◎美しい風景と悲しい歴史がある岬☆|沖縄放浪日記

2015年3月5日木曜日

◎美しい風景と悲しい歴史がある岬☆

はぁ・・・天気が悪いと、なんか気持ちも、少し暗くなっちゃいますね。。。

早く天気回復してほしいものです・・・(^-^;

さてさて!

ここ最近のブログ記事で、沖縄本島の南部方面へドライブに行った時の事を書いてますが、今回ご紹介する場所は、後から調べてみて、ちょっとビックリしました。。Σ( ̄□ ̄;)

沖縄県糸満市字喜屋武にある『喜屋武岬(きゃんみさき)
『喜屋武岬』にある『平和の塔』

「ん?なにが?」って思った方もいらっしゃるかと思いますが、ほとんどの観光系の情報サイトや雑誌などで、『沖縄本島最南端』と紹介されてますよね?

・・・が!いろいろ調べてみると、実は『最南端の岬』はこちらぢゃないらしいんですよ(^-^;
すでにご存じの方も、いらっしゃるかと思いますが。
『喜屋武岬園地』の看板。
『最南端の岬』は、この『喜屋武岬』から東南東に見える『荒崎(あらさき)が、本当の『最南端の岬』なんだそぉです(^_-)-☆
この『喜屋武岬』より南へ400mほど出てるそぉです。ワタクシ勉強不足ですね。。

右奥の海に突き出た岩場が、沖縄最南端の岬『荒崎』です♪
いやぁ~この情報を目にした時は、正直驚きました。。。(^。^;

んで、話を戻すと・・・(ここから ちょこっと真面目なお話になります)

この『喜屋武岬』は、『沖縄平和記念公園』『ひめゆり之塔』など、本島南部に点在する多くの『沖縄戦跡国定公園』の内の一つです。

太平洋戦争の沖縄戦末期、本島北側より侵攻してきたアメリカ軍に追い詰められた人々が、ここから身を投じた場所で、その数は、約8千~1万2千人とも言われてます。
『平和の塔』には、『恒久平和』『鎮魂の思い』が込められています。
『平和の塔』側面には、『財団法人 沖縄遺族連合会』『碑文』が刻まれてました。

≪第六二師団管下部隊は喜屋武複廊陣地において摩文仁の第三二軍司令部向け進攻を続けしが善戦空しく昭和二十年玉砕せり

昭和二十七年十月地元民は将兵並びに戦斗に協力散華せる住民の遺骨併せて一万柱を奉納し平和の塔と名づけしがこのたび南方同胞援護会の助成を得て新たに塔を建てその遺烈を伝う≫
『平和の塔』の横の地面にあった石板
また、『平和の塔』に向かって左側の地面には、糸満市の石板も新たに設置されてました。
昔、訪れた時は無かったはずなので。。

この『喜屋武岬』から、身を投じた人々は、大人の民間人だけではないんです。。

『ひめゆり学徒隊』の方達みたいな、まだ若い女性やお年寄り、小さな子供達も、みんな一緒に身を投げたんだそぉで・・・
小さなお地蔵様。。。

『平和の塔』の裏手の塀の外、崖側には、小さなお地蔵様が祀られてました。

さらに『平和の塔』の裏側、ちょうど『碑文』の横にも小さなお地蔵様が2体祀られてました。

『平和の塔』のすぐ後ろ側にも。。。
『喜屋武岬』は、風光明媚な観光地ではあるのですが、沖縄戦で多くの人々が、自ら命を絶った凄惨な場所だったとゆー歴史も持ち合わせてるので、ここから海を眺めてると、とても複雑な気持ちになっちゃいましたね。。。
喜屋武岬から夕陽を望む。。。
『美しい景色』『悲しい歴史』が重なる『喜屋武岬』

もし、ここを訪れる際は、美しい景色だけではなく、そうした戦史にも目を向けてみてはいかがでしょぉか。。。(⌒-⌒)b

ちょっとしんみりした感じになってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。

でわでわ☆★☆

最後まで読んでくださって、ありがとうございますm(_ _)m
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☆『喜屋武岬』情報☆

☆場所:〒901-0354 沖縄県糸満市字喜屋武1156-2

☆駐車場:有