ハイサ~イ☆
昨日(27日)から今日(28日)の朝方まで雨が降り続いてた沖縄本島だったんですが、次第に雨が上がり、お昼くらいから、超ぉ~快晴となりました♪(≧▽≦)ノ☆
また、明日の週明け月曜日(29日)も、降水確率が10%となっており、一日中晴れる見込みとのこと(^^♪
気温も、20℃近くまで上がって少し暖かくなりそうなので、明日も時間作って、ちょこっとどこかへ行ってみましょ~かね( ̄▽ ̄)b
さてさて☆
前々回、八重瀬公園内にある『白梅学徒看護隊之壕』をご紹介しましたが、今回は、同公園内にある『グスク跡』をご紹介したいと思います☆
沖縄県八重瀬町富盛の『八重瀬公園』内にある
こちらへのアクセス方法は、『白梅学徒看護隊之壕』をご紹介した前々回の記事を参照していただければと思いますo(^-^)o
八重瀬公園入口の階段を左側に上ると『白梅学徒看護隊之壕』ですが、そのまま右側の階段を上がっていき、遊具などがある場所手前の左側にグスク跡とその説明板があります☆
『白梅学徒看護隊之壕』入口から、さらに階段を上がっていくと、遊具などが設置されてる場所の手前左側に『八重瀬グスク跡』があります☆
『本殿跡』の手前側には『八重瀬グスク』の説明板が設置されています。
その説明板によると・・・
≪八重瀬グスクは一名富盛城とも呼ばれ島尻の世の主、八重瀬の按司の居城であったと伝えられ、今から約六〇〇年前に築かれたのではないかといわれている。
このグスクは標高一〇五メートルから一二五メートルの間にあり、八重瀬岳とは地形的に上・下の位置関係にある。
グスクの面積は四,二三一平方メートルで内部には石で囲まれた郭があり、本殿跡・蔵当(クラントウ)・物見台といい伝えられたところがある。
現在でもグスク内には「城火の神」「ナカジク火の神」「グスク井泉」と呼ばれる三ヵ所の拝所・井泉があり、又「カニカマルー」の伝説や民話などが残されており村人たちの深い信仰の場となっている。
説明板がある場所から本殿跡を左前方に進んだ所に、一段高くなった蔵当(クラントウ)へ上がれる階段があります。
この階段の横の繁みには、香炉が一基置かれており、拝所となっているようです。
また、物見台へと続く道側の窪地の前にも香炉が置かれていて、蔵当(クラントウ)には、合計2ヵ所の拝所があるみたいですね。
この蔵当(クラントウ)横にある石垣みたいな階段を上がっていくと、現在では展望台となっている『物見台』に辿り着きます。
この物見台からは、八重瀬町富盛の田園風景が一望でき、『八重瀬公園』に隣接する『八重瀬嶽』を望むことができます。
『八重瀬嶽』の上部は、現在『陸上自衛隊 八重瀬分屯地』や『那覇ゴルフ倶楽部』となっています。
『物見台』まで上がった後、一旦本殿跡まで戻り、今度は本殿跡後方辺りを散策しに向かいました。
本殿跡後方に行くと、井泉のような、或いはガマ跡のような場所があり、その手前には石積みが2カ所あったので、こちらも拝所になってるみたいでしたね。
ここからさらに窪地へと下っていくと、井泉に向かう遊歩道があります。
この遊歩道を下っていくと、拝所と井泉があります。
南部水道企業団の八重瀬町・南風原町コミュニケーションペーパー『清ら水だより』によると、この拝所と井泉上部の岩には、『八重瀬グスク』に伝わるお話しに登場する『カニカマルー』がつけた拳や足の跡が残っていると伝えられているんだそうですよ。
この井泉で『八重瀬グスク』内の見学は終了なので、最後にちょこっと『カニカマルー』のお話しをご紹介しましょうね。
≪昔、八重瀬町富盛にいた大変美しい娘と位の高い男が恋に落ちました。
しかし、二人は身分が違いすぎるため、結婚することはできませんでしたが、人目を避けながら逢瀬を繰り返していく内に、娘はいつの間にか身ごもってしまいます。
「妊娠したことが周りの人達に知られるとマズいことになる・・・」
娘は、お腹の中の赤ちゃんを流産させようと、薬草や鉄を混ぜたものを飲んで試みますが、赤ちゃんは全然へこたれません。
そうこうしているうちに娘は、自分がどれだけ悪いことをしているのかに気づき、思い直して、隠れて産むことを決心します。
すると、お腹の中の赤ちゃんが語りかけてきます。
「もし私を産むのであれば、お母さんは死んでしまうかもしれないのですが、それでも私を産みますか?」と・・・
娘は、「自分の命を落としてしまっても、あなたの命が大切です」と言って、決死の覚悟で産みました。
無事に生まれた赤ちゃんは、お母さんが流産させようとして飲んだ薬草や鉄などのせいか、体は鉄のように硬い男の子でした。
この男の子は『カニカマルー』と名付けられました。
