沖縄放浪日記: 史跡・遺跡・文化財

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2017年3月16日木曜日

南城市大里大城の丘陵上にある旧稲福集落内に分布する遺跡群☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回のブログ記事で、南城市大里大城の稲福集落内に点在する『ナカヌカー』・『慰霊之塔』・『テラグヮ』・『ミーガー』をご紹介しましたが、今回は残りの史跡をご紹介しますね。

『大城按司の墓』『ナカヌカー』・『慰霊之塔』・『テラグヮ』・『ミーガー』を見学した日から約10日後ほど経った頃、改めて南城市大里大城の稲福集落を訪れました。

沖縄県南城市大里大城の旧稲福集落に分布する

『稲福遺跡群』

稲福殿の写真
稲福区の村立ての屋敷跡である『稲福殿(いなふくとぅん)

2017年3月14日火曜日

南城市大里大城の稲福集落に点在する拝所や御墓などの史跡群☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、前々回のブログ記事の続きです。

南城市大里大城にある『大城按司の墓』を見学した後、稲福集落まで戻り、集落内にガイドマップが設置されていたので、まずはそれを見て各史跡の場所を確認しました。

ガイドマップを見ると、予想に反して史跡の数が多かったんで、最初に訪れた日は、あまり時間も無かったんで数ヵ所だけ散策し、また日を改めて訪れ、残りの史跡を散策してきました。

沖縄県南城市大里大城の稲福集落内に点在する

『拝所や御墓などの史跡群』

テラグヮの写真
鬱蒼と生い茂る草木に囲まれ、ひっそりと佇む『テラグヮ』

2017年3月12日日曜日

南城市大里大城にある大城グスクの城主であったとされる按司の墓☆

ハイサぁ~イ⭐

先月(2月)、南城市大里大城にある『大城城跡』を見学した後、城跡の北側に位置する稲福集落へと向かいました。

なんでも、その集落内には、かつての大城グスクの城主であったと伝えられる按司の御墓があるんだとか。。。

南城市大里大城にある

『大城按司の墓』

大城按司の墓の写真
静かな森にひっそりと佇む『大城按司の墓』

2017年3月9日木曜日

大城按司によって築かれたと伝えられる南城市大里大城のグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

先月(2月)中旬、南城市方面へ出かけた際、県道86号線のとある交差点で信号待ちをしてると、交差点の角に城跡の案内板を発見したんですよ😲

んで、ちょこっと立ち寄ろうかと思ったんですが、その日は、ちょっと別の目的地へ向かう途中で、あまり時間も無かったんで、翌日、改めてその城跡へ行ってきました💨
※北中城村にも同じ名称のグスク跡があるんですが、今回は南城市大里大城のグスク跡です。

沖縄県南城市大里大城にある

『大城城跡(うふぐすくじょうあと)

大城城跡の写真
屋敷跡を囲うような形で拝所が並んで設置されてました。

2017年3月7日火曜日

糸満市名城のタルマサ王が築城したという伝承が残るグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

先月、糸満市内の慰霊塔やグスク跡などを見学して回った日の翌日、ネットで史跡などを調べてた際、気になるグスク跡を見つけたんで、ちょっと足を運んでみることにしました。

なんでも、こちらは、名城村の宗家『仲原』の始祖である『タルマサ王』という人物が、南山城からやってきて、先史時代の貝塚跡にグスクを築城したんだとか。。。

沖縄県糸満市名城にある
『フェンサー城貝塚』
フェンサー城貝塚の写真
大きな岩壁の根元にひっそりと佇む『四郎樽金』の墓

2017年3月4日土曜日

13~14世紀頃のグスク時代に栄えた糸満市米須にあるグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

先月(2月)、糸満市真栄里にある4ヶ所の慰霊塔を見学した後、最後に同市米須にあるグスク跡へと向かいました。

こちらは、13~15世紀頃のグスク時代に栄えたグスクなんだそうで、同市大里にある『南山グスク』の出城として米須按司によって築城されたんだとか。。。
※築城者に関しては諸説あるようで、現・宜野湾市大謝名にいた謝名按司が戦で負けてしまい、米須へと逃げ延び、築城したとの説もあるみたいです。

