
保栄茂グスクの三角点の写真
グスク頂上の三角点
保栄茂グスクの拝所の写真
大きな岩のすぐ横にあった拝所。以前は一番上に霊石が置かれていたようです。
保栄茂グスクの拝所の写真
三角点ともう一つの拝所。
また、こちらは標高106mと高い場所になっているので、広範囲に渡って景色を見渡すことができます。
保栄茂グスクから見た景色の写真
保栄茂グスク頂上から糸満方面を見たところ。
保栄茂グスクから見た景色の写真
瀬長島方面を見たところ。
保栄茂グスクから見た瀬長島の写真
遠くの方に瀬長島。その奥に薄っすらと慶良間諸島が見えました。
・・・と、頂上を見学してから、先程の説明板がある場所へと戻りました。

説明板と記念碑がある場所から、さらに奥の方に開けた場所があったので、そちらの方へ行ってみると。。。
保栄茂グスクの開けた場所の写真
説明板と記念碑がある場所から、さらに奥に進んだところ。
右奥の岩の根元にも、拝所がありました。
保栄茂グスクの拝所の写真
拝所
また、説明板がある場所から、グスク入口とは別に小道が二ヵ所伸びていたんで、一ヵ所ずつ行ってみることにしました。
保栄茂グスクの小道の写真
『組踊未生の縁ゆかりの地』碑を背に2ヵ所の小道をみたところ。
まずは、グスクの標柱の右隣から伸びる小道を行ってみると・・・
開けた場所。
何やら開けた場所にたどり着き、獣道らしき小道が、広場の中央付近で右に折れてました。

んで、その途中まで行って小道の先を見ると、ただの行き止まり。。。(泣)

また、この広場一帯を見渡しても、何もなかったんで、そのまま引き返しました。

そして、もう一方の獣道に行ってみると・・・

そちらは、グスクの東側の農道に出るだけで、こちらも何もありませんでした。
保栄茂グスクの拝所の写真
雑草に埋もれたグスク入口付近にあった拝所(?)
・・・なので、そのままクルマへと戻りました。

クルマに戻ると、停めてあった場所のすぐ隣に少し開けた場所があり、その奥の方に何かが雑草に埋もれてるのが見えました。

出来るだけ近づいてみると、どうやらこちらも拝所のようでしたね。

こちらの拝所まで見学した後は、そのまま帰路に就いたんですが、保栄茂集落内の来た道を戻っていくと、古い石敢當や石獅子、そして『紀元二千六百年記念国旗掲揚台』がありました。
石敢當の写真
集落内にあった古い『石敢當』
保栄茂集落の石獅子と石敢當の写真
石獅子と石敢當
紀元二千六百年記念国旗掲揚台とガジュマルの写真
紀元二千六百年記念国旗掲揚台とガジュマルの木
紀元二千六百年ッ記念国旗掲揚台の写真
紀元二千六百年記念国旗掲揚台
この『紀元二千六百年記念国旗掲揚台』について、ちょこっと調べてみると、なんでも初代の神武天皇即位がしてから昭和15年(1940)で、ちょうど皇紀2600年目ということで、この年に全国各地で様々な催しが行われたんだそうです。

んで、こちらにあるコンクリート製の台座は、その当時に、国旗を掲揚するためのものだったようです。

この国旗掲揚台まで見学した後は、そのまま集落を出ました。

いかがでしたでしょうか?

後日、ちょこっと調べてみると、今回ご紹介した『保栄茂グスク』の周辺には、文化財がまだいくつか点在してるみたいなんですよ。

なので、また時間を設けて、こちらの保栄茂集落やその周辺にある他の文化財にも行ってみたいと思います。

少し長くなってしまいましたが、それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『保栄茂(びん)グスク』☆

☆場所:〒901-0214
      沖縄県豊見城市保栄茂

☆見 学:無料

☆駐車場:無し