すくすくと育っていった『カニカマルー』は、体が鉄のように硬いだけでなく、怪力の持ち主でもあり、とある戦の際に、その力が発揮されました。
見事に敵を蹴散らし、その名は琉球中に広まり、英雄となったのです。
しかし、英雄となった『カニカマルー』を快く思わない者が現れます。
その内の一人が、『カニカマルー』の使用人を仲間に引き込み、暗殺計画を企みます。
怪力で、全身鋼のような体を持つ『カニカマルー』ですが、首だけは普通の人間と同じ硬さだったのです。
使用人は『カニカマルー』の髭を剃るふりをして近づき、喉に斬りかかりました。
不意をつかれた『カニカマルー』は、防ぐことができずに喉を斬られてしまいました。
『カニカマルー』は、最後の力をふりしぼって使用人をつかまえ、両足を引きちぎって、天高く投げ上げた後、力尽きて死んでしまいました。
『カニカマルー』が左手で投げた足は7日後に、右手で投げた足は49日後に落ちてきたと言われ、このことが初七日、四十九日の始まりだと言われているんだそうです。
『カニカマルー』が死んだことを聞いた敵の按司は、大喜びします。
「ついにあのカニカマルーが死んだ!すぐにアイツらの城を攻撃しよう!」
敵の按司が攻めてくることを知った八重瀬グスクの按司は、このままではマズいと奇策を思いついて、部下にその準備をさせました。
急いで、死んだ『カニカマルー』を木に縛りつけ、弓を構えてる格好にして、遠方から見ると、あたかも生きてるかのように見せかけました。
そのことを知らずに攻めてきた敵は、その罠にはまり「あれ!?カニカマルーは生きてるじゃないか‼」と慌てて逃げ去っていったのです。
このことから『カニカマルー』は、《生きて千人、死んでも千人負かした男》と言われるようになったんだそうです。≫
『八重瀬グスク』には、『カニカマルー』が付けたと伝えられる拳や足跡が、今でも岩肌に残っていると言われ、また、戦の際にグスクが危うくなったので、大きな岩を引き裂いて井戸を隠し、敵に使用されないようにしたという岩が、今でも井戸の横にあるとも言われているんだそうですよ。
『八重瀬公園』の『八重瀬グスク』跡を訪れた際には、『カニカマルー伝説』に思いを馳せながら見学してみてはいかがでしょうか?
今回は、少し長くなってしまいましたが、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『八重瀬グスク(富盛城)』(八重瀬公園内)☆
☆場所:〒901-0402
沖縄県島尻郡八重瀬町富盛1637(八重瀬公園)
☆入場料:無料
☆駐車場:あり
☆トイレ:あり
昨日(27日)から今日(28日)の朝方まで雨が降り続いてた沖縄本島だったんですが、次第に雨が上がり、お昼くらいから、超ぉ~快晴となりました♪(≧▽≦)ノ☆
また、明日の週明け月曜日(29日)も、降水確率が10%となっており、一日中晴れる見込みとのこと(^^♪
気温も、20℃近くまで上がって少し暖かくなりそうなので、明日も時間作って、ちょこっとどこかへ行ってみましょ~かね( ̄▽ ̄)b
さてさて☆
前々回、八重瀬公園内にある『白梅学徒看護隊之壕』をご紹介しましたが、今回は、同公園内にある『グスク跡』をご紹介したいと思います☆
沖縄県八重瀬町富盛の『八重瀬公園』内にある
『八重瀬グスク』☆
『八重瀬公園』の入口☆ |
八重瀬公園入口の階段を左側に上ると『白梅学徒看護隊之壕』ですが、そのまま右側の階段を上がっていき、遊具などがある場所手前の左側にグスク跡とその説明板があります☆
多目的広場まで続く遊歩道の両側には寒緋桜が植えられています♪ |
『本殿跡』の手前側には『八重瀬グスク』の説明板が設置されています。
説明板が設置されてる場所から見た『本殿跡』 |
遊具場側から見た『本殿跡』 |
≪八重瀬グスクは一名富盛城とも呼ばれ島尻の世の主、八重瀬の按司の居城であったと伝えられ、今から約六〇〇年前に築かれたのではないかといわれている。
このグスクは標高一〇五メートルから一二五メートルの間にあり、八重瀬岳とは地形的に上・下の位置関係にある。
グスクの面積は四,二三一平方メートルで内部には石で囲まれた郭があり、本殿跡・蔵当(クラントウ)・物見台といい伝えられたところがある。
現在でもグスク内には「城火の神」「ナカジク火の神」「グスク井泉」と呼ばれる三ヵ所の拝所・井泉があり、又「カニカマルー」の伝説や民話などが残されており村人たちの深い信仰の場となっている。
平成十八年二月一日 八重瀬町教育委員会≫
・・・と、書かれてました。城火之神 |
本殿跡にある石垣 |
この階段の横の繁みには、香炉が一基置かれており、拝所となっているようです。