沖縄県糸満市米須にある

『米須グスク』

米須グスクの写真
主郭にある『ヒンプン(目隠し)』の役割であろう岩

2017年2月26日日曜日

沖縄戦において奇跡的に戦火を免れた沖縄本島唯一残存した寺院☆

どーもども⭐

今回も、前回の続きです(笑)

『龍の蔵』さんの『金武鍾乳洞の古酒蔵』を見学した後、『龍の蔵』さんの道路を挟んで右斜め向かいにある寺院へと向かいました。

こちらの建物は、沖縄戦の際、大半の寺社建造物が焼失した中、奇跡的に戦火を免れ、本島内で唯一残存した貴重な木造建築物なんだそうです。

沖縄県国頭郡金武町金武にある

金峯山 金武観音寺』

高野山真言宗 金峯山 金武観音寺の写真
高野山真言宗 金峯山 金武観音寺

2017年2月10日金曜日

かつて糸満市の照屋集落と報得川の間に位置する丘にあったグスク☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、糸満市照屋の県道77号線沿いにある『すば処 いーばる家』さんで食事を終えた後、同じ照屋区内にあるグスク跡へ向かいました。

こちらは、沖縄戦は、前後の貯水タンク建設によって大部分が破壊されてしまったそうなんですが、グスク内には、拝所や古墓などが点在しているんだそうです。。。

沖縄県糸満市照屋にある

『照屋グスク』

照屋グスクの拝所の写真
グスク域西側にある貯水タンク建設の際に大部分が破壊されたようですが、東側には拝所群があります。

2017年1月31日火曜日

南城市の稲嶺集落内にある合祀された拝所と慰霊塔が建立された公園☆

ハイサぁ~イ⭐

先週、八重瀬町伊覇の『やちむん食堂』さんで食事を終えた後、帰りがけにお隣の南城市大里字稲嶺にある公園へ向かいました。

こちらは、園内に稲嶺区の『慰霊塔』や単体の拝所、そして合祀された拝所が大切に保存されているんですよ。

沖縄県南城市大里字稲嶺にある

『稲嶺農村公園』

稲嶺区の慰霊之塔の写真
『稲嶺農村公園』内に建立された稲嶺区戦没者の『慰霊之塔』

2017年1月29日日曜日

前川集落から西側に約100mのところに位置する『前川樋川と前川民間防空壕』☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、前々回にご紹介した『前川樋川と前川防空壕』『前川樋川と前川民間防空壕』の続きです。

『前川樋川』と『雄樋川』沿いから入ってきた道の突き当りの間から、斜面の上の方へと伸びる小さな階段を発見し、そちらへ行ってみると、『蒙氏 上門門中之墓』と刻まれた石碑と岩壁に連なって存在する壕跡や立派なお墓がありました。

ただ、残念ながら、『蒙氏 上門門中之墓』について、ネットで検索をかけてみると、全くヒットが無かったので、『上門門中之墓』については何も分かりませんでした。。。(泣)

沖縄県南城市玉城前川にある

『前川樋川と前川防空壕』

蒙氏 上門門中之墓の写真
『蒙氏 上門門中之墓』と刻まれた石碑がある場所で一番立派なお墓

2017年1月26日木曜日

かつて住民の生活用水として利用されていた井泉と戦時中に築造された防空壕☆

ハイサぁ~イ⭐

今週月曜日(1月23日)の午後、南城市玉城前川の『Café ゆーゆーらーさん』で食事を終えた後、すぐ近くにある史跡&戦跡を見学しに向かいました。

本当は、南城市内のグスク跡に向かう予定だったんですが、食事を終えた後の店員さんとのお話がちょこぉ~っと長くなってしまって(笑)、予定していた時間がちょこぉ~っと過ぎてしまってたんですよ。。。😅

