◎世持神として崇められた御嶽と、その敷地内に新装併置された穴井泉☆|沖縄放浪日記

2016年7月23日土曜日

◎世持神として崇められた御嶽と、その敷地内に新装併置された穴井泉☆

ハイサぁ~イ☆

昨日(22日)から、浦添市では三大王統まつり『第39回 浦添てだこまつり』が、明日(24日)まで開催されているんですが、北谷町美浜にある『北谷公園サンセットビーチ』でも、『第30回 シーポートちゃたんカーニバル』が『浦添てだこまつり』と同じく明日(24日)まで開催されております(^^♪

『シーポートちゃたんカーニバル』でも、ゲストライブをはじめ、海上ではイカダ障害物競漕などの催し物が行われ、最大の目玉である、打上数 約1500発の花火を楽しむことができちゃいます☆

どちらのお祭りも、魅力的な催し物が予定されているので、どちらに行こうか迷っちゃいますね(笑)( ̄▽ ̄;

さてさて☆

この前、沖縄市泡瀬にある『泡瀬ビジュル(泡瀬神社)』を見学した後、同じ泡瀬区内にある東海楽土のニライカナイから豊穣・繁栄を招く神として崇められた御嶽と、その敷地内に新装併置された井泉を見学しに向かいました。

沖縄県沖縄市泡瀬にある
『東之御嶽・新井泉』
東之御嶽・新井泉
こちらは、沖縄市の県道85号線20号線がぶつかる交差点から、在沖米軍施設『泡瀬通信施設』向けに入り、『泡瀬ビジュル』を通過してしばらく直進していくと、信号機が設置されている十字路に差し掛かりますので、その十字路の角にあります。

クルマを路肩に停めさせてもらい、その敷地内へ入っていくと、すぐ左側に『新井泉(ミーガー)』があります。
新井泉(ミーガー)
『新井泉』の隣に説明文が刻まれた石碑が設置されていたので、引用させて頂きます。

≪拝所 新井泉(ミーガー)≫
≪新井泉は昔、野良仕事や漁の帰りに使用されていたと伝えられているが、その由来については定かでない。

一九四五(昭和二〇)年以前は、路地の傍らに設(しつら)えられた湧水のない簡素な穴井泉跡として保存されていた。

一九四五(昭和二〇)年泡瀬全域が米軍施設に接収され、原形は消滅したが、一九八三(昭和五八)年泡瀬土地区画整理事業に伴う土地全面嵩上工事の際に、以前とは位置形状を異にして、東之御嶽の敷地内に新装併置した。
二〇〇二年八月三十一日 泡瀬復興期成会≫
・・・と書かれていました。
『新井泉(ミーガー)』のアップ。
以前は、この泡瀬区内の別の場所に設けられていたけど、区画整理の際にこちらに移築したようですね。

また、戦前からすでに湧水は無かったんですねぇ。。。

今でも、湧水はありませんが、祭祀などの行事で巡礼する拝所の一つとなっているんだそうです。

この『新井泉』を通過して奥へ進むと、『東之御嶽(アガリヌウタキ)』があります。
東之御嶽(アガリヌウタキ)
こちらにも、説明が刻まれた立派な石碑が設置されていたので、そちらを引用致します。

≪拝所 東之御嶽(アガリヌウタキ)≫
≪東之御嶽は世持神(ユームチガミ)として集落の東方、阿檀(あだん)が繁ろ砂丘に石灰岩造りの石祠が設えられ、東海楽土のニライカナイから豊穣・繁栄を招く神として崇められた。

御嶽庭(ウタキナー)はおよそ三千坪を有し、子供たちの遊び場、砂糖樽用の槫板(くりいた)や日干し物の干し場、また、村遊びの際の出し物の稽古場として村人に親しまれた。

一九四五(昭和二〇)年泡瀬の全域が米軍施設に接収された際、石祠とともに砂丘全体が消滅したが、一九八三(昭和五八)年泡瀬土地区画整理事業に伴う土地全面嵩上げ工事の際に現在地に改築整備した。
二〇〇二年八月三十一日 泡瀬復興期成会≫
・・・と、書かれていました。
『東之御嶽』を正面から。
どうやら、この『東之御嶽』も、改築されたみたいですね。

こちらも、『新井泉(ミーガー)』同様に、祭祀の際に巡礼する拝所の一つとなっているようです。

・・・と、この二つの拝所を見学した後、同じ泡瀬区内にある文化財へと向かいました。

この沖縄市泡瀬一帯にも、こちらのような文化財がいくつか点在しているみたいなので、少しずつご紹介していきますね。

今回は、少し短いですが、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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『東之御嶽・新井泉』☆

☆場所:〒904-2172
      沖縄県沖縄市泡瀬1丁目

☆見 学:無料

☆駐車場:無し