◎比謝川中流に位置する琉球石灰岩上に築かれたグスク☆|沖縄放浪日記

2016年6月23日木曜日

◎比謝川中流に位置する琉球石灰岩上に築かれたグスク☆

ハイサイ☆

本日(6月23日)、沖縄は県が制定している『慰霊の日』です。

糸満市摩文仁にある『平和記念公園』では『沖縄全戦没者追悼式』が行われます。

また、県内の各地域に建立されている多くの『慰霊碑(塔)』でも、追悼式が行われていたりします。
※地域によっては、違う日程で行われていたりします。

本日の正午に、沖縄戦で亡くなった全戦没者に対し、ワタクシも1分間の黙祷を捧げたいと思います。

さてさて☆

この前、沖縄市八重島にある『八重島公園内』の『インジングスク跡』を見学した後、次は、嘉手納町屋良にあるグスク跡へと向かいました。

地元の言い伝えによると、こちらは、後に勝連グスクの按司となった、かの有名な『阿麻和利』が生誕したグスクとされているんだとか。。。
※この伝承は、定かではないみたいです。

沖縄県中頭郡嘉手納町屋良にある
『屋良グスク』
『屋良城跡公園』の正面入口
こちらはまず、嘉手納町の国道58号線と県道74号線がぶつかる交差点から(通称:嘉手納ロータリー)、県道74号線に入り、3つめの信号を左折します。

そして、信号から入って約450mほど進んだトコにある十字路を左折し、約140mほど進むと右側にあります。
正門には駐車場はなく、公園の東側と西側に2ヵ所あります。
西側駐車場出入り口にある案内板に掲載されていた園内の地図。
ワタクシは、正門を通過して、公園西側の駐車場に駐車しました。

クルマを駐車して、正門へと向かう前に、駐車場入り口に設置されていた案内板の園内の地図で拝所や按司墓などの位置を確認。

この案内板には、『屋良グスク』の説明も記載されていましたので、引用します。

≪屋良グスクは、比謝川中流に位置し、標高38mを最高所とする小高い琉球石灰岩丘陵上に築かれたグスクであり、「屋良大川グスク」とも故障される。

北側を流れる比謝川を天然の堀として利用しい、南西麺に半円状に外郭を巡らせた輪郭式城郭であり、築城は13~15世紀と考えられている。
五の曲輪。現在は広場になっていました。

発掘調査では、敷石遺構と4ヵ所の柱穴群が確認され、土器、須恵器、陶磁器、鉄製品、古銭、線刻画石板などが出土し、これらの遺構、遺物から推して有力な按司の存在がうかがわれる中核的なグスクであったことが想定される。

伝承では、初代屋良大川按司(御先大川)は第3代北山世の主(仲昔今帰仁按司系統)の5男にあたり、英祖王の玄孫にあたる人物であったとされる。≫
・・・と、記載されてました。

説明などを読んだ後、まずは公園の正門へと向かいました。
広場に隣接する観客席らしき場所。案内板に記載されていた地図ではこちらが四の曲輪になっているみたいです。
正門に到着すると、丘陵上へと続く階段入口にも、『屋良グスク』の説明版が設置されていました。

上の説明書きと、少し異なって内容もあるので、こちらも引用させていただきます。

≪屋良グスク≫
≪屋良城は屋良大川城とも呼称される。標高38メートルを最高所とする琉球石灰岩丘陵に形成されている。

伝承によれば仲昔今帰仁按司の五男屋良大川按司が初代按司といわれる。

発掘された遺物からすると、築城は13世紀から15世紀とされる。発掘の結果、敷石遺構と四ヶ所の柱穴群が確認され、土器、須恵器、白磁、青磁、福建省泉州系磁器黒釉陶器、褐釉陶器、石器、鉄製品、古銭、土錘、羽口、線刻画石板、瓦の遺物が出土した。

これらの遺構、遺物の出土から有力な按司の存在が伺われる中核的な城だったことが想定されている。

この城の東北側には、琉球四大貴族の一つといわれた馬姓一族の祖といわれる屋良大川按司系統の與湾大親祖先の墓があり、屋良城とともに崇拝されてきた。
嘉手納町教育委員会≫

