昨日(27日)の午後、ちょこっと時間が空いたので、宜野湾市大謝名の県道251号線(パイプライン通り)沿いにある共同井戸(カー)と、そのすぐ近くにある拝所を見学しに行ってきました。
沖縄県宜野湾市大謝名にある
『大謝名メーヌカー』
大謝名メーヌカー |
県道251号線沿いにある『大謝名メーヌカー』の入口。 |
右側に『大謝名メーヌカー』があり、左側には大謝名区の文化財マップ・大謝名区の屋号図・大謝名メーヌカー淡水紅藻についての説明版があります。
階段から見た『大謝名メーヌカー』 |
≪大謝名メーヌカー(市指定史跡)≫
≪大謝名メーヌカーは、市立大謝名小学校の裏門側にあり、地下水が流れ出る洞穴に山羊のあごひげのような“樋”をかけて湧き水を導く形式の湧泉です。大謝名区では、上水道が完備するごく最近まで、日頃の生活用水はもちろん、新年を迎えるときに身を清める正月の「若水」、子供の出生のときの湯浴みに使う「産水」などは、この湧泉の水を利用していました。
その恩恵にこたえて、区民の方々はいまでも、正月、二月、八月の節々にカーウガミ(泉拝み)を行っています。
ほぼ正面から見た『大謝名メーヌカー』 |
樋の下には、市内のほかの湧泉にふつうにみられる貯水槽はなく、階段の敷石になっています。
また、周囲の土留め壁の石垣は大きな石を使用し、一部に切り石がみられますが、そのほとんどは自然石の野づら積みで三段に積まれています。
正面には、みずの香炉を安置した小室があります。
湧泉に降りるカービラ(泉坂)と呼ぶ石畳道は、幅2~225、長さ約24mの25段の石段がつくられ、踏み石もきれいに残っています。≫
・・・とありました。
水が流れ出る三つの開口部の上部にあった香炉 |
カービラ側から見た『大謝名メーヌカー』 |
三つの吐水口から勢いよく流れ出る水。 |
お話によると、定期的に草刈りを行っているのだそうです。
『大謝名メーヌカー』から集落へと続く石畳の階段『カービラ』。 |
『カービラ』を上がっていくと、現在は、すぐに集落にぶつかっちゃうんですが、戦後、『パイプライン』を造る際に、集落の建物を、『カービラ』側に移動したんだとか。
『カービラ』の入口。横に『大謝名メーヌカー』の標柱が立てられていました。 |
『土帝君』と『地頭火の神』、そして『謝魂之塔』 |
まずは、先程の地元の方が教えて下さった『土帝君』から見学することに。
土帝君(トゥーティークー) |
こちらの『土帝君』は、かつては港田原(ナトゥラバル)と呼ばれる現在の大謝名団地隣の『南建工業株式会社』付近にあった水田地帯に祀られていたみたいなんですが、戦後、埋立てによって公民館前に移動されたんだそうです。
そして、その後、現在の場所に再移動されたんだそうです。
祠内に祀られた霊石のご神体 |
『土帝君』の祠のすぐ隣りにある『地頭火之神』が祀られた大きな祠。 |
地頭火之神 |
また、霊石の前には香炉が1基置かれてましたね。
この『地頭火之神』の祠の中には、『上之山の神』も一緒に祀られていました。
上之山の神 |
謝魂之塔 |
≪碑 文≫
御霊よ 安らかに故郷に眠り給わらんことを 祈ります
昭和四拾参年拾壱月参拾日 大謝名自治会≫
この『謝魂の塔』まで見学した後、一旦、クルマに戻り、お次は、ここから少し離れた場所にある14世紀の琉球王統の1つ『中山王国』の初代・国王『察度』が住んでいたと伝えられるグスク跡へと向かいました。
・・・と、今回は、ここまでにして、この続きは、また別の回にご紹介しましょうね。
それでは、また☆★☆
☆場所:〒901-2223
沖縄県宜野湾市大謝名
☆見 学:無料
☆駐車場:無し(土帝君・地頭火ヌ神の前には、駐車場あり)