那覇市の末吉公園内にある王子家の墓とその周辺にある拝所☆|沖縄放浪日記

2016年10月14日金曜日

那覇市の末吉公園内にある王子家の墓とその周辺にある拝所☆

ハイサぁ~イ☆

先週木曜日(6日)、ヨメさんに送迎を頼まれ、南風原町方面へ出かけた際、ヨメさんの用事が終わるまで、ちょこっと史跡などを散策しようと思い、那覇市首里末吉町にある公園へ行ってみることにしました。

こちらは、広大な敷地内に広場や遊具が設置されている遊び場などの他に、神社や拝所、石碑などの史跡も点在しているんですよ。

ただ、広い範囲に多くの史跡が点在しているので、限られた時間内で、どれくらい回ることが出来るのか分かりませんでしたが、回れるだけ回ってみようと思い、今回、とりあえず訪れてみたとゆーわけなんです(笑)

沖縄県那覇市首里末吉町の末吉公園内にある
『宜野湾御殿の墓とその周辺にある拝所』
末吉公園の森の中にひっそりと佇む『宜野湾御殿の墓』。
末吉公園は、那覇市の国道330号線県道82号線が立体交差する『古島インター』から、県道82号線を同市首里儀保町向けに約1.2㎞ほど進むと、県道沿い左側にあります。
『末吉公園』入口。
公園への入口は、那覇市首里儀保町側にもあるんですが、そちらはまた別の回にご紹介しますね。
※ご紹介する史跡が多すぎるので、今回も2回に分けてご紹介致します。

この日、こちらに到着したのは、午後の2時半前くらい。。。

散策できる時間は、約1時間半~2時間ほどしかないので、駐車場にクルマを停め、すぐさま散策を開始しました(^^;

公園を分断するように『安謝川』という川が流れており、駐車場がある側のエリアから川を渡って奥の森に覆われているエリアへと向かいます。
駐車場から見た末吉公園の森。遠くに見える丘の頂上付近に見える赤瓦屋根は『末吉宮』です。
駐車場から奥の森へと延びる遊歩道を下っていき、『安謝川』に架かる『花見橋』を渡ります。
駐車場から奥へと続く遊歩道。
『安謝川』に架かる『花見橋』。
『花見橋』を渡り、丘陵地奥へと続く遊歩道を上がっていくと、まず最初に発見したのは記念碑。

この記念碑は、組踊を初めて創作した人物として知られる『玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)』の生誕三百年を祝して造られた石碑なんだそうです。
『花見橋』から見た、末吉公園奥の森。
遊歩道を上がっていくと、森の手前に立派な記念碑がありました。
記念碑の横には、説明版が設置されていたので、そちらを読んでみることに。

≪劇聖玉城朝薫生誕三百年記念碑≫
≪玉城朝薫は一六八四年八月二日 首里儀保に生まれ一七三四年一月二十六日に五十歳で没した。

玉城間切総地頭 かつ琉球王府のあまたの要職に行政官として手腕を発揮したが かたわら 音楽 舞踊 和流の文学に秀で 一七一九年 尚敬王の冊封にあたって 冊封使歓待のための踊奉行に任じられたと琉球史上はじめて独自の楽劇・組踊を創作し「執心鐘入」「二童敵討」を上演した。

他に「銘苅子」「女物狂」「孝行之巻」をあわせて 組踊五番を残し 今日劇聖とよばれる
劇聖玉城朝薫生誕三百年記念碑
沖縄の民族文化の未来のために その功を顕彰すべく生誕三百年を記念し「執心鐘入」ゆかりの地を朴して この碑を建てる


一九八五年三月 玉城朝薫生誕三百年記念事業会≫
・・・と書かれていました。
記念碑にはめ込まれたレリーフ。
この『劇聖玉城朝薫生誕三百年記念碑』を見た後、そこからさらに丘の上を目指します。
記念碑からさらに上へと続く遊歩道。
遊歩道の古い階段を上がっていくと、未舗装の遊歩道が直進と右の二手に分かれていたので、まずはそのまま直進してみることにしました。