また、物見台へと続く道側の窪地の前にも香炉が置かれていて、蔵当(クラントウ)には、合計2ヵ所の拝所があるみたいですね。
蔵当(クラントウ)に上る階段 |
本殿跡より一段高くなっている蔵当(クラントウ) |
蔵当(クラントウ)内の物見台に続く道横にある拝所 |
蔵当(クラントウ)と本殿跡を繋ぐ階段横にある拝所 |
現在では展望台として利用されている『物見台』 |
物見台 |
『八重瀬嶽』の上部は、現在『陸上自衛隊 八重瀬分屯地』や『那覇ゴルフ倶楽部』となっています。
物見台から『八重瀬岳』を望む |
物見台から北東側。正面に見える小高い丘が『勢理グスク』 |
田園風景が広がる北北西側。 |
本殿跡後方にあった石積み |
石積みは2カ所あり、こちらも拝所みたいでしたね。 |
ここからさらに窪地へと下っていくと、井泉に向かう遊歩道があります。
本殿跡後方にある遊歩道 |
南部水道企業団の八重瀬町・南風原町コミュニケーションペーパー『清ら水だより』によると、この拝所と井泉上部の岩には、『八重瀬グスク』に伝わるお話しに登場する『カニカマルー』がつけた拳や足の跡が残っていると伝えられているんだそうですよ。
この井泉で『八重瀬グスク』内の見学は終了なので、最後にちょこっと『カニカマルー』のお話しをご紹介しましょうね。
拝所(左)と井泉(右) |
しかし、二人は身分が違いすぎるため、結婚することはできませんでしたが、人目を避けながら逢瀬を繰り返していく内に、娘はいつの間にか身ごもってしまいます。
「妊娠したことが周りの人達に知られるとマズいことになる・・・」
娘は、お腹の中の赤ちゃんを流産させようと、薬草や鉄を混ぜたものを飲んで試みますが、赤ちゃんは全然へこたれません。
そうこうしているうちに娘は、自分がどれだけ悪いことをしているのかに気づき、思い直して、隠れて産むことを決心します。
すると、お腹の中の赤ちゃんが語りかけてきます。
「もし私を産むのであれば、お母さんは死んでしまうかもしれないのですが、それでも私を産みますか?」と・・・
娘は、「自分の命を落としてしまっても、あなたの命が大切です」と言って、決死の覚悟で産みました。
拝所 |
この男の子は『カニカマルー』と名付けられました。
すくすくと育っていった『カニカマルー』は、体が鉄のように硬いだけでなく、怪力の持ち主でもあり、とある戦の際に、その力が発揮されました。
見事に敵を蹴散らし、その名は琉球中に広まり、英雄となったのです。
しかし、英雄となった『カニカマルー』を快く思わない者が現れます。
その内の一人が、『カニカマルー』の使用人を仲間に引き込み、暗殺計画を企みます。
怪力で、全身鋼のような体を持つ『カニカマルー』ですが、首だけは普通の人間と同じ硬さだったのです。
使用人は『カニカマルー』の髭を剃るふりをして近づき、喉に斬りかかりました。
不意をつかれた『カニカマルー』は、防ぐことができずに喉を斬られてしまいました。
『カニカマルー』は、最後の力をふりしぼって使用人をつかまえ、両足を引きちぎって、天高く投げ上げた後、力尽きて死んでしまいました。
井泉 |
『カニカマルー』が死んだことを聞いた敵の按司は、大喜びします。
「ついにあのカニカマルーが死んだ!すぐにアイツらの城を攻撃しよう!」
敵の按司が攻めてくることを知った八重瀬グスクの按司は、このままではマズいと奇策を思いついて、部下にその準備をさせました。
急いで、死んだ『カニカマルー』を木に縛りつけ、弓を構えてる格好にして、遠方から見ると、あたかも生きてるかのように見せかけました。
そのことを知らずに攻めてきた敵は、その罠にはまり「あれ!?カニカマルーは生きてるじゃないか‼」と慌てて逃げ去っていったのです。
このことから『カニカマルー』は、《生きて千人、死んでも千人負かした男》と言われるようになったんだそうです。≫
『八重瀬グスク』には、『カニカマルー』が付けたと伝えられる拳や足跡が、今でも岩肌に残っていると言われ、また、戦の際にグスクが危うくなったので、大きな岩を引き裂いて井戸を隠し、敵に使用されないようにしたという岩が、今でも井戸の横にあるとも言われているんだそうですよ。
『八重瀬公園』の『八重瀬グスク』跡を訪れた際には、『カニカマルー伝説』に思いを馳せながら見学してみてはいかがでしょうか?
今回は、少し長くなってしまいましたが、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『八重瀬グスク(富盛城)』(八重瀬公園内)☆
☆場所:〒901-0402
沖縄県島尻郡八重瀬町富盛1637(八重瀬公園)
☆入場料:無料
☆駐車場:あり
☆トイレ:あり