沖縄放浪日記: 史跡・遺跡・文化財

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2017年6月11日日曜日

南城市佐敷新里のムラの拝所であるイビの森へ合祀された御嶽☆

ハイサぁ~イ⭐

今月6日(火曜日)も、午後から本島南部方面へちょこっとお出かけしてきたんですが、まず最初に向かったのは南城市佐敷にある御嶽。

こちらの御嶽は、もともとは別の場所にあったそうなんですが、1959年の大雨による地滑りによって埋没してしまい、新里集落の拝所である現在の場所に合祀されたんだそうです。

沖縄県南城市佐敷新里にある

『場天御嶽』

場天御嶽の写真
『イビの森(イービヌムイ)』の中にひっそりと佇む『場天御嶽』の拝所

2017年6月5日月曜日

八重瀬町具志頭の太平洋に面した断崖上に築城されたグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

ちょっと話が前後しちゃうんですが、前回ご紹介した八重瀬町具志頭の『具志頭ドライブインレストラン』へ向かう前に、同町具志頭内にあるグスク跡へ行ってきました。

こちらのグスク跡も、以前ご紹介した嘉手納町嘉手納にある『嘉手納グスク』同様に、"グスク"を偲ばせるような石積みなどの遺構はほとんど残っておらず、現在は『沖縄戦跡国定公園』に指定されており"具志頭園地(城址地区)"として整備されています。

沖縄県島尻郡八重瀬町具志頭にある

『具志頭グスク』

具志頭グスク(具志頭城跡)の写真
園内の一角にある『具志頭城内之御嶽』

2017年6月2日金曜日

かつて嘉手納町と読谷村の境を流れる比謝川沿いにあったグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、前々回にご紹介した嘉手納町嘉手納にある『野國總管宮(野國總管公園)』を見学した後、ちょっと遅めの昼食をとりに読谷村伊良皆の『そば処 根夢 読谷店』へ向かいました。

んで、食事を終えた後、帰る途中に嘉手納町の国道沿いにあるグスク跡に立ち寄りました。

グスク跡と言っても、石積みなどの遺構は全く存在しておらず、嘉手納町の旧中央公民館(現在は嘉手納町青少年センター)が建っているんですが、敷地内やその周辺には、拝所や石碑などが建立されています。

沖縄県中頭郡嘉手納町嘉手納にある

『嘉手納グスク』

嘉手納グスクの写真
比謝矼の上から見た『嘉手納グスク跡』。現在は『嘉手納青少年センター』になっています。

2017年5月30日火曜日

甘藷伝来350周年を記念して建立された嘉手納町嘉手納にあるお宮☆

ハイサぁ~イ⭐

以前、1605年に中国から甘藷(かんしょ)の苗を持ち帰った人物が眠る嘉手納町字兼久下原にある『野國總管の墓』をご紹介しましたが、同町字嘉手納には甘藷伝来350年周年を記念して建立されたお宮があるんですよ。

んで、今月(5月)の19日、とてもいい天気だったんで、ヨメさんと一緒にそのお宮を見学しに行って参りました。

沖縄県中頭郡嘉手納町嘉手納にある

『野國總管宮(のぐにそうかんぐう)

野國總管宮(野國總管公園)の写真
園内の最高所に建立されている『野國總管宮』
こちらはまず、嘉手納町の国道58号線県道74号線がぶつかる交差点から、国道58号線読谷村向けに進み、2つめの信号を通過して約100mほどの距離にある左側の脇道に左折します。

左折して、しばらく直進していくと、突き当りに『嘉手納中学校』が見えてくるんですが、そのすぐ手前を右折して約50mほど進んでいくと、真正面にあります。
野國總管宮(野國總管公園)の写真
『野國總管公園』の入口。右側の建造物は『嘉手納中学校』の体育館です。
この日、こちらに到着したのは、午後の2時半くらい。。。

公園入口手前の路肩にクルマをちょこっと停めさせてもらい、すぐさまお宮へと向かいました。
野國總管宮(野國總管公園)の写真
表道から園内に入ってきたところ。丘の上に『野國總管宮』が見えます。
入口を入ってすぐのところに、平成7年7月に受賞した『手づくり郷土賞』の記念碑が立てられていました。

石碑の下部に碑文が記されていたんですけど、文字が消えかかってて判読しづらい部分もありましたが、何とか読めました。。。
※もし誤字などがありましたら、すいません。。。