この奥には、かつての王府時代の墓制に基づいて造られた典型的な王子家の墓があるんだとか。。。
遊歩道を直進してきたところに説明版がありました。
墓へ向かう途中、遊歩道上に説明版が設置されていました。

その説明によると・・・

≪宜野湾御殿の墓及び墓域≫
1976(昭和51)年9月28日 那覇市指定史跡
≪この墓は、王府時代の墓制に基づいてつくられた典型的な王子家の墓です。

屋根の形が亀の甲に似ていることから、このような形式の墓は亀甲墓(カーミヌターバカ)と呼ばれ、17世紀末からつくられるようになります。

この墓は18世紀初期につくられ、墓正面の「眉」の部分が緩やかな曲線を描き、後代のものとは異なった、最も古い形式の亀甲墓です。
墓へ続く参道には、当時の石畳や石垣が残されていました。
また、「袖(スディ)」と呼ばれる正面左右の石積みは、3段に分けて積まれ、格式の高さを示しています。

墓の区画は、国王の墓陵(ぼりょう)である玉陵(タマウドゥン)にならってヒンプンと呼ばれる中石垣によって2つに分け、その両端の入口は故意に狭くつくられています。

そのため葬儀の際は、柩を持ち上げて中石段を越えなくてはなりません。これは、あの世へ行きにくいようにするという、祈りを表しています。

沖縄における祖先崇拝のシンボルの一つである亀甲墓の中でも、特にこの墓は高度な石造技術を用い、壮大で優美な形を完成しています。

墓域は約12.000㎡(約4000坪)で、墓守屋敷跡や石畳の参道も残され、王府時代の墓制をそのまま今に伝える貴重な文化財です。≫
・・・とありました。
『宜野湾御殿の墓』の入口。
墓入口から見た『宜野湾御殿の墓』
入口を入ってすぐの所にあるヒンプン
正面
ヒンプンの右側から。
ヒンプン左側から。
 この『宜野湾御殿の墓』を見学していると、以前ご紹介した浦添市沢岻にある『浦添御殿の墓』を思い出しましたね(笑)

『浦添御殿の墓』も大きかったんですが、こちらもなかなかの大きさで、また、墓の造形や石積みも凄く綺麗でしたね。

この『宜野湾御殿の墓』を見学した後、一旦参道を戻り、その途中に森の奥へと続く脇道があったので、今度はそちらへ行ってみることにしました。
『宜野湾御殿の墓』へ続く参道の途中にあった脇道の入口。直進すると墓へ辿り着きます。
脇道を入り、奥へ進んで行くと、2、3ヵ所に香炉が置かれており、どうやらこちら一帯は、先程の説明にあった『墓守屋敷跡』や『墓域』となっているようですね。
『末吉町』と刻まれた香炉が置かれた拝所
脇道の突き当りにあった拝所
上の拝所の手前右側にあった拝所。
上3枚の写真にある拝所を見学した後、入ってきた脇道から、東側へと続く脇道がありましたので、今度はそちらへ歩を進めました。

すると、その先にも『末吉町』と刻まれた香炉が設置された拝所がありました。
先程の脇道から東側へと進んできたところ。写真中央の木の根元に拝所が見えます。
拝所。こちらの香炉にも『末吉町』と刻まれていました。
上の拝所のすぐ隣にあった石積み。こちらも拝所っぽかったんですけど、香炉はありませんでした。
この木の根元にあった拝所の横から奥へ進むと、開けた空間があり、そこにあった岩壁の根元に5基の香炉が並べて設置されていました。

どうやらこちらは、より重要な拝所となっているようでしたね。
開けた空間にあった拝所。
そして、この拝所の正面には石段があったので、そちらを下ると、新しい遊歩道に出まして、この遊歩道をさらに東側へと進んで行くと、『末吉宮』の社務所がすぐに見えてきました。

・・・と、今回は、ちょっと長くなってしまいましたのでここまでにして、この続きは、また別の回にご紹介しましょうね。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『末吉公園』☆


☆場所:〒903-0801
      沖縄県那覇市首里末吉町1-3-1

☆問い合わせ:098-951-3239(公園管理課)

☆利用時間9:00~21:00(年中無休)

☆見 学:無料

☆駐車場:あり(2ヵ所あり)