◎勝連平敷屋地域の11組の旧サーターヤー組が合併して新設された共同製糖工場跡☆|沖縄放浪日記

2016年1月28日木曜日

◎勝連平敷屋地域の11組の旧サーターヤー組が合併して新設された共同製糖工場跡☆

ハイサぁ~イ☆

先週末から、沖縄本島北部にある今帰仁村の世界遺産『今帰仁城跡』では《第9回 今帰仁グスク桜まつり》が、そして、本部町の『八重岳』では《第38回 本部八重岳桜まつり》が開催され、本島南部にある八重瀬町の『八重瀬公園』では《第10回 やえせ桜まつり》が開催されてますね☆

そして、今週末の土曜、日曜の両日は、名護市の『名護城跡』一帯で《第54回 名護さくら祭り》が2日間の日程で行われる予定です(^^♪

つい先日、ローカルニュースで八重岳の桜の様子を流してましたが、とてもいい感じに開花してるとのことだったので、天気が崩れない内に見に行こうと思います( ̄▽ ̄)ノ

いい写真が撮れるといいなぁ・・・(^艸^)♬♫♬♫♬

さてさて☆

前々回にご紹介した『浜川ガー』を見学した後、その日の目的地である文化財に向かいました☆

その文化財とは、沖縄本島中部の勝連半島先端南側の丘陵地にあって、1940(昭和15)年に、勝連平敷屋地域にあった11組の旧サーターヤー組が合併して新設された共同の製糖工場です。

沖縄県うるま市勝連平敷屋にある
『平敷屋製糖工場跡』
平敷屋製糖工場跡
こちらはまず、うるま市勝連の県道16号線10号線がぶつかる『与勝』の交差点から、同市勝連平敷屋向けに進みます。

途中、左折すると県道10号線、直進すると県道8号線になる『与那城』の交差点に差し掛かりますが、そのまま県道8号線を直進します。

県道8号線を道なりに進んでいくと、今度は県道37号線とぶつかる『平敷屋』の交差点に差し掛かりますが、そこもそのまま通過して、そこから約370mくらい進んだトコ右側に『平敷屋タキノー』と書かれた小さな案内板がありますので、そこを右折します。

右折して、途中に『平敷屋タキノー』の案内板が右手側にありますが、そこも通過していくと左側にレンガ造りの煙突がありますので、そこが『平敷屋製糖工場跡』になります☆
『平敷屋タキノー』は、また後日ご紹介しますねo(^-^)o
『平敷屋製糖工場跡』の入口
この製糖工場跡の前の道と煙突の間には、畑があるので、道沿いに設置された案内板の方から入ります。

その案内板には、《製糖工場跡・ノロガー(ヌールガー)》と書かれており、同じ敷地内にあるとのことでした。

案内板に書かれていた説明板によると・・・
≪この製糖工場は、1940(昭和15)年十一組の旧サーターヤー組が合併して新設されたものです。

ところが、わずか4ヶ年操業しただけで、さる大戦により破壊されました。現在は、レンガ造りの煙突だけが残っており、当時を物語る弾痕も残っています。

この製糖工場跡の東側にノロガーがあります。

このカーは、粘土質の崖の中腹大きな赤木の根元にある小さな湧水です。村の発展を祈願する拝所です。
うるま市教育委員会≫
・・・と書かれていました。

なので、まずは製糖工場跡の東側の方から見学してみることに。。。
ヒラカー
ヒラカー
案内板から遊歩道を奥に進んでいくと、まず目に入ってきたのが、コンクリート製の貯水槽。。。

この貯水槽も、製糖工場があった当時に使用されていたみたいで、すぐ近くの木に取り付けられていた案内板(?)には、「爆破で破壊した貯水槽(水タンク)」と書かれていました。

この貯水槽横からさらに東側に足を進めると、左側の窪地には小川が流れており、近くの木には『ヒラカー』と書かれ、「飲料水にはできず、主に洗い物に使用した」との説明も記されていました。

このヒラカーを横目に、さらに林の方へと進むと、また遊歩道があり、小川には丸太で作られた橋が架けられてました。
ノロガーへとつづく遊歩道。小川には丸太で造られた橋が架けられてました。
橋を渡ってさらに奥に進みます。
『ノロガー(ヌールガー)』手前の遊歩道は、仮設になってました。
橋を渡って、遊歩道を奥へと進んでいくと、突き当りに『ノロガー(ヌールガー)』と呼ばれる拝所がありました。

以前は、拝所の奥の方から水が湧き、遊歩道側まで流れていたみたいですが、ワタクシが訪れた際には水の流れは確認できなかったので、現在は枯れてしまっているのでしょうか。。。
ノロガー(ヌールガー)
正面から見た『ノロガー』
近づいてみると、拝所の周囲が、少し湿った感じになってはいましたが、水が流れているような様子はありませんでしたね。

この『ノロガー』まで、見学した後、遊歩道を戻り、今度は『製糖工場跡』の煙突を見学しに向かいました。
丸太の橋の上から撮影した『ヒラカー』から流れる小川
『ノロガー』に向かう遊歩道側から撮影した貯水槽と煙突
うるま市の公式HPによると、≪昭和戦前期の沖縄では、甘蔗(サトウキビ)圧搾に畜力を用いる伝統的な在来製糖場と、機械を用いる改良製糖場が共存していた≫とのことです。

そして、1928(昭和3)年以降は、共同製糖場を新設すると、その組合に対して補助金が交付されるようになり、共同製糖場がどんどん設立されていったんだとか。。。

その時代背景に伴い、蒸気を原動力とした共同製糖場の経営方式を採用した『平敷屋製糖工場』が設立されたんだそうです。
爆破で破壊された貯水槽
上から見た貯水槽。水が溜まって藻が水面を覆っていました。
平敷屋区自治会が出版した『平敷屋字誌』などによると、当時の製糖工場の建物は南向きで、その前面側に煙突が3基立てられていたそうで、その内の1基には蒸気機関ボイラーがつながっており、燃料に石炭を使用していたと記されているみたいです。

しかし、1944(昭和19)年10月の那覇十・十空襲以降は、工場を操業することができず、後に米軍の攻撃によって破壊されてしまったんだそうです。。。
煙突近くから見上げた所
煙突は煉瓦造で、高さが約16.3mとなっており、外部表面には攻撃を受けた際の弾痕が残っているんですが、保存状態は比較的良好とのこと。。。

この弾痕が、煙突の四面至る所にあるので、とても生々しかったですね。。。
煙突の真ん中当たり。。。弾痕がはっきりと見えます。。。
煙突下の部分にあった弾痕のアップ。。。戦闘の激しさが伝わります。。。
戦前から、ほぼ原型のまま残っているのは、県内では大変珍しいらしく、沖縄の製糖業の技術と歴史を知る上でも、とても貴重な遺跡とのことなので、今後もしっかり大切に保存して後世に残していってほしいですねo(^-^)o

この『平敷屋製糖工場跡』は、平成27年1月26日に国の《登録記念物(遺跡関係)》に登録されたんだそうですよ。

勝連半島方面を訪れる際には、ぜひこちらにも足を運んでみてはいかがでしょうか?

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『平敷屋製糖工場跡』・『ノロガー(ヌールガー)』☆


☆場所:〒904-2314
      沖縄県うるま市勝連平敷屋

☆時間:自由見学

☆トイレ:無し

☆駐車場:無し