≪手づくり郷土賞≫
≪野國總管公園は、1605年中国福建省より持ち帰って栽培した甘藷の苗が、後に全国に伝播栽培され、飢餓に苦しむ人々を救った琉球の恩人「野國總管」の恩徳を偲んで建立された總管宮をメインテーマに、恩人の郷里として、その業績を末永く後世に伝えるため、歴史を偲ばせる公園として整備された。
手づくり郷土賞 受賞記念碑
本公園はかつて沖縄八景の一つとして名高い比謝川渓谷の自然を生かし、散策路として整備された比謝川緑地と結ばれ、歴史と水が調和する公園である。

平成7年7月、建設省より歴史と文化に根ざした公園として認められ「手づくり郷土賞」を受賞した。≫
・・・とありました。

この石碑を後にし、『野國總管宮』をと向かいます。
野國總管宮(野國總管公園)の写真
『野國總管宮』の入口
『野國總管宮』へと続く階段の前は、『嘉手納小・中学校』のグラウンドがあるんですが、公園とグラウンドの境には、フェンスなどの仕切りが無く、ちょっとビックリしちゃいました。

また、お宮へと続く階段には、現在、両側に灯籠が設けられていたんですが、以前は無かったみたいですね。

この灯籠は、野國總管甘藷伝来400年祭記念に、沖縄県立農林学校同窓会が平成17年(2005年)9月に建立したものなんだそうです。
野國總管宮(野國總管公園)の写真
お宮の前には、立派な鳥居が建てられていました。
階段を上がり、鳥居の前まで行くと、その手前左側に『野國總管宮』の説明板が設置されていました。

≪野國總管宮
≪野國總管は、一六〇五年に中国の福建省福州より甘藷の苗を持ち帰り、郷里の野國村で栽培させました。

野國總管は儀間真常(ぎましんじょう)と共に甘藷の普及に努め、わずか十五年で沖縄全土で甘蔗の栽培がされるようになりました。
野國總管宮(野國總管公園)の写真
『野國總管宮』の説明板
当時の沖縄では、干ばつや暴風によりコメや雑穀等が不作になると、餓死者を出すことも度々ありましたが、甘藷の普及によって飢饉から救われることになりました。

甘藷は後にウィリアム・アダムス(三浦按針(みうらあんしん))の手で長崎の平戸へ、前田利左衛門(まえだりざえもん)により薩摩へ、そして、青木昆陽(あおきこんよう)により関東に広められ、数々の飢饉に際し、多くの人々を飢えから救う、貴重な食料となりました。
野國總管宮(野國總管公園)の写真
野國總管宮
野國總管は俗に「ウム大主(うふしゅう)」と呼ばれて尊敬され、産業の恩人として県民や町民から親しまれています。

嘉手納町では毎年、野國總管まつりの前に例祭を催し、その功績をたたえております。

当お宮は甘藷伝来三五〇年を記念し、一九五五年に当地に建立されたものです。
嘉手納町≫
・・・とありました。

説明を読み終え、鳥居を潜って行くと、奥に『野國總管宮』があり、その手前に二棟の建造物が建てられていました。

この二棟の建造物の内部には大きな獅子像が建立されており、これは中華人民共和国福建省泉州市恵安県人民政府から友好親善の証として寄贈されたものなんだそうですよ。
野國總管宮(野國總管公園)の写真
獅子像が建立されている建造物の横に設置されていた石碑
この二棟の建造物の間から、さらに奥へ進むと、『野國總管宮』の前に出ます。
野國總管宮(野國總管公園)の写真
獅子像が納められている二棟の建造物の間から見た『野國總管宮』
通常は、ご覧の通り扉が閉じられた状態なんですが、例祭などが行われる際には扉があけられるみたいです。

また、お宮の内部には『野國總管』の分骨が祀られているんだそうですよ。

『野國總管宮』を見学した後、今度は公園の北東側へ向かいました。
招魂之塔(野國總管公園)の写真
『招魂之塔』
招魂之塔(野國總管公園)の写真
『招魂之塔』・『顕彰碑』・『戦没者刻名板』
公園の北東側には、『招魂之塔』という慰霊塔が建立されています。

その『招魂之塔』が建立されている場所には、顕彰碑や戦没者刻銘板等も建立されていました。
招魂之塔(野國總管公園)の写真
招魂之塔
塔の台座部分には由来記と題された碑文が設置されていたので、引用させて頂きます。

