ハイサぁ~イ☆
昨日(10月17日)は、『沖縄そばの日』でしたね☆
皆様は、『沖縄そば』食べましたでしょうか?
ワタクシは、夕食に『沖縄そば』を食べましたよ♪o(^-^)o
夕食前に、自宅近くのスーパーへ材料を買いに行って来たんですが、『沖縄そば』の麺や具材がたくさん並べられていて、購入していくお客さんもたくさんいらっしゃいました♪
おそらく、『沖縄そば』を扱ってる県内の食堂は、大賑わいだったんでしょうね(笑)
さてさて☆
この前、『台グスク』を見学した後、まだ時間があったので、その近くに中城グスクの按司の御墓があるとのことでしたので、そちらを見学しに行ってきました☆
沖縄県中頭郡中城村久場にある
こちらは、中城村の国道329号線と県道146号線がぶつかる『中城公園入口』の三叉路から、県道146号線に入り、『中城城跡』向けに直進していくと、中城村と北中城村の境界を示す標識があり、その少し手前にある側道に入ります。
側道に入り、約100mくらい進んだところ左手に、『護佐丸公之御墓』と刻まれた石碑が建てられてますので、そこが御墓への入口です。
細長い小道をずーっとずーっと登っていくと、15世紀・琉球王国時代に活躍した武将『護佐丸』が眠るとされる立派な御墓が現れます☆
いろいろ諸説あるみたいですが、『護佐丸』はもともと恩納村山田にある『山田グスク』の按司でしたが、琉球王国・第一尚氏王統、第二代目の国王『尚巴志王(しょうはし)』の北山攻略の際に活躍し、その功績が認められ、後に国王の命により、『座喜味グスク』を築城し、その城主となります。
『座喜味グスク』には約18年ほど居城していたみたいですが、その間、戦をすることが一切なかったんだそうですが、中国や東南アジアなどとの海外交易を盛んに行い、第一尚氏王統時代の経済の安定に貢献していたとのことです。
『護佐丸』が、『座喜味グスク』に居城していた頃、『勝連グスク』を根拠地とする茂知附按司が勢力を拡大してきたので、尚巴志王は、中城の地領を『護佐丸』に与えて、『中城グスク』の築城をめいじたんだそうです。
茂知附按司に仕えていた『阿麻和利』が、悪政を働く茂知附按司を滅ぼし、『勝連グスク』の按司となります。
ちょうどその頃、今度は王位継承権をめぐる内乱が起き、尚布里が失脚し、尚泰久が第6代国王になります。
『護佐丸』は、『阿麻和利』に対抗するため、自軍を増強していると、このことを『阿麻和利』が「護佐丸が謀反を企んでいる」と、王府に讒言します。
これを聞いた『尚泰久王』は、『阿麻和利』を総大将に任命し、護佐丸討伐を命じます。
『阿麻和利』に『中城グスク』を包囲された『護佐丸』は、グスクを取り囲む軍は『王府軍』と聞くと、一切反撃せずに、妻子とともに自害してしまったんだそうです。。。
宿敵『護佐丸』を倒した『阿麻和利』は、後に首里を攻撃しますが、妻であった百度踏揚(ももとふみあがり)が、ひそかに王府に『阿麻和利』の変を伝えていたので、『阿麻和利』も王府軍によって滅ぼされてしまったんだそうです。。。
ちょっと簡単になってしまいましたが、これが『護佐丸・阿麻和利の乱』の大方の御話です。
中城村の公式HPによると、この『護佐丸公之御墓』は、現存する亀甲墓としては県内で最も古い時代のお墓だそうで、文化的にもかなり価値の高いお墓とのことです。
もし、『中城城跡』や『台グスク』を訪れる機会がございましたら、この『護佐丸公之御墓』も一緒に見学されてみてはいかがでしょうか。。。?
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『護佐丸公之御墓』☆
☆場所:〒901-2401
沖縄県中頭郡中城村久場
☆時間:自由見学
☆入場料:無料
☆駐車場:無し
昨日(10月17日)は、『沖縄そばの日』でしたね☆
皆様は、『沖縄そば』食べましたでしょうか?
ワタクシは、夕食に『沖縄そば』を食べましたよ♪o(^-^)o
夕食前に、自宅近くのスーパーへ材料を買いに行って来たんですが、『沖縄そば』の麺や具材がたくさん並べられていて、購入していくお客さんもたくさんいらっしゃいました♪
おそらく、『沖縄そば』を扱ってる県内の食堂は、大賑わいだったんでしょうね(笑)
さてさて☆
この前、『台グスク』を見学した後、まだ時間があったので、その近くに中城グスクの按司の御墓があるとのことでしたので、そちらを見学しに行ってきました☆
沖縄県中頭郡中城村久場にある
『護佐丸公之御墓』
『護佐丸公之御墓』入り口☆ |
側道に入り、約100mくらい進んだところ左手に、『護佐丸公之御墓』と刻まれた石碑が建てられてますので、そこが御墓への入口です。
御墓まで続く小道☆ |
小道の途中から少し勾配がキツい階段が現れます。 |
護佐丸公之御墓☆ |
『座喜味グスク』には約18年ほど居城していたみたいですが、その間、戦をすることが一切なかったんだそうですが、中国や東南アジアなどとの海外交易を盛んに行い、第一尚氏王統時代の経済の安定に貢献していたとのことです。
御墓のすぐ傍に建てられていた『護佐丸之墓』の石碑 |
茂知附按司に仕えていた『阿麻和利』が、悪政を働く茂知附按司を滅ぼし、『勝連グスク』の按司となります。
ちょうどその頃、今度は王位継承権をめぐる内乱が起き、尚布里が失脚し、尚泰久が第6代国王になります。
『護佐丸』は、『阿麻和利』に対抗するため、自軍を増強していると、このことを『阿麻和利』が「護佐丸が謀反を企んでいる」と、王府に讒言します。
これを聞いた『尚泰久王』は、『阿麻和利』を総大将に任命し、護佐丸討伐を命じます。
『阿麻和利』に『中城グスク』を包囲された『護佐丸』は、グスクを取り囲む軍は『王府軍』と聞くと、一切反撃せずに、妻子とともに自害してしまったんだそうです。。。
『護佐丸公之御墓』から少し下りたところから見た景色☆ |
ちょっと簡単になってしまいましたが、これが『護佐丸・阿麻和利の乱』の大方の御話です。
中城村の公式HPによると、この『護佐丸公之御墓』は、現存する亀甲墓としては県内で最も古い時代のお墓だそうで、文化的にもかなり価値の高いお墓とのことです。
もし、『中城城跡』や『台グスク』を訪れる機会がございましたら、この『護佐丸公之御墓』も一緒に見学されてみてはいかがでしょうか。。。?
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『護佐丸公之御墓』☆
☆場所:〒901-2401
沖縄県中頭郡中城村久場
☆時間:自由見学
☆入場料:無料
☆駐車場:無し
☆トイレ:無し