ど~も~♪
昨日、6月19日(金曜日)は、旧暦の5月4日になっていて、糸満市や恩納村前兼久など県内各地で、航海の安全や豊漁を祈願する祭事『ハーリー』(地域によっては『ハーレー』とも)が行われたみたいですねぇo(^-^)o♪
また明日も、県内各地で『ハーリー』が行われるみたいですよぉ~♪ヽ(^。^)ノ
さてさて☆
この前、髪が長くなりすぎてしまったので、北谷町砂辺にある行きつけの美容室に行ってきました☆
んで、美容室を出た後、夕方4時くらいだったんですけど、まだ陽も高かったので、読谷村方面へドライブに行っちゃいました♪
目的地は、読谷飛行場跡地にある戦跡☆
なんでも、『飛行機の防空壕』ってのがあるとか。。。
飛行機などの航空機が大好きなので、『飛行機の』ってキーワードに反応しちゃいましたね(笑)
沖縄県中頭郡読谷村座喜味にある
こちらには、まず読谷村にある『読谷村総合福祉センター』を目指してください。
そして、福祉センターの横にある脇道から入り、そのまま直進していき、最初の交差点を右折。そしてすぐに最初の曲がり角があるので、そこを左折して行くと、左手側に『掩体壕』の頂上が見えてきます。
畑のど真ん中にあるので、目印となるようなものはありませんヽ(^。^;
『掩体壕』までの案内板や標識などもありません。。。
話を戻しまして☆
こちらに到着したのは、午後4時半くらい♪
少し離れた場所にクルマを停めて、さっそく見学開始ヽ(^。^)ノ
以前はこの『掩体壕』を含め、3棟あったみたいですが、現在はこの1棟しか残されていません。
この『掩体壕』は、現在、読谷村指定史跡に指定されているんですが、以前は、農具などを入れておく倉庫として使われていたみたいですよ。
『掩体壕』を建設する際、仮枠が無かったので、ドラム缶を積み上げ、そこに土をかぶせて形を整え、そこに紙を敷き、コンクリートを流して造ったんだそぉです。
ちなみに、鉄筋は入っていません。。。なので、コンクリートの劣化が激しく、倒壊の恐れがあったため、内部から鉄骨を組んで補強されています。
もちろん、内部に入ることは出来ません。
『掩体壕』は、太平洋戦争中、旧日本軍によって建設された沖縄北飛行場(読谷山飛行場)に、敵の攻撃から軍用機などを保護する格納庫として建設されました。
しかし、沖縄北飛行場は、米軍上陸の際に接収されてしまい、米軍の本土攻撃基地として使用されてしまいます。
後に、嘉手納町にある『嘉手納基地』の完成に伴い、この沖縄北飛行場は『読谷補助飛行場』として使用されることとなりました。
『掩体壕』のすぐ傍には、『義烈空挺隊玉砕之地碑』が建てられています。
『義烈空挺隊(ぎれつくうていたい)』とは、旧日本軍が読谷飛行場への強行着陸と破壊を目的とする『義号作戦』を行う空挺部隊のことです。
また、この『義烈空挺隊』が行った『義号作戦』は、爆撃機が強行着陸して破壊活動を行い、飛行場が機能停止状態に陥っている隙に、沖縄周辺海域にいる米軍艦艇を攻撃するという作戦でした。。。
『義号作戦』には、12機の重爆撃機が投入され、熊本から沖縄に向けて出撃したものの、4機が故障で九州に引き返し、内5機が米軍に撃墜され、残った3機の内、1機は読谷飛行場へ、2機は嘉手納基地へ向かいました。
戦果は、読谷飛行場に向かった1機が胴体着陸に成功し、破壊活動を行うことに成功したんだそぉです。
(嘉手納基地に向かった2機については不明みたいです)
もちろん、特攻が任務ですから、作戦を遂行した後、全滅しています。。。
この碑が建てられていた場所は、もともとは、読谷村役場の道向かいにある畑の傍らにあったみたいですが、現在の読谷中学校の建設に伴い、平成23年にこの『掩体壕』の横に移設されたんだそぉです。
2006年に全面返還が実現し、読谷飛行場跡周辺は、一気に開発が進み、景観が急速に変わりつつあります。
この『掩体壕』は、この一帯が、かつて沖縄戦で使用された飛行場跡であったことを後世に伝える、貴重な史跡の一つになっていくのでしょうねo(^-^)o
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『掩体壕/義烈空挺隊玉砕之地碑』☆