≪由来記≫
≪日露戦役以来海外及本島内に於て散華せる軍人軍属学徒の英霊を此處に祀り世界平和を祈願して慰霊の塔を建立せり
一九五七年十二月吉日 嘉手納村≫
・・・とありました。

建立されたのは「1957年」となっているんですが、現在の『招魂之塔』や戦没者刻銘板は、終戦五十周年を記念して平成7年に全面改修されたものなんだそうです。

また、『招魂之塔』に隣接する『顕彰碑』は、全面改修を行った際にを建立されたものなんだそうです。
招魂之塔(野國總管公園)の写真
戦没者刻銘板
平成7年8月15日に、新たに建立された顕彰碑の後方には、『鎮魂』と題された碑文も建立されていました。

≪鎮 魂≫
≪太平洋戦争終結五十周年にあたり

招魂の塔に祀られた戦没者の御霊を末永く慰霊顕彰すると共に恒久平和希求の切なる願いをこめ、ここに戦没者刻銘版の改修を行い、嘉手納町遺族会の総意により慰霊顕彰碑を建立する。

今日の我が国の平和と繁栄はひとえに諸霊の尊い犠牲によってもたらされていることを決して忘れてはならない。
招魂之塔(野國總管公園)の写真
『顕彰碑』と碑文
わたしたちは、命の貴さ、平和の尊さを常に肝に銘じ二度と戦争の悲劇を繰り返してはならないことを後世に伝え、我が国唯一の地上戦が展開された激戦地沖縄が、恒久平和の発信地となるよう強く希望し、世界の恒久平和の確立に邁進することを固く誓うものである。
御霊よとこしえに 安らかなれと祈る
平成七年八月十五日 嘉手納町遺族会 嘉手納町≫
・・・とありました。

『招魂之塔』を見学させて頂いた後、さらに公園の北東側へと向かいました。
野國總管公園の写真
県立農林学校の記念木・記念碑と『農林健児之塔等の維持管理及び慰霊祭の引継ぎについて』の説明板
向かう途中、遊歩道の脇には、沖縄県立農林学校の記念木と記念碑、そして『農林健児之塔等の維持管理及び慰霊祭の引継ぎについて』と題された説明板が建立されていました。

この記念碑等がある場所からさらに奥へ進んでいくと、その先に『農林健児之塔』が見えてきました。
農林健児之塔(野國總管公園)の写真
遊歩道から見た『農林健児之塔』
塔が建立された場所の手前には、小さな説明板が設置されていたので、こちらも引用させて頂きます。

≪農林鉄血勤皇隊(沖縄県立農林学校)≫
≪沖縄県立農林学校の前身は、1902年(明治35年)に開校された国頭郡各間切島組合立国頭農学校で、その後変遷を経て、1932年(大正12年)に林科を設置し、沖縄県立農林学校と改称しました。

1945年(昭和20年)3月27日、鉄血勤皇隊農林隊は、第十九航空地区司令部(青柳隊)の指揮下に入り、中飛行場の糧秣(食糧)を倉敷(現沖縄市)の山中まで運搬する仕事をさせられました。
農林健児之塔(野國總管公園)の写真
農林鉄血勤皇隊(沖縄県立農林学校)の説明板
米軍が上陸した4月1日の夕刻、敵陣に身をもって迫って攻撃する肉弾攻撃隊要員として20名の生徒が選抜され、中飛行場に向かいましたが、もぬけの殻で、引き返し、本部半島の独立混成第四十四旅団第二歩兵隊(宇土部隊)の指揮下に入ることになり、5日、伊豆味で同部隊に入隊しました。

一方、農林隊本隊(肉迫攻撃隊以外の農林隊)は、4月4日に金武の観音堂の壕に到着しましたが、食料確保という難題を抱えていたため、解散することになりました。
農林健児之塔(野國總管公園)の写真
『農林健児之塔』・『農林健児之像』・『鉄血勤皇隊農林学校隊編成の碑』
4月7日、肉迫攻撃隊の生徒たちは、真部山に移動させられましたが、米軍の猛攻撃を受け、16日に多野岳への撤退を開始し、多野岳に到着した翌24日、東村の山中に撤退することになりました。

27日、東村内福地に到着。28日、米軍との銃撃戦で少尉以下、9名の生徒が戦死しました。
平成28年3月 沖縄県子ども生活福祉部平和援護・男女参画課≫
・・・とありました。

