どぉ~もぉ~☆彡
最近、沖縄本島は、連日、風が強いですねぇ。。。
台風が近づいてるとゆーわけでもないのに、どぉしてこんなに風が強いのでしょーか。。。?
この強風が落ち着くのは、いったいいつ頃になるんでしょうかね。。。( ̄~ ̄;
さてさて☆
先週、浦添市の国道330号線にある『伊祖トンネル』の隣にある『浦添大公園』とゆーところに行って来たんですが、目的はこの『公園』に遊びに行ったわけではありません(笑)
なんでも、この『伊祖トンネル』の上に、伊祖城の城主で《てぃだこ》と呼ばれた英祖王の父・恵祖世主の御墓と約3000年前の貝塚時代前期の遺跡があるとの事。。。
『伊祖トンネル』の上の丘陵地も公園内です☆
なので、この恵祖世主の御墓と貝塚時代の遺跡を見学しに行ってきたんですよヽ(^。^)ノ
沖縄県浦添市伊祖にある
こちらは、『浦添大公園』内にあるんですけど、この公園、メチャクチャ広いんですヨ(笑)
初めて『浦添大公園』を訪れる方は、県道153号線から入れる展望台の駐車場を利用された方が、一番分かりやすいのではないでしょうか。。。
展望台には2013年1月にオープンした初代沖縄そば王に輝いた『いしぐふー 浦添大公園店』もありますよ♪
んで、展望台の駐車場から遊具がある『あそび広場』の方へ降りて行き、途中からトンネルの上に延びる遊歩道を歩いて行くと、左手に『浦添貝塚』の石碑と説明板、『伊祖の高御墓』の説明板が見えてきます☆
まずは、『浦添貝塚』から。。。
この『浦添貝塚』は、約3000年余前の貝塚時代前期の遺跡で、1969~70年に行われた発掘調査では、その当時の土器や石の斧、石の臼、貝製の腕輪や矢じり、骨で作った道具などが発見されたんだそぉです。
さらに、九州縄文時代後期の市来式土器や爪形の文様を施された奄美系土器もたくさん出土した事により、その当時、沖縄が奄美や九州と交流していたことがわかったとか。
現在は、琉球石灰岩の丘陵地になっていますが、この場所は、もともと浅い岩陰だったようです。
貝塚の上部には半洞穴が点在してるみたいで、当時の人々の住居として使用され、後には崖葬墓(がいそうぼ)として利用されたんだそぉです。
昭和47年2月には、九州との交流を知る上で大変貴重な遺跡であるとして、県指定史跡に指定されています。
お次は、恵祖世主が眠るとされる『伊祖の高御墓』。。。
説明板の隣にある木製の階段を上がっていくと、『伊祖の高御墓』が現れます。
この『伊祖の高御墓』は、《てぃだこ(太陽の子)》と呼ばれた英祖王の父祖・恵祖世主(いじゅゆぬぬし)が納骨されている御墓だと伝えられているそぉです。
また、恵祖世主の他に、二人の按司の遺骨も一緒に納められているんだとか。。。
御墓は、地上から約20mくらいの高所にあることから『高御墓』と呼ばれていて、自然の洞穴を利用し、墓口を相方積みで塞いだ崖葬墓です。
また、墓口が広いことから、歴史的に古い形式に属するものらしく、県内各地域に点在してる『高御墓』の典型的な墓との事です。
御墓内部には、石厨子1基と甕棺2基が安置されているらしいですよ。。。
貝塚時代には、この高御墓は、岩陰住居として利用されていたと考えられているそぉです。
1972年、『伊祖の高御墓』は、県指定有形文化財に指定されています。
高御墓を通過して奥に進むと、いくつかの小さな御墓が点在してました。
昭和47年、『伊祖の高御墓』と『浦添貝塚』は、国道330号線建設工事で、存亡の危機にさらされましたが、県民の保存運動と関係者の努力により保存されることとなりました。
当初、国道330号線と県道153号線を立体交差させる予定だったみたいですが、建設予定地で『浦添貝塚』と『伊祖の高御墓』が発見され、保存されることとなったので、トンネルを建設し、その下を通す案に変更されたそぉです。
このことにより、日本初の“めがねトンネル”『伊祖トンネル』が出来たんだそぉですよ♪
浦添大公園内には、今回ご紹介した『浦添貝塚』・『伊祖の高御墓』の他に、『浦添城跡』・『浦添ようどれ』や『当山の石畳道』などの史跡があります☆
こちらに遊びに来た際には、点在する史跡などを、時代背景に思いを馳せながら、ゆっくりお散歩がてら回ってみるのもおススメですよ~(⌒▽⌒)b
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『伊祖の高御墓』・『浦添貝塚』☆
☆場所:〒901-2132
沖縄県浦添市伊祖5丁目(浦添大公園内)
☆問い合わせ:098-873-0700(浦添大公園管理事務所)
☆時間:自由見学(※駐車場は9:00~21:00)
☆入場料無料
☆駐車場有り(浦添大公園駐車場)
☆トイレ有り(浦添大公園内)
☆公園内販売機有り
最近、沖縄本島は、連日、風が強いですねぇ。。。
台風が近づいてるとゆーわけでもないのに、どぉしてこんなに風が強いのでしょーか。。。?
