◎若南川により分断されてしまった地域の不便さを解消するために架けられた石橋☆|沖縄放浪日記

2015年11月12日木曜日

◎若南川により分断されてしまった地域の不便さを解消するために架けられた石橋☆

ハイサ~イ☆

今日も、沖縄本島は一日中雲が広がり、地域によっては小雨が降ったりして、あまりスッキリしない天気でしたね。。。

明日も、今日と似たような天気になるみたいで、来週末までは少し天気が崩れるみたいですヽ(^。^;

できれば土日だけでも、天気が回復してほしいものですね・・・( ̄▽ ̄;夜釣り行きたいなぁ。。。

さてさて☆

ここ最近、中城村の歴史の道『ハンタ道』周辺にある史跡に少しハマっておりまして(笑)、昨日もその中の4ヵ所の史跡を見学しに行ってきました♪( ̄▽ ̄)ノ

んで、今回はその中の二つをご紹介させて頂きます(´▽`)ノ

沖縄県中頭郡中城村新垣にある
『若南原の石橋』『新垣の石橋』
左奥に見える石橋が『若南原の石橋』☆
まずは『若南原の石橋』から☆

こちらはまず、中城村の国道329号線と県道35号線がぶつかる『奥間』の交差点から、県道35号線を中城村新垣向けに入り、しばらく進むと『沖縄県消防学校』の標識があり、そこを左折して最初の角を右に曲がります。

右折して、またしばらく進んでいくと、前方にガードレールが見えてくるので、そこを右に曲がると、真正面にあります☆
若南原の石橋
先程の歴史の道『ハンタ道』について、少しお話させていただきますねo(^-^)o

『ハンタ道』とは、那覇市首里にある『首里城』から始まり、西原町『幸地グスク』、中城村『中城グスク』を経て、うるま市の『勝連グスク』に至る『中頭方東海道』の中城村内の道のことです。

この道は、12世紀~14世紀ごろに尚巴志によって整備されたと云われているそうです。

当時は、グスクとグスク、各間切り間を結ぶ道として使用されたり、戦の際の道としても使用されていたとのことです。
上流側から見た『若南原の石橋』☆
中城村内を通っている『中頭方東海道』は、丘陵上の崖沿いを通っていることから、地元では通称『ハンタ(端っこ・崖っぷち)道』と呼んでいるんだそうです☆

この中城村内の『中城ハンタ道』は、2015年3月10日付で、正式に『国指定文化財』に指定されたとのことΣ( ̄▽ ̄;オオぉ~♪

同村内では、『中城城跡』に次いで2件目の指定ですね♪

この『中城ハンタ道』の周辺には、たくさんの史跡が点在してるので、一気に見て回るとなると、かなり時間を要するので、少しずつ見学しようかと思っております☆
いずれ時間を作って、ゆっくり歩いて、一気にぜーんぶ見てみよぉと企んでおります( ̄▽ ̄)b

・・・と、話を戻しまして☆
新垣集落方面へとつづく『ハンタ道』☆
この『若南原の石橋』は、ちょうど『ハンタ道』上にあるので、簡単に見つけることができましたね。

石橋横に設置されてた説明板によると・・・
≪若南原一帯は、かつて若南川により新垣集落と耕作地帯が分断されており生活を営むうえで大変不便でした。その不便さを解消する為に新垣地域の人たちは若南川に橋を造りました。

この地点より上流の方には川に大きな平たい石を両岸にかけた簡易な橋が造られていましたが、川幅が広がり端は川の中に落ちていたため、歴史の道の整備工事の際、新しく橋が造られました。また、下流の方には2基のアーチ形の石橋がありましたが、1基は車道整備工事のため平10年に取り壊されてしまいました。

現在、下流に1基だけ残されている石橋は、中城村内で唯一残っているアーチ形の石橋で、歴史的見地からも貴重な石橋であることから、中城村の文化財(有形文化財)に指定されています。

現在、ここに架けられているアーチ式の石橋は歴史の道の整備に伴い新しく造った橋で、下流の石橋を参考に造られたものです。以前は、この地点には、橋はなく、川の中に大きな石を置き、川を渡っていたようです。≫
とありました。

要するに、この『若南原の石橋』は、『ハンタ道』を整備する際に『新垣の石橋』を参考に造られたレプリカだったんですねぇo(^-^)o
新垣の石橋と説明板☆
そして、次に向かったのは、下流の方にある『新垣の石橋』

この石橋は、『若南原の石橋』から下流向けに約300mくらい進んだ所にあります。

石橋近くに設置されている説明板によると・・・
≪新垣集落は昔から石工が多く、石造技術の高い地域と伝えられています。

新垣の石橋は、若南川により分断された地域の不便さを、橋を架けることで解消しようと、1942(昭和17)年頃、当時石工の棟梁だった伊佐山戸さんが、徴兵で残った老人婦人と共に造ったと伝えられています。
下流側からみた『新垣の石橋』
石橋の大きさは橋脚高約2.1m(7尺)、橋幅約2.8m(約9尺半)で、上部構造は亀甲墓のアーチ式の技法を駆使し、橋脚は布積みで石を積み上げて造られています。

戦後、間もない頃の中城村の河川には、多くの石橋がみられたましたが、そのほとんどが破壊され現在ではこの新垣の石橋が戦前から現存する村内唯一のアーチ形の石橋で、歴史的見地からも当時の石造技術を知るうえでも貴重な石橋であることから2006(H18)年3月27日 村文化財に指定しました。≫
とありました。

中城村公式HPによると、戦後までは同じような石橋が5~6基ほど残っていたそうですよ。。。
上流側☆草木が生い茂ってて、うまく撮影できませんでした。。。
もの凄く小さな橋だったんですけど、戦前から現在に至るまでずーっと残ってると思うと、なんだか不思議な感じがしますねヽ(^。^;

この『新垣の石橋』は、整備された『ハンタ道』からちょっと離れた場所にあり、橋の上流側は草木が生い茂ってて少し見つけにくいんですけど、説明板を目印に探すと見つけやすかったですよ♪

この二つの石橋を見学した後、まだ少し時間があったので、他の史跡を見に行きました(⌒▽⌒)b

その話は、また次の機会に・・・

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『若南原の石橋』・『新垣の石橋』☆

☆場所:〒901-2422
      沖縄県中頭郡中城村新垣

☆時間:自由見学

☆駐車場無し

☆トイレ無し