また、『農林健児之塔』の台座には、戦没者刻銘版が設置されており、塔の左側には『農林健児之像』が建立されていました。
農林健児之塔(野國總管公園)の写真
鉄血勤皇隊農林学校隊編成の碑
そして、『農林健児之塔』と『農林健児之像』の横には、『鉄血勤皇隊農林学校隊編成の碑』が建立されています。

その碑文には・・・
≪昭和二〇年(一九四五年)三月二六日夜間、配属将校尚謙少尉は、中飛行場(現嘉手納飛行場)守備指揮官青柳時香中佐の命を受け、この地点から比謝川上流約二キロの農林壕において、鉄血勤皇隊農林学校隊を編成し、農林学徒は陸軍二等兵として青柳部隊に入隊した。


比謝川のたながをとりしかのおとこ いつかうるまのはなとちるらむ
(田本清辞世の歌)≫
・・・とありました。

『農林鉄血勤皇隊』についてネットでちょこっと調べてみると、『鉄血勤皇隊農林学校隊編成の碑』の碑文にあった壕は、『嘉手納野球場』近くにあるんだそうで、現存しているようですね。

・・・と、ここまで見学させて頂いた後は、そのままクルマへと戻り、次の目的地へと向かいました。

今回ご紹介したように、『野國總管公園』には、琉球の恩人「野國總管」の分骨が祀られた御宮の他に、先の大戦で亡くなられた戦没者が祀られた2基の慰霊塔も建立されているので、同公園を訪れる際は、そちらの方にも足を運ばれてみてはいかがでしょうか。。。?

今回は少し長くなってしまいましたが、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

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『野國總管宮(野國總管公園)

☆場所:〒904-0203
      沖縄県中頭郡嘉手納町嘉手納322番地

☆お問合せ:098-956-1111(内線333) 嘉手納町役場 都市建設課

☆見 学:無料

☆駐車場:なし

2017年5月28日日曜日

対岸の伊計グスクと衝突を繰り返していた宮城島の北側に位置するグスク☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介したうるま市宇堅の『クバウ御嶽』をはじめとする史跡を見学した後、最後に同市与那城宮城の宮城島の北側に位置する標高約37mの丘にあるグスク跡を見学しに向かいました。

こちらは、かつて対岸にある『伊計グスク』と常に対立を繰り返してきた城主が居城していたグスクなんだそうです。

沖縄県うるま市与那城宮城の宮城島にある

『泊グスク(とぅまいぐすく)

泊グスクの写真
宮城島の北側の標高約37mの丘にある『泊グスク』の遠景
こちらは、ちょっと分かりづらい場所にあるんですが・・・

まず、うるま市与那城の県道10号線37号線がぶつかる『海中道路西口』の交差点から、『海中道路(県道10号線)』に入り、『平安座島』へと渡ります。

『平安座島』に渡ってそのまま県道10号線を突き進んで行き、今度は『宮城島』へと渡ります。
泊グスクの写真
泊グスク
『宮城島』に渡って道なりに約3.3㎞ほど進んでいくと下り坂に差し掛かるんですが、その手前右側にある脇道へ右折します。

右折して道なりに約500mほど進んだところ右側にある脇道に右折すると、左斜め前方に小高い丘がありますので、そこが『泊グスク』となります。
泊グスクの写真
『泊グスク』の入口
この日、こちらに到着したのは、ちょうど夕方の5時を回ったくらい。。。

グスク入口の横にクルマを停めさせてもらい、すぐさま見学へと向かいました。

グスク入口には、案内板とコンクリート製の標柱が立てられていたので、まずはその案内板から読んでみることに・・・

≪泊(トゥマイ)グスク≫
≪泊グスクは、標高37.4mの琉球石灰岩の台地上に造られたグスクです。東側から南側と西側の縁辺部には、野面積の石垣が一部残っています。
泊グスクの写真
入口から雑草をかき分けて上って来たところ。。。
グスク内や周辺からは、グスク時代に属する輸入陶磁器やグスク土器などが採集されています。