・・・と、記載されてました。
正門から階段を上がって、ちょうど中間付近から頂上を見たところ。上の方に公園のモニュメントが見えます。
この説明版がある場所から、頂上に向かって左側を見ると、多目的広場があるんですが、こちらは、ちょうどグスクの『五の曲輪』の位置みたいです。

そして、この多目的広場横の観客席みたいな場所が、『四の曲輪』となっているようです。

説明版がある場所から、階段を上がり、ちょうど中間地点の場所から左側を見ると、公園のトイレがあり、その奥にも、休憩所兼広場みたいな場所がありました。

また、階段の中間地点を挟んで反対側には、滑り台などがある遊び場があります。

このトイレと休憩所兼広場、そして遊び場がある一帯が、ちょうど『三の曲輪』となっているようです。
階段の中間地点から左側を見たところ。手前側に公園のトイレがあり、その奥に休憩所らしき場所がありました。
トイレの奥にあった休憩所兼広場。
トイレから、階段の中間地点を挟んで反対側にあった遊び場。
階段の中間地点から、さらに上に上がっていくと遊歩道があり、その先にまた階段があって、その上に公園のモニュメントが建てられている場所がありました。

このモニュメントがある場所から、左の方にも、東屋が設置されたさらに高くなった場所があるんですが、このモニュメントがある場所と東屋がある場所が、グスクの『一の曲輪』となっているみたいですね。
公園のモニュメントが建てられている場所。こちらがちょうど一の曲輪となっているみたいです。
『一の曲輪』へと上がる前に、遊歩道を東側へと進みました。

すると、遊歩道沿いにある石垣の間から、小さな階段が伸びており、そこには拝所がありました。
遊歩道から見た、グスクの拝所がある二の曲輪。
この拝所は、『屋良城之嶽』と呼ばれてるみたいで、『神名 笑司ノ御イベ』と刻まれていました。
屋良城之嶽 神名 笑司ノ御イベ
この『屋良城之嶽』の拝所の斜め前方には、六角形の形をしたカーらしき場所があり、そこにも香炉が一基置かれており、こちらも拝所となっているようでした。
『屋良城之嶽』の斜め前方にあった六角形の形をした拝所。香炉が一基置かれてました。
拝所から、再び遊歩道へと戻り、今度は『一の曲輪』へと向かいました。
拝所がある『二の曲輪』側から『一の曲輪』方面を見たところ。
先程もお話したように、『一の曲輪』には、公園のモニュメントがあり、その奥にはさらに高くなった場所があって東屋が建てられています。
公園のモニュメントがある一の曲輪。
一の曲輪のさらに高くなった場所。休憩所の東屋があります。
この東屋がある場所が、公園の最高所となっており、標高38mとなっているそうです。
最高所にある東屋。
東屋の横から、下の遊歩道へつながる階段があったので、そちらの方へ行ってみると、『三の曲輪』の休憩所兼広場へつながってました。

また、階段を下りて、すぐ右側(東屋がある場所のすぐ横側)に、開けた場所があったんですよ。

んで、その先にも何かあるのかもと思い、そちらにも行ってみたんですが、その先は草木が生い茂ってて、進むことができなかったので、今回は断念しました。

この最高所まで見学した後、次は公園東側の按司墓やカーなどがある場所へと向かいました。

・・・と、今回は、ここまでにしましょうね( ̄▽ ̄)ノ

この『屋良グスク』は、三山時代は中山王領となっており、北山王国からの侵攻を防衛するための拠点とされていたんだそうです。

また、いくつかの言い伝えが残されているみたいなんですが、次回、按司墓やカーをご紹介する際にお話しましょうね。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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『屋良グスク(屋良城跡公園)』☆

☆場所:〒904-0202
      沖縄県中頭郡嘉手納町屋良656番地 (※屋良城跡公園)

☆お問合せ:098-956-1111(内線333)

☆管理:嘉手納町役場 都市建設課

☆見 学:無料

☆トイレ:公園内に数か所あり。

☆公園内遊具あり。

☆駐車場有り(※利用時間有)