この強風が落ち着くのは、いったいいつ頃になるんでしょうかね。。。( ̄~ ̄;
さてさて☆
先週、浦添市の国道330号線にある『伊祖トンネル』の隣にある『浦添大公園』とゆーところに行って来たんですが、目的はこの『公園』に遊びに行ったわけではありません(笑)
なんでも、この『伊祖トンネル』の上に、伊祖城の城主で《てぃだこ》と呼ばれた英祖王の父・恵祖世主の御墓と約3000年前の貝塚時代前期の遺跡があるとの事。。。
『伊祖トンネル』の上の丘陵地も公園内です☆
なので、この恵祖世主の御墓と貝塚時代の遺跡を見学しに行ってきたんですよヽ(^。^)ノ
沖縄県浦添市伊祖にある
『伊祖の高御墓(いそのたかうふぁか)と浦添貝塚』
伊祖の高御墓に続く階段と説明板 |
初めて『浦添大公園』を訪れる方は、県道153号線から入れる展望台の駐車場を利用された方が、一番分かりやすいのではないでしょうか。。。
展望台には2013年1月にオープンした初代沖縄そば王に輝いた『いしぐふー 浦添大公園店』もありますよ♪
んで、展望台の駐車場から遊具がある『あそび広場』の方へ降りて行き、途中からトンネルの上に延びる遊歩道を歩いて行くと、左手に『浦添貝塚』の石碑と説明板、『伊祖の高御墓』の説明板が見えてきます☆
浦添大公園展望台と初代そば王に輝いた『いしぐふー 浦添大公園店』♪ |
この『浦添貝塚』は、約3000年余前の貝塚時代前期の遺跡で、1969~70年に行われた発掘調査では、その当時の土器や石の斧、石の臼、貝製の腕輪や矢じり、骨で作った道具などが発見されたんだそぉです。
さらに、九州縄文時代後期の市来式土器や爪形の文様を施された奄美系土器もたくさん出土した事により、その当時、沖縄が奄美や九州と交流していたことがわかったとか。
『浦添貝塚』と説明板 |
貝塚の上部には半洞穴が点在してるみたいで、当時の人々の住居として使用され、後には崖葬墓(がいそうぼ)として利用されたんだそぉです。
昭和47年2月には、九州との交流を知る上で大変貴重な遺跡であるとして、県指定史跡に指定されています。
お次は、恵祖世主が眠るとされる『伊祖の高御墓』。。。
伊祖の高御墓 |
この『伊祖の高御墓』は、《てぃだこ(太陽の子)》と呼ばれた英祖王の父祖・恵祖世主(いじゅゆぬぬし)が納骨されている御墓だと伝えられているそぉです。
また、恵祖世主の他に、二人の按司の遺骨も一緒に納められているんだとか。。。
反対側から見たところ |
また、墓口が広いことから、歴史的に古い形式に属するものらしく、県内各地域に点在してる『高御墓』の典型的な墓との事です。
御墓内部には、石厨子1基と甕棺2基が安置されているらしいですよ。。。
貝塚時代には、この高御墓は、岩陰住居として利用されていたと考えられているそぉです。
1972年、『伊祖の高御墓』は、県指定有形文化財に指定されています。
高御墓を通過して奥に進むと、いくつかの小さな御墓が点在してました。
御墓 |
奥の方にも・・・ |
かなり高い所にも・・・ |
当初、国道330号線と県道153号線を立体交差させる予定だったみたいですが、建設予定地で『浦添貝塚』と『伊祖の高御墓』が発見され、保存されることとなったので、トンネルを建設し、その下を通す案に変更されたそぉです。
このことにより、日本初の“めがねトンネル”『伊祖トンネル』が出来たんだそぉですよ♪
『伊祖の高御墓』の横からみた国道330号線 |
こちらに遊びに来た際には、点在する史跡などを、時代背景に思いを馳せながら、ゆっくりお散歩がてら回ってみるのもおススメですよ~(⌒▽⌒)b
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『伊祖の高御墓』・『浦添貝塚』☆
☆場所:〒901-2132
沖縄県浦添市伊祖5丁目(浦添大公園内)
☆問い合わせ:098-873-0700(浦添大公園管理事務所)
☆時間:自由見学(※駐車場は9:00~21:00)
☆入場料無料
☆駐車場有り(浦添大公園駐車場)
☆トイレ有り(浦添大公園内)
☆公園内販売機有り