☆場所:〒904-0301
沖縄県中頭郡読谷村座喜味2901
☆時間:自由見学
☆入場料無料
☆駐車場有り
☆トイレ無し
昨日、6月19日(金曜日)は、旧暦の5月4日になっていて、糸満市や恩納村前兼久など県内各地で、航海の安全や豊漁を祈願する祭事『ハーリー』(地域によっては『ハーレー』とも)が行われたみたいですねぇo(^-^)o♪
また明日も、県内各地で『ハーリー』が行われるみたいですよぉ~♪ヽ(^。^)ノ
さてさて☆
この前、髪が長くなりすぎてしまったので、北谷町砂辺にある行きつけの美容室に行ってきました☆
んで、美容室を出た後、夕方4時くらいだったんですけど、まだ陽も高かったので、読谷村方面へドライブに行っちゃいました♪
目的地は、読谷飛行場跡地にある戦跡☆
なんでも、『飛行機の防空壕』ってのがあるとか。。。
飛行機などの航空機が大好きなので、『飛行機の』ってキーワードに反応しちゃいましたね(笑)
沖縄県中頭郡読谷村座喜味にある
『掩体壕(えんたいごう)』
最後の1棟になった読谷村の『掩体壕』☆ |
そして、福祉センターの横にある脇道から入り、そのまま直進していき、最初の交差点を右折。そしてすぐに最初の曲がり角があるので、そこを左折して行くと、左手側に『掩体壕』の頂上が見えてきます。
畑のど真ん中にあるので、目印となるようなものはありませんヽ(^。^;
『掩体壕』までの案内板や標識などもありません。。。
内部の様子と弾痕跡 |
こちらに到着したのは、午後4時半くらい♪
少し離れた場所にクルマを停めて、さっそく見学開始ヽ(^。^)ノ
以前はこの『掩体壕』を含め、3棟あったみたいですが、現在はこの1棟しか残されていません。
かなりコンクリートが痛んでました。 |
『掩体壕』を建設する際、仮枠が無かったので、ドラム缶を積み上げ、そこに土をかぶせて形を整え、そこに紙を敷き、コンクリートを流して造ったんだそぉです。
ちなみに、鉄筋は入っていません。。。なので、コンクリートの劣化が激しく、倒壊の恐れがあったため、内部から鉄骨を組んで補強されています。
もちろん、内部に入ることは出来ません。
後方側面から見たところ |
しかし、沖縄北飛行場は、米軍上陸の際に接収されてしまい、米軍の本土攻撃基地として使用されてしまいます。
後に、嘉手納町にある『嘉手納基地』の完成に伴い、この沖縄北飛行場は『読谷補助飛行場』として使用されることとなりました。
『掩体壕』のすぐ傍には、『義烈空挺隊玉砕之地碑』が建てられています。
『義烈空挺隊(ぎれつくうていたい)』とは、旧日本軍が読谷飛行場への強行着陸と破壊を目的とする『義号作戦』を行う空挺部隊のことです。
沖縄北飛行場(読谷山飛行場)跡地☆後に国道になる予定です。 |
『義号作戦』には、12機の重爆撃機が投入され、熊本から沖縄に向けて出撃したものの、4機が故障で九州に引き返し、内5機が米軍に撃墜され、残った3機の内、1機は読谷飛行場へ、2機は嘉手納基地へ向かいました。
戦果は、読谷飛行場に向かった1機が胴体着陸に成功し、破壊活動を行うことに成功したんだそぉです。
(嘉手納基地に向かった2機については不明みたいです)
もちろん、特攻が任務ですから、作戦を遂行した後、全滅しています。。。
この碑が建てられていた場所は、もともとは、読谷村役場の道向かいにある畑の傍らにあったみたいですが、現在の読谷中学校の建設に伴い、平成23年にこの『掩体壕』の横に移設されたんだそぉです。
2006年に全面返還が実現し、読谷飛行場跡周辺は、一気に開発が進み、景観が急速に変わりつつあります。
この『掩体壕』は、この一帯が、かつて沖縄戦で使用された飛行場跡であったことを後世に伝える、貴重な史跡の一つになっていくのでしょうねo(^-^)o
それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆
最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『掩体壕/義烈空挺隊玉砕之地碑』☆
☆場所:〒904-0301
沖縄県中頭郡読谷村座喜味2901
☆時間:自由見学
☆入場料無料
☆駐車場有り
☆トイレ無し