・・・なので、店員さんに教えて頂いた、お店からすぐのところにある史跡&戦跡を見学することにして、そちらへ向かいました。

沖縄県南城市玉城前川にある

『前川樋川と前川民間防空壕』

前川樋川の写真
前川集落の西に位置する断崖の麓にある『前川樋川』

2017年1月21日土曜日

西原町内間の集落北側にあるノロの住居跡とその周辺に点在する史跡☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、前々回の続きです。

西原町嘉手苅『ウフンミウタキ』を見学した後、次に向かったのは、嘉手苅区に隣接する内間区。

内間区の北側には、かつて内間ノロが住んでいたとされるノロ殿内をはじめ、いくつかの史跡が点在しています。

沖縄県中頭郡西原町内間にある

『内間ノロ殿内』

内間ノロ殿内の写真
内間集落の北側に位置する『内間ノロ殿内』

2017年1月19日木曜日

かつて神女の就任式が行われたと伝わる西原町嘉手苅にある御嶽☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、南風原町の『アグーだし汁使用の店 ゆい食堂』で食事を終えた後、帰りがけに西原町の御嶽を見学しに向かいました。

こちらは、かつて神女の就任式が行われていた御嶽(ウタキ)なんだそうで、村の開祖である『夫婦』を祭った場所でもあるんだとか。。。

沖縄県中頭郡西原町字嘉手苅にある

『ウフンミウタキ』

ウフンミウタキの拝所の写真
ウフンミウタキの頂上には3つの拝所がありました。
こちらは、西原町の国道329号線県道38号線がぶつかる『小那覇』の交差点から、国道329号線を同町内間向けに約400mほど進むと、国道沿い左側にあります。
ウフンミウタキの写真
真正面の木々の後方の小高い丘が『ウフンミウタキ』
こちらには駐車場が無いため、御嶽に隣接する脇道沿いにクルマを停め、すぐさま見学開始。

御嶽入口は、丘の南側の国道沿いにあります。
ウフンミウタキの入口の写真
 『ウフンミウタキ』の入口
御嶽入口には、一つの拝所と標柱が立てられています。
ウフンミウタキの拝所と標柱の写真
『ウフンミウタキ』入口の拝所と標柱
この拝所の後方に、丘の上へと伸びる階段があり、そこから丘の頂上へ向かうことができます。
『ウフンミウタキ』の階段の写真
『ウフンミウタキ』入口の拝所後方にある階段
階段を上がって頂上へ行くと、そこは少し開けた場所となっており、広場のほぼ中央に拝所が1基、そして、その後方奥側に2基の拝所がありました。
ウフンミウタキの頂上の写真
丘の頂上の広場。
ウフンミウタキの拝所の写真
広場のほぼ中央に位置する拝所
拝所に使用されているのは、珊瑚石らしいんですけど、かなり劣化しており、以前に補強を施してはいるようですが、今にも崩れそうになっていましたね。。。

西原町の公式HP『文化財:ウフンミウタキ』のページによると、『琉球国由来記(1713年編纂)』に記載されている大嶽(神名:真南風ノアナ真コチアナ真シラゴノ御イベ)に相当するものと思われるとのことです。
ウフンミウタキの拝所の写真
広場北側にある2つの拝所
『ウフンミウタキ』は、内間集落の前に位置することから、『メーヌウタキ』と呼ばれているんだそうですよ。

また、かつては神女の就任式が行われていたんだそうで、就任式の際に神女に神の名が授けられるということで、『ウナージキヌウタキ』とも呼ばれたんだとか。

あと、この一帯からは、近世の陶磁器が採集されているとのことです。
ウフンミウタキの拝所の写真
広場の北側に位置する拝所
ウフンミウタキの拝所の写真
「天地」と刻まれた拝所
珊瑚石が使用された拝所の後方にも拝所が2つあり、1基は祠状になっており、もう1基は大きな木の根元にあって「天地」と刻まれていました。