一説によると、1322年、怕尼芝(はにじ)に滅ぼされた今帰仁グスクの仲宗根若按司の末っ子・志慶真樽金(しげまたるがに)の一族が、宮城島に逃れ、後に「泊グスク」を築いたといわれます。
泊グスクの写真
雑草をかき分け、さらに突き進んでいくと、草刈り作業が行われた開けた場所に出ました。
また、泊グスクは伊計グスクとの抗争に負け、生き残った樽金の子孫は後に「宮城ムラ」をつくったと伝えられています。

グスク内には、「アガリ世ヌ神」(アガリの御嶽)と「按司ヌメーの御嶽の拝所があります。
うるま市教育委員会≫
・・・とありました。

説明を読み終えた後、気合を入れ、雑草をかき分けながら入口を入っていきました。

しばらく雑草の中を突き進んでいくと、大きな岩壁の下に出たんですが、そこからは、ここ最近草刈り作業が行われたようで、歩きやすくなってましたね。
泊グスクの写真
岩壁の根元付近。雨風によって浸食したのかゴツゴツした岩肌がむき出しになっていました。
泊グスクの写真
グスクの虎口手前に集められていた石。石積みなどに使われていた石なのでしょうか。。。
大きな岩壁を横目に、さらに奥へ進んでいくと、グスクの虎口が見えてきました。

・・・が、またここから雑草が生い茂っており、しかも道幅が急激に細くなっていましたね。。。(泣)

道幅が急に狭くなっているのは、防御機能を高めるためだとされているんだそうです。
泊グスクの写真
グスクの虎口。奥に向かうにつれ、幅が狭くなっています。。。
気合を入れ直し(笑)、グスク頂部を目指して虎口を入っていくと、その途中に、道が分岐しているところに差し掛かりました。

んで、右側に伸びる小道の先を見てみると、奥の方に石積みが見え、その下に香炉が1基置かれていました。
泊グスクの写真
小道の途中にあった分岐点。右へ進むと拝所があります。
分岐点から右折した先にあった拝所。
こちらの拝所は、グスク入口の説明板にあった2ヵ所ある『御嶽』の内の1つなのでしょうね。
泊グスクの写真
拝所
こちらを後にし、もう一方の小道の先へと進みます。

しばらく歩いていくと、森の中の少し開けた場所に到着したんですが、もしかすると、こちらは2の郭になるのかもしれまんせんね。
泊グスクの写真
森の中にあった広場。
なんでも、「泊グスク」は4つの郭を有していたとされているみたいなんですが、小道以外の場所は草木が鬱蒼と生い茂っており、どこからどこまでが"郭"なのか判別できません。

この広場から、右斜め奥に獣道が伸びているのを発見したので、そちらの方へ行ってみることにしました。
泊グスクの写真
奥にあった拝所
すると、先程よりも一回り小さな広場に到着したんですが、その奥に琉球石灰岩の奇岩があり、その中腹辺りに香炉が1基置かれてました。

どうやらこちらの広場が一の郭となっているようです。
泊グスクの写真
拝所
こちらも、説明にあった2ヵ所ある"御嶽"の1つとなっているみたいなんですが、この2ヵ所の"御嶽"では、神名『イベ森ガナシ』・『カネク森ガナシ』が祀られているんだそうです。(沖縄の裏探検『泊(とぅまい)グスク』のページより、一部引用)

・・・が、いろいろ調べてみたんですが、どちらがどの"御嶽"で、どちらの"御嶽"がどの神名を祀っているのかは分かりませんでした。。。

こちらの拝所まで見学した後、そのままクルマまで戻り、今度はグスクの西側へと向かいました。
泊グスクの写真
グスク西側にある道路上から見た『泊グスク』
泊グスクの写真
グスクの北側。丘の麓には、いくつかの建造物が建てられており、私有地になっているようでした。
『泊グスク』と平行して北へ伸びる小道の先は、行き止まりとなっており、グスクのある丘の北側は建造物がいくつか建てられていて私有地となっているみたいです。
グスクと平行して北へ伸びる道路の終点から見た『伊計グスク』
道路の突き当りからは、目の前に海が見え、その先に『泊グスク』の宿敵『伊計グスク』が見えましたね。

以前、『伊計グスク』をご紹介した際にもお話しましたが、『伊計グスク』の城主「アタヘチクドン」と『泊グスク』の城主「川端イッパーは、互いに領域を巡り、常に衝突を繰り返していたんだそうです。

しかし、「川端イッパー」は、「アタヘチクドン」の奇策により敗北を喫し自害してしまいました。

一説によると、この「川端イッパー」の亡骸は、宮城島の東側にある『ウクの浜』という砂浜に葬られたとされているんだそうですよ。
泊グスクの写真
以前訪れた『伊計グスク』の頂上から見た『泊グスク』(写真中央付近の三角形の丘)
・・・と、ここまで見学した後、だいぶ日も暮れて来たので、この日はそのまま帰宅の途に就きました。

いかがでしたでしょうか?

今回の『泊グスク』は、かなり分かりづらい場所にあり、ご紹介してきた写真のように草木が生い茂っていて、しかも足場がとても悪いので、訪れる際は十分に気を付けて下さいね。
※特に夏場は、ハブなどの出現率がかなり高くなるので、厳重に注意してください。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

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『泊グスク(とぅまいぐすく)(別名・カクレグスク)

☆場所:〒904-2423
      沖縄県うるま市与那城宮城(宮城島)

☆見 学:無料

☆駐車場:なし

2017年5月26日金曜日

うるま市宇堅に点在する『クバウ御嶽』をはじめとする史跡☆

ハイサぁ~イ⭐

以前、うるま市天願にある『天願グスク』・『天願貝塚』をご紹介しましたが、『天願グスク』・『天願貝塚』、そして『祝女殿内』を見学した後、今度は同市宇堅に点在する史跡を見学しに向かいました。

まず最初に向かったのは、うるま市宇堅の県道224号線沿いに建立されている御嶽。

県道側に面して立派な鳥居があり、その奥にはこれまた立派な社殿が建立されていました。

うるま市字宇堅にある

『クバウ御嶽と点在する史跡』

宇堅村クバウ嶽之殿の写真
県道224号線沿いに建立された『宇堅村クバウ嶽之殿』
こちらは、以前ご紹介したうるま市天願の『天願グスク』・『天願貝塚』の前から、県道224号線を同市赤野向けに約1.4㎞ほど進んでいくと、県道沿い左側にあります。
宇堅村クバウ嶽之殿の写真
県道上から見た『宇堅村クバウ嶽之殿』
県道側には『クバウ御嶽』と表記された案内板が立てられていたんですが、『コバウノ嶽』や『クバウ嶽ノ殿』と称されているようです。
宇堅村クバウ嶽之殿の写真
鳥居の横に設置されていた霊石(?)
立派な鳥居をくぐると、すぐに大きな社殿があり、その拝殿へ向かう階段横には、『宇堅村クバウ嶽之殿』と刻まれた石碑が立てられていました。
宇堅村クバウ嶽之殿の写真
『宇堅村クバウ嶽之殿』の社殿と石碑
宇堅村クバウ嶽之殿の写真
拝殿の前に立てられていた石碑。
鳥居や祠などの建造物は、比較的新しい感じがしたので、もしかすると、ここ数年の間に建て替えられたのかもしれませんね。
宇堅村クバウ嶽之殿の写真
敷地の奥側にあった拝所。水瓶らしき器と霊石が置かれていました。
また、社殿の前までいくと、その横にも拝所が設けられており、水瓶らしき器と小さな霊石が祀られていました。
宇堅村クバウ嶽之殿の写真
敷地の奥側から見た『宇堅村クバウ嶽之殿』
こんなに立派な御嶽なのに、ネットには資料などの詳細がUPされておらず、詳しいことはほとんど分かりませんでしたね。。。

唯一得られた情報では、こちらを管轄されているのは、『田場巫』という田場村を管轄するノロ(祝女)なんだそうですよ。

出来れば、御嶽に関する資料などを市の公式HPにUPしてほしいですね。。。

この『宇堅村クバウ嶽之殿』を見学した後、次に向かったのは、御嶽の前の県道をうるま市赤野向けに約50mほど進んだところ左側の角にあった史跡。。。

こちらは、うるま市の遺跡分布図にも表記されておらず、『新宇堅橋』の手前に立てられていた標柱を偶然発見したんです。
アシビナーの写真
アシビナー
『アシビナー』とは、村の祭りやウシデーク(豊年予祝などの祭祀舞踊)などの祭祀を行う場所のことです。
アシビナーの写真
新宇堅橋の上から見た宇堅村の『アシビナー』
恐らく現在は、区の公民館や広場などで祭事を行っていると思うんですが、かつてはこちらが祭祀を行う場だったのでしょうね。

この『アシビナー』のある場所から県道を渡り、西向けに伸びる脇道へと進みます。

脇道に入って約90mほど進んでいくと、道沿いに案内板が設置されているのが見えてきます。

その案内板には『ウキンガー』と表記されていました。
ウキンガー(ウケンガー)の写真
天願川と小道に挟まれた場所にある『ウキンガー』
うるま市の資料『5章.地域別みどりの配置方針』にある『みどりの現況特製図(具志川地域)』には、『ウケンガー』と記載されていたんですが、現地に設置されている案内板には『ウキンガー』と表記されていましたね。

この『ウキンガー』の手前にある場所の角っこに、かなり劣化した古い小さな石柱が置かれていたので、ガーを見に行く前に、その石柱を見てみると・・・
橋梁架設記念碑の写真
橋梁架設記念碑
『橋梁架設記念碑』と記されていました。

記念碑に向かって左側は壊れてしまっていたんですが、右側の側面には橋梁架設に関わった村長をはじめとする方々の氏名が刻まれており、裏面には日付が記されていました。

日付は、文字が少し劣化していて判読しづらかったんですが、『昭和五年十月吉日』となっていました。

『橋梁架設記念碑』を見学した後、『ウキンガー』のある場所へと降りていきました。
ウキンガー(ウケンガー)の写真
ウキンガー(ウケンガー)
『ウケンガー』は窪地に2ヵ所設けられており、双方の貯水槽の後方に香炉が1基ずつ設けられていました。

手前側は、貯水槽にも雑草が生い茂っていて、水の有無を確認することが出来ませんでしたが、奥側の『ウキンガー』は、雑草があまり生えておらず、比較的綺麗な状態で水が溜まっているのが確認出来ました。
ウキンガー(ウケンガー)の写真
手前側の『ウキンガー』
奥側の『ウキンガー』
ウキンガー(ウケンガー)の写真
奥側の『ウキンガー』。雑草が生えているものの、水が溜まっているのが確認できました。
この『ウキンガー』を見学させて頂いた後、一旦県道まで戻り、うるま市天願向けに進みました。

先程の『宇堅村クバウ嶽之殿』の前を通過して、約100mほど進んだところ左側に小さな脇道があるんですが、その脇道の入口には『シリガー』と表記されている案内板が立てられています。
シリガーの写真
県道から見た『シリガー』の入口
その脇道に入り、約30mほど進んでいくと、左側に『シリガー』がありました。
シリガーの写真
シリガー
ご覧の通り、こちらは貯水槽に鉄格子が設置されており、その後方に香炉が1基置かれていました。
シリガーの写真
『シリガー』内部。下の方に水が溜まっているのが確認できました。
こちらも、現在も豊富な水を湛えているようで、水管のようなホースが設置されていましたね。

『シリガー』の向かい側には、畑があり、どうやらこちらから水を得ているようでした。
シリガーの写真
『シリガー』の向かい側にある畑
この『シリガー』まで見学させて頂いた後、最後に宇堅区の南東側に位置する『野鳥の森自然公園』の近くにあるガー(井泉)へと向かいました。

こちらは、『野鳥の森自然公園』の南側にある駐車場の前から、『沖縄電力具志川火力発電所』向けに進み、約400mほど進んだところ左側にある2つめの脇道に入ります。

そして、そこから約170mほど進み、2つめの脇道を左折し、前方に見えてくる鉄塔の手前右側にある脇道へ右折すると、すぐ左側にあります。
イジュクガーの写真
イジュクガー
こちらは、集落からだいぶ離れた場所にあるためか、長い間草刈りなどが行われていないようで雑草が繁茂してましたね。

また、『ガー』は、柵で囲われており、貯水槽に誤って落ちないようになっていました。
イジュクガーの写真
水量は豊富なようでした。
柵の上から写真を撮り、貯水槽の中を確認すると、こちらもまだ水を湛えているようでしたね。

『イジュクガー』を囲う柵の左側から、後ろの方に小さな獣道があったんで、そちらへちょこっと行ってみると、南東の方角に向く拝所のような場所がありました。
イジュクガーの写真
『イジュクガー』の後方。ブロックと木が設けられて拝所っぽい感じでしたね。
・・・と、ここまで見学させて頂いた後は、宇堅区を後にし、次の史跡へと向かいました。

今回はこの辺にして、この続きはまた別の回にご紹介しますね。

それでは、そろそろこの辺で。。。でわでわ☆★☆

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