この広場には、この3つの拝所だけだったので、いったん丘を下りて、丘の後方へ行ってみることに。
ウフンミウタキの東側の写真
ウタキ東側
『ウフンミウタキ』の東側は、国道から集落へと続く脇道が隣接しており、丘の麓にはコンクリートブロック製の小さな構造物と水タンク(?)がありました。
ウフンミウタキの北側の写真
ウタキ北側
ウフンミウタキ北側の砂利道の写真
ウタキ北側の砂利道。
そして、ウタキ北側も、国道から入ってきた脇道からさらに分岐した砂利道がありました。

その砂利道を進んで行くと・・・
ウフンミウタキの拝所の写真
『ウフンミウタキ』北西に位置する拝所
その先にも、拝所が1基ありました。
ウフンミウタキの拝所の写真
『ウフンミウタキ』北西にある拝所
そして、この拝所のある場所から、ウタキを回り込むような感じで、西側へ行ってみると・・・
ウフンミウタキに隣接する砂利道の写真
『ウフンミウタキ』北西部から西側へ伸びる砂利道
そこには、拝所となっている『カー(井戸)』がありました。
ウフンミウタキの井戸の写真
『ウフンミウタキ』西側に位置する拝所となっているカー(井戸)
・・・と、ここまで見学した後は、そのままクルマへと戻り、次の史跡へと向かいました。

『ウフンミウタキ』一帯は、木々が繁茂しているんですが、定期的に清掃活動を行っているらしく、比較的綺麗な状態が保たれており、とても見学しやすかったですね。

それでは、この辺で。。。でわでわ☆★☆

最後まで読んで下さいまして、誠にありがとうございますm(_ _)m
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☆『ウフンミウタキ』☆

☆場所:〒903-0102
      沖縄県中頭郡西原町嘉手苅 上之松

☆見 学:無料

☆駐車場:無し

※訪れる際は、くれぐれもマナーを守って、他の来訪者や地元の方々に迷惑をかけないよう、十分気を付けてくださいね。

2017年1月17日火曜日

金武町金武にある村落共同の火神が祭り継がれてきた御嶽とノロ殿内☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、前々回にご紹介した記事の続きです。

かつて『金武グスク』があったとされる『上ヌ毛(ウィーヌモー)公園』や金武公会堂前に保管されている『金武城門の石』などを見学した後、次に向かったのは、公会堂前の道を『金武町役場』向けにちょこっと進んだところにある丘。。。

こちらは、金武の村落共同の火神が祭り継がれてきた御嶽なんだとか。。。

沖縄県国頭郡金武町金武にある

『トゥムスズ御嶽』

トゥムスズ御嶽の写真
金武町指定文化財の『トゥムスズ御嶽』遠景。

2017年1月14日土曜日

かつて広大な地域を領していた金武町内で唯一確認されているグスク跡☆

ハイサぁ~イ⭐

1月12日(月曜日)は、午後からちょこっと時間が空いたので、久しぶりに北部方面のグスク跡を散策しに出かけてきました。

今回向かったのは、金武町内にあるグスク跡。。。

こちらは、城壁や石垣などの遺構は残ってはいないんですが、唯一、グスクの城門に使用されていた石が保管されているんだとか。。。

沖縄県国頭郡金武町金武にある

『金武(ちん)グスク』

金武グスクの城門の石とサーターグルマの歯車の写真
金武公会堂前には、『金武グスク』の城門の石と『サーターグルマ』の歯車が展示されていました。

2017年1月9日月曜日

かつて『アンジナ』と称されていた島にあったとされるグスク跡と拝所☆

ハイサぁ~イ⭐

昨年(2016年)の12月29日、前々回にご紹介した那覇市山下町にある『住吉神社』を出た後、最後に向かったのは、豊見城市にあるクルマで渡れる離島。

こちらは、一昨年(2015年)の11月に一度ご紹介したことがあるんですが、その時は、大まかな感じだったんですよ。
※以前ご紹介した過去記事はこちら⇒http://oki-night.blogspot.jp/2015/11/blog-post_26.html

んで、以前の記事ではご紹介出来なかった史跡などを、今回ご紹介させて頂きたいと思います。

沖縄県豊見城市瀬長にある
『瀬長グスク』
海中道路から見た瀬長島の写真
沖縄本島と瀬長島を結ぶ海中道路上から見た『瀬長島』

2017年1月3日火曜日

表筒男命・中筒男命・底筒男命の御三神が祀られている那覇市山下町の神社☆

ハイサぁ~イ⭐

前々回にご紹介した那覇市国場の『がちまい処 すばやぁ』さんを出た後、次に向かったのは、同市山下町にある神社。。。

こちらは、昨年の6月にも1度訪れたことがあったんですが、その際、一ヵ所だけ撮影するのを忘れてしまってて、ブログに掲載するのを保留にしていたんですよ。

んで、その場所を撮影しに行く機会がなかなか無くて、掲載がかなり長引いてしまいました(泣)

・・・が、この日、時間に余裕があったんで、撮影しに行くことができ、よぉ~~~やっと掲載にこぎ着けました(笑)

沖縄県那覇市山下町にある
『住吉神社』
住吉神社の鳥居とシーサーの写真
神社入口には、沖縄の石獅子『シーサー』と鳥居が設置されていました。

2016年12月18日日曜日

浜比嘉島の比嘉区内に点在するノロ墓や拝所☆

ハイサぁ~イ⭐

以前、うるま市勝連の『浜比嘉島』にある『シルミチュー霊場』を見学した後、その帰る途中の道沿いで見つけた拝所やカー(井泉)がいくつかあったので、ちょこちょこ立ち寄りながら帰ることにしました。

沖縄県うるま市勝連の『浜比嘉島・比嘉区』にある

『ノロ墓と点在する拝所』

浜比嘉島のノロ墓の写真
比嘉集落の北西にある丘の中腹辺りにひっそりと佇む『ノロ墓』

2016年12月12日月曜日

琉球開闢の祖神『アマミキヨ』と『シネリキヨ』が居住地にしたと伝えられる洞窟☆

ハイサぁ~イ⭐

今回は、前々回の続きです。

うるま市勝連の浜比嘉島にある『アマミチューの墓』を見学した後、次に向かったのは、この『アマミチューの墓』がある同じ比嘉集落の南南東にある森の中の洞窟。

こちらは、琉球開闢(かいびゃく)の祖神『アマミチュー』と『シルミチュー』が居住地にした場所だと言い伝えられており、子宝祈願・安産祈願のための霊験あらたかな聖地として知られています。

沖縄県うるま市勝連比嘉にある

『シルミチュー霊場』

シルミチュー霊場の写真
子宝祈願・安産祈願のために浜比嘉島以外からも多くの参拝者が訪れています。

2016年12月10日土曜日

浜比嘉島の『アマンジ』と呼ばれる小島にある神様達の祀られているお墓☆

ハイサぁ~イ⭐

この前、沖縄市松本にある『大衆レストラン No.1』さんで食事を終えた後、ドライブがてら、うるま市勝連にある『浜比嘉島』まで行ってきました。

『浜比嘉島』には、神々が祀られているお墓だと伝えられる祠や霊場、遺跡、カー(井泉)など、30を超える拝所があるんです。

んで、今回は、『浜比嘉島』の比嘉区にあるお墓やカー(井泉)、霊場など数か所を見学してきました。

まず最初に向かったのは、比嘉区の海辺にある小島。。。

こちらには、神々が祀られていると伝えられるお墓があるんです。

沖縄県うるま市勝連比嘉にある

『アマミチューの墓』

アマミチューの墓の写真
女神『アマミチュー』と男性神『シルミチュー』の男女二神、及びその他の神が祀られていると伝